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第38回 ピジン日本語

元駐タイ大使 恩田 宗

 To beとピジン日本語の「あります」

 To be or not to be : that is the questionというハムレットの独白を福田恒存(新潮文庫)、松岡和子(ちくま文庫)、野島秀勝(岩波文庫)、河合祥一(角川文庫)は皆「生きるか死ぬか・・」と訳している。しかしシェイクスピア作品の全訳をした小田島雄志は「このままでいいのか、いけないのか・・」としている。To be を「生きる」ではなく「現状のままにある」という意味に理解したのである。

 言葉は一つでも長い歴史の間に色々なことを意味するようになる。又、特定のイメージに結びついたりして含蓄ある膨らみを持つようにもなる。そうした言葉の多義性が文の味わいを深くするとともに外国語への翻訳を難しくする所以にもなっている。

 横浜開港当初の貿易は外国商館が連れてきた中国人買弁と日本人商人との間で交渉が行われていた。そこで生まれて使われた変則的な日本語(所謂ピジン日本語)では to beは「あります」だった。「あります」は大変便利な言葉でto be の他 wish to be,  be at home,  have,  will have,  has had,  can have,  obtain, want ,  arrive など色んな意味を持っており「○○は□□あります」という形で頻繁に使われた。明治七年横浜の月刊誌The Japan Punch はパロディーとしてあのハムレットの台詞を「あります、ありません、あれは何ですか」とピジン日本に語に翻訳している(「ピジン語の生まれる空間―横浜居留地の雑種語」亀井秀雄)。

 ピジン日本語の語彙の中にはマレー語起源の言葉もあった。駄目の「ぺけ」は特に愛用され、捨てろ、邪魔だ、向うに行け、片付けろ、交渉破談だ、気に入らない、などネガティヴ表現を一手にまかなっていたという。雑多な人種の住んでいた横浜では物乞いも「チャブチャブ(食べること)、コマリマス、テンポ(天保銭を指しお金のこと)、ダンナサン、ドーゾ」などと言って手を出していたらしい。

 横浜では明治後半になってもピジン日本語の教本・手引き・単語帖などが日本人向けと外国人向けの両種類が多数発売されていたという。需要があったからである。欧米人も召使やパーティー・料亭・遊郭などの場で会う日本人とはピジン日本語で話していたに違いない。「明治日本体験記」の著者W・Eグリフィスによると彼が横浜に到着した明治四年頃は老舗の商館では「(本格的な日本語を)身につけようと真剣に努力する者はほとんど(いなかった)」という。

 成田空港のスターバックス珈琲店の壁に大きくNever be without good coffee とあった。文節が繋がらず二重否定のできないピジン日本語で言い直すと「ありません、よろしい珈琲ありません」ということになる。店主は知っていただろうか。