剣道の種を蒔く


駐ガーナ大使 吉村 馨

 ガーナ共和国で大使を務めている吉村です。ガーナでこちらの人たちと剣道の稽古をしています。ガーナの剣道はまだ生まれて間もないものですが、本稿では生誕から今日に至る経緯をご紹介します。

 話は私がガーナに赴任する前の2014年夏にさかのぼります。私はその頃自宅近くの駒場体育館で週一回くらい剣道の稽古をしていましたので、赴任が決まり、ガーナでも剣道を続けられるかなと調べてみました。インターネットで検索しても「GHANA」と「KENDO」ではヒットしません。私の大学時代の剣道部同期が開いてくれた送別会でその旨を話したところ、参加者の一人が「とにかく防具を持っていけ」とまじめな顔で言います。このアドバイスを素直に聞くことにして、防具を担いでガーナに旅立ちました。

 ガーナと日本は今年外交関係樹立60周年を迎えました。90年前の1927年には野口英世博士がガーナに来て、黄熱病の研究に従事し、翌年ここで亡くなりました。このように遠い西アフリカの国としては、日本との関係が長く、深い国です。これを反映して柔道、空手はこの国に根付いています。毎年日本大使杯柔道選手権、空手選手権が開催され、多くの選手が参加して熱戦を繰り広げています。しかし残念ながら剣道が存在した形跡はありません。

 それでも折に触れて剣道をやっていたことを話していたところ、福島県の高校に一年間留学して剣道部に所属し帰国したばかりのマイケル、青年協力隊の和泉君、JICA所長の牧野さん等の剣道経験者が名乗りを上げてくれました。これらの人たちを中心に、まずは剣道のデモンストレーションをやろうということになり、2015年5月に実施しました。このとき防具は3セットしかなく、竹刀の数も数本でした。ガーナ人に木刀を見せたところ、これなら自分たちで作れると言い、すぐに見事な出来映えの木刀を15本作ってくれました。手作り感溢れるデモンストレーションですが、初めて剣道を見たガーナ人たちがその木刀を使って素振りをするところまでやることができました。

 デモンストレーション後剣道を習いたいというガーナ人が出てきました。とりあえず手持ちの竹刀と木刀を使って足捌きや素振りから始めることにし、場所も確保できて、2015年11月からスタートしました。基本ができるようになると実際に打ち合ってみたくなるのが人情です。一時帰国した際に窮状を伝えたところ、先生方、先輩、同期から多大なご厚情を賜り、防具は新品中古合わせて10セット、竹刀、手ぬぐいがそろいました。これを使って昨年5月から本格的な稽古を週一回のペースでやっています。毎回10人前後のガーナ人が参加しています。

 順調に進むと思われた稽古でガーナらしい問題に直面しました。稽古は毎週木曜日午後6時から国立競技場に付属する体育館(日本でいえば代々木体育館に相当)で行っています。なんと体育館の持ち主である国が電気代を払わないため、電気を止められて、ライトがつかないのです。ちなみにガーナの首都アクラは西経0度(子午線上)、北緯5度に位置していて、一年中夕方6時に日が暮れ、6時半には真っ暗になります。そのときはソーラーランタンを持ち込んで薄暗い中で稽古をしていました。今はだいぶ改善しています。

 ここで少し脱線してガーナの電力事情をご説明します。こちらの方がむしろ「大使館の窓から」にふさわしい内容かもしれません。

 ガーナでは2015年夏頃まで停電が頻発していました。公共電力が停電すると大使館は自前のジェネレーターに切り替わりますが、週168時間中100時間以上ジェネレーターに頼るという時期が続きました。ガーナのアカン語で停電のことを「dum sor」(ドウムソ)と言います。「dum」は「off」、「sor」は「on」という意味です。このような停電は政治社会問題となり、新聞、テレビでも「dum sor」という言葉を見たり聞いたりしない日はありませんでした。

 その背景として、ガーナはサブサハラアフリカの国としては電化率が高く(2015年時点で76%)、経済成長に伴って電力需要が伸びてきたことがあります。ただ発電能力もそれなりにあって(2015年時点で2,800MW)、ちゃんと発電できれば需要に対応できた計算になります。実際には、発電能力の56%を占めていた水力発電が、小雨等による水位低下で6割以下しか発電できない状態が続きました。一方で火力発電は、これを埋めるだけの発電能力がなかったことに加えて、燃料のガス供給が不安定、軽質油の調達が十分にできなかったという事情がありました。ここに至る要因はいろいろありますが、基本的には水力からより発電コストの高い火力にシフトしてきたにもかかわらず、それに見合った電気料金の値上げができてこなかったことにあります。さらに電気代をきちっと徴収できていませんでした。この結果配電公社、発電公社ともに赤字続きで、必要な投資ができない、燃料の輸入代金が未払いでツケを払うまで輸出国は売ってくれないという状況でした。これでは必要な発電はできません。

 停電は大きな政治問題となり、野党主導の大きなデモも行われました。政府も電力問題に本気で取り組みます。既存の発電所の能力アップ、IPPによる発電所の新規建設が実行されました。いくつかの案件に日本企業も関与しています。電気料金の値上げ(2015年12月に59.2%アップ)、発電用燃料調達財源確保のための燃料税の導入も実施されました。電気代の未払い対策として、当たり前のようですが払ってない人の電気を止める措置もとりました。実は電気代を払っていない人の筆頭は国の機関でした。それまでは払わなくても国の機関には電気の供給を続けるという「甘えの構造」がまかり通っていたのです。さすがに今回は国の機関も料金を払わなければ電気を止められました。

 これらの対策により電力事情は大きく改善しました。一方で払わないところの電気を止める措置は続いています。国立体育館のようにお金がないところはすぐには払えないので、電気を止められる状況が続き、夜の練習でもライトがつかないという脱線前のところにつながります。

 剣道の話に戻ります。稽古を続けていくと試合をしたいという声が出てきました。各方面と調整して去る8月5日に第一回ガーナ剣道選手権を開催する運びになりました。土曜日の午前中なのでライトの心配はありません。参加選手はガーナ人10人。防具、竹刀は人数分あるのですが、剣道着、袴は足らないので、多くの選手は柔道着やトレーニングウェアの上に防具を着けての参加です。試合前にはいざ試合となると中途半端な間合いでガチャガチャ打ち合う展開になってしまうのではと心配していました。しかしふたを開けてみるとどの試合もしっかりした一本が決まり、ホッとするとともに、心強く思いました。さらにここで打つのかという体勢とタイミングできれいな逆銅を決めるのを見たときは、彼らの身体能力の高さを再認識しました。サッカーでアフリカ人選手の足が予期しないところで伸びてくる、届かないと思ったボールに追いついてしまうという話を聞くことがありますが、それを彷彿とさせるような動きでした。

 こうしてガーナという日本から遠く離れた、でも関係の深い国に剣道の種が蒔かれました。ただ、この国に剣道が根付いていくためには、今後三年間、望むらくは五年間、剣道の経験のある日本人が一緒に稽古をしていく必要がありそうです。幸いなことに、現在大使館に勤務している遠海医務官と山下裕貴書記官が剣道経験者で、一緒に稽古をしています。今後も日本企業やJICA勤務の方も含めて、剣道経験者の日本人がとにかくガーナに一人か二人はいるような巡り合わせになることを期待しています。

剣道デモンストレーション 2015年5月16日
第一回ガーナ剣道選手権 2017年8月5日