入門 パラグアイ事情


前駐パラグアイ大使 
上田 善久

 縁あって2014年3月にパラグアイ共和国に大使として赴任しましたが、この国は南米の事情通もよく知らない、資源の乏しい内陸の小国です。しかし、在任期間中に『小粒でもピリリと辛い』二つの要素を実感し、これまで看過されていたこの特質をどう日本に伝えるのかを考え続ける3年4ヶ月でした。 

 まず一つ目のピリリ要素は、当地日系社会の独特の存在感です。日本との関係は1936年の農業移住に始まりますが、移住者の大宗は戦後の農業移住政策による集団移住で、爾来、農業分野の発展に大きく貢献し、その功績は同時代の出来事として敬意や信頼の源となっています。さらに商業、行政、金融、芸術といった分野でも活躍し、わずか一万人と少数(小粒)ながら他国にはない独特の存在感を醸し出しており、「親日国」という表現では尽くせない繋がりを実感します。残念ながら南米の日系人社会を論じる場合に、この戦後のパラグアイ政策移住の成果が語られることはありません。

 二つ目のピリリ要素は、小国パラグアイの存在感です。19世紀後半の三国戦争での壊滅的敗北以来、南米の貧しい小国(小粒)に甘んじていましたが、近年、近隣の諸大国が左派ポピュリズムの流れで変調をきたしているのを尻目に安定したマクロ経済政策と徹底した投資優遇政策を継続し、急速な産業構造の変革を遂げています。筆者着任からの三年間だけでも、サービス、個人消費、公共投資などの内需が伸び、域内外からの直接投資も製造業を中心に急増し、商業ビルやショッピングセンターが相次いで完成するなど街の景観が大きく変貌しています。この点についても残念ながら、我が国ビジネス界で地域戦略の文脈でパラグアイを捉える視点は乏しいようです。

 とかく迷走しがちの南米地域情勢について、その全体を俯瞰するためには急速に存在感を高めるパラグアイ事情の理解が不可欠ですが、本稿を通じて日本側での認識不足が少しでも埋まれば幸いです。

 (注)日本向け情報発信の試みとして、2015年1月から在パラグアイ日本大使館HPにコラム【パラグアイ便り】を開設し、29回にわたり写真付きで各種の報告をしました。ぜひ参照してください。

1.強固な二国間関係の再確認 -日本人移住80周年-

 2016年は日本人移住80周年記念の年でした。当地日系社会は、『移住社会の活躍ぶりを日本に届けたい』という[日本に向けた思い]と、『自分たちを温かく迎え入れたパラグアイ政府や国民に感謝を示したい』という[パラグアイ社会に向けた思い]、この『二つの思い』を基本理念として、年間を通じて数々の記念事業を、和服、和食、音楽、絵画、演劇スポーツなど多岐の分野で実施しました。

 それに先立つ2014年6月にはカルテス大統領が来日して安倍総理との首脳会談を実現、2年後には外相も公式訪問し、それぞれの機会に円借や無償案件が調印されて 日本に対する信頼や敬意が一層強固なものとなります。

 一方、パラグアイ社会でも日系社会の熱い思いに呼応して、上下両院での日本人移住80周年感謝決議式典、記念切手の発行、関連自治体での式典、各種の協賛文化事業などを実施し、このパラグアイ側の参画のおかげで80周年が予想を遙かに超えて彩り豊かなものとなりました。

 昨年9月の日本人会連合会主催記念式典には眞子内親王殿下がご出席され、現地からは大統領、副大統領、上下両院議長、最高裁長官ほか主要閣僚が列席、万人が括目する900人超の大盛会となり、当地日系社会の『二つの思い』が見事に花咲きました。眞子さまは各移住地も歴訪され、老若日系人とのご接見や文化資産のご視察など、8日間で陸路1000キロの行程をこなされました。現地のメディアは、親しみと敬意に溢れた内容で連日大きく報道し、これまでの繋がりを未来に引き継ぐ大きなステップとなりました。

2.日本企業の進出

 近時パラグアイは、近隣諸国に比べ際立って良好な投資環境が評価され、ブラジル企業を中心に製造業の直接投資が急増しています。しかし、長く無関心だった日本では、空路僅か1〜2時間の近隣に所在する企業関係者でもこの変貌ぶりに気付かないようです。フラつく近隣大国と一線を画するこの小国の発展ぶり、この現状を知ることは地域ビジネスに不可欠と考え、パラグアイ商工大臣とともにサンパウロ日本商工会議所で当国来訪を呼びかけました。幸いにして離任間近の6月に、サンパウロJETROと協力して在伯日本企業の現地視察ミッションを実現しました。

 視察団は、官民との交歓を通じて税制面、労働面、治安面などの投資環境の優位性を知り、またアスンシオンの近代的景観や穏やかな雰囲気を肌で感じとりました。まさに『百聞は一見に如かず』を地で行く内容として参加者から大好評でした。

(注)この視察団に引き続き、アスンシオンで地域大使会議を開催し、伯、亜、ウルグアイ、チリ駐箚の同僚大使に今のパラグアイを実見していただけたことは望外の幸せでした。

