第36回 宗教についての教育

元駐タイ大使 恩田 宗

 「世界青年の船」(シップ・フォー・ワールド・ユース・リーダーズと改名)では日本と諸外国の青年約300人が40日近く船上で生活を共にしながら相互理解と友好親善に努める。指導官を務めた高橋一生教授によると日本の青年達は一般に討論会での発言が活発ではないが宗教問題となると語学力というより基本的知識に欠けているため議論に全く入れないという。

 小中学校に「道徳」という教科があり音楽や図工並みに全体の授業時数の3~4%が割り当てられている。道徳心の涵養が目的で学習指導要領には宗教という言葉は出てこない。高等学校になると公民科の中の「倫理」という科目で宗教について教えてもらえる。教科書を見ると諸外国の教科書と比べれば大分簡略ではあるが三大宗教についての記述が載っている。しかし「倫理」は選択科目であって学生には不人気で教員も不足しているため実際に教えている学校は全国で半数位らしい。2009年の大学入試センター試験で「倫理」を選択したのは受験者の一割だったという。日本人の大部分は世界の諸宗教についての基礎教育を受けないまま高等学校を終えていることになる。

 確かに公立学校で宗教を教えることには問題がある。布教との境界が難しいからである。しかし多文化国家では国民相互の理解融和という観点から主要な宗教についての知識は不可欠である。英、独、トルコ、タイ、インドネシアなどでは公立学校で宗教・倫理は必修科目である。米、仏など政教分離に厳しい国でも歴史や社会・公民などの科目の中で世界の諸宗教の事情をかなり詳しく学習させている(大正大学「世界の宗教教科書」)。

 宗教は日本人の心の中では優先順位がそう高くない。NHK放送文化研究所による調査(2003年)では神又は仏を信じると答えた人が合計27%いるが宗教を全く信じないと答えた人も26%いて数はほぼ同じである。残りの約50%の人達は、神仏両方を信じると答えたり(21%)、身の安全・商売繁盛・試験合格などは祈願する(31%)、お守り・お札は身辺に置く(35%)と答えたりして、考え方が明確でなくご都合主義でもある。しかし世界には宗教を大切に思い信仰に真剣な人々が多くいる。グローバル化も更に進むであろう。これからの日本人には世界市民としての最小限の教養という意味でも諸宗教についての体系的な基礎知識を身につけて欲しいと思う。

 なお日本語にはreligionに当たる言葉はなかった。安政5年の日米修好通商条約で初めてこの言葉に接し宗法とか宗旨と訳した。それが明治2年のドイツ北部連邦との条約で始めて宗教という訳語が使われそれが一般に広く使われるようになったのは明治14~5年頃になってからだという。