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第39回 カタカナ語

元駐タイ大使 恩田 宗

 朝日夕刊のCafé Mode欄に「パーカやチェックのシャツなどアウトドアの服ですがそこに都会的でシャープな感覚やスポーツテーストをミックスし・・クレージーな楽しさと共にフィット感が・・」とあった。服飾産業はカタカナの洪水に見舞われている。

 政治の世界でもカタカナ語が増えている。平成28年1月安倍首相は施政方針演説で52のカタカナ語(固有名詞を除く)を使っている。6年前の鳩山首相は48、16年前の小渕首相は29、26年前の海部首相は15、36年前の大平首相は9、46年前の佐藤首相は2、56年年前の岸首相は1語だけだった。それぞれ演説の長さが違うので単純に比較できないが年を追って増加していることが分る。

 サービス、ビジョン、リーダー、リスク、ルール、エネルギーなどの言葉は既に日本語化した言葉であり違和感はない。セーフティーネット、イノベーション、フレックスタイム、ソフト・パワーなどには未だいい訳語がないのでそのまま使うのも仕方がない。しかし鳩山演説にある「チャレンジドの方々」という言い方は変である。身体障害者と言いたくないのなら体の不自由な方々など日本語で言い換える方法があった筈だと思う。

 日本人は奈良・平安の昔から中国の書籍に親しみその言葉を大量に取り入れてきた。清少納言が女だてらに漢語を使い紫式部日記の中で「さかしだち真字(まな)書きちらし」と貶されたことはよく知られている。確かに枕草子(33)には「いかばかりそしり誹謗せまし」などと書いてある。日本の知識層は好んで漢語を使い日本語の語彙を豊かにしてきた。今の国語辞典の見出しの7割は漢語だという。

 西洋の言葉の輸入は維新後に始まったが明治の人は漢学の素養があったので漢字の造語力を活用し上手に訳語を作った。最近は不精をしてカタカナのままで済ますことが多い。押し寄せる外国語の数が多い上にいい知恵もないからである。それにカタカナに対する違和感が薄れる一方で漢字を鬱陶しく面倒に思う人が増えているからでもある。カタカナ語の多い文は間延びした感じになるがそれも時代の流れである。

 コンサイス・カタカナ辞典にあるカタカナ語の数は4万7千である。同じ三省堂の新明解国語辞典の収録語数が7万6千(広辞苑は24万)であるからかなりの数と言える。その大半は科学技術・工業・金融・スポーツなどの専門用語である。英語を語源とするものが圧倒的に多い。英語は語彙が多くOxford English Dictionaryは50万語を収録)日本人に馴染みのある言葉であり英語国が世界文明を主導しているのであるから周辺文化国の日本として自然・当然の成り行きといえる。現代は日本語の歴史の中で英語から新語を盛んに取り込んだ時代ということになるだろう。

 なお鳩山首相は演説で日本語がある場合でもピンチ、スリム、フラット、フレーム、ライフなどのカタカナ語を使っている。これは(お)母さんとママのどちらにするかと同じ好みの問題である。首相はママと呼んでおられたのかもしれない。