3.日系社会の姿と将来

 ここで当地日系社会に触れます。その歴史は80年前のコルメナ地区への移民に始まります。開拓初期の苦難を乗り越えた先達が、戦後の農業集団政策に応じて続々と来訪する移住者を支援し、さらに移住者家族間での姻戚関係が重層化し移住地単位を越えた繋がりが形成されてきました。

 近年、日本人会への加入率低下が指摘されますが、これを日系人意識の低下と見誤ってはいけません。日本人会は、移住1世の「日本人」会員が、主に日本当局との折衝を目的に移住地単位で組織してきたもので、会員という枠を超えて幅広く「日系人」を包含しようとする意識が希薄でした。移住地を離れた都市部では会員メリットも少なく、むしろ日本人会組織が日系人から離れつつある現象でもありました。

 一連の80周年記念活動では、日本人会から縁遠かった人達、主に若手グループが積極的に参画して各種の文化芸術活動を行い、パラグアイ社会と融合した新たな方向性を示しました。さらに汎アメリカンの規模で若手グループ間に強固なネットワークが存在し、独自の「ニッケイ文化」の創造と普及を行ってきたことが確認されました。

 今後とも現地への融合が進んで行くのは当然ですが、日本としても、アイデアを押しつけることなく建設的かつ柔軟な方法で応援していくことが望まれます。

4.健全なパラグアイ政治情勢

 南米地域に共通の政治風景は、左右に大きく揺れる政治と権力の腐敗です。当国では来年4月に大統領選が実施されますが、再選禁止の現行憲法を修正する動きが昨年の年央から浮上、推進派と反対派とのつばぜり合いが続くなどやや不穏な地合いとなっていました。

 本年3月30日、米州開発銀行年次総会主催国として海外の参加者の注目を浴びるなか、突如、上院議長不在のまま推進派議員だけで憲法修正のための国民投票実施案を可決するという暴挙に出ました。これには一般市民も反発、翌日夕刻には議会建物への放火や警官による野党青年党員の射殺という騒乱状態になり、大統領官邸での年次総会公式夕食会もキャンセルされるなど、当国の好イメージを大きく傷つける異常事態となりました。

 騒乱自体は翌朝にはすっかり収まりますが、中南米諸国で多くの悪例を残してきた大統領再選問題、このことで近年培われてきた経済の安定や海外の信頼が損なわれることが危惧されました。しかし米大使館とローマ法王が異例の懸念声明を出したこともあり、大統領本人が再選には応じないと発表、意味を失った憲法修正法案が下院で否決されて一件落着しました。

 結果的にはこの騒乱で再選を巡る混乱が急転直下収束して『雨降って地固まる』、当国民主制成熟化にむけての貴重なステップとなりました。今回の事態は、憲法と民主制の原則に則った政権交代の良き実例として南米の歴史に刻まれるでしょう。

5.人脈形成についての所感 -茶道の力-

 最後に、筆者自らが亭主としてお点前をした『茶道(茶の湯)』を通じた人脈形成が、当初全く予期しなかった効果を挙げたことを報告します。(なお筆者は、大学時代の4年間茶道部にいましたが、それ以後は実践する機会はありませんでした。)

 大使公邸は大使館と同じ敷地にあり、豊かな緑と美しい庭園に囲まれています。公邸に隣接する100平米ほどの別棟は長く空屋でしたが、このタイル床の半分に畳を敷き、大使館所有の道具類を並べて≪風炉点前≫の茶室の外観を整えました。その和室しつらえの空間を正面に見る形で椅子点前用の立礼棚と客席用の椅子を設置し、茶室と『茶の湯』の雰囲気を、正座することなく気軽に味わい楽しめるようにしました。

 茶道は客の社会的地位にかかわらず同一作法であり、また点出し(たてだし:水屋から茶碗を運び出す)で10人前後まで簡単に対応できるなど、点前の所作さえ知っていれば、短時間で密度の濃いおもてなしができる利点があります。

 赴任して1ヶ月ほどで茶室を整え、お客のカテゴリーを問わず『茶の湯』でお迎えしました。大統領から閣僚、政治家、外交団、企業家、芸術家、文化人、学生など、また日系社会では医師、弁護士、婦人グループ、若手に至るまで、食前酒代わりに必ずお点前をして『茶の湯』を振る舞い、その回数は優に100回を超えました。

 さらに外部からの要望に応えて、大学、公会堂、催物会場など公共の場で『茶の湯』を実践しましたが、それぞれ参加者や観覧者に残した印象は想像以上に強いものでした。

 離任に当たり、大統領、副大統領、上下両院議長はじめ異口同音に『茶の湯』の思い出を語っていただき、あらためて伝統の力を実感しました。 昨年80周年の記念事業が、日系人だけの祝典に留まらず当国官民各層の協賛を得られた背景の一つに、『茶道(茶の湯)』を通じて、より深く、より広く築くことのできた『一期一会』のネットワークが役立ったのではないか、といささか自負していることを申し添えて結びとします。