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第35回 日本の外交記録

元駐タイ大使 恩田 宗

 日本の開国に至る徳川幕府末期の外交については批判されることはあっても高く評価されることはない。しかし彼等が残した外交記録(通信全覧及び続通信全覧の2,000余巻)は綿密で手抜きが無くほぼ完璧と言ってよい。外務省もその伝統を引き継ぎ設立された当初より外交記録の重要性を認めその保存に努めた。しかし残念なことに何回かの火災と敗戦で大量の文書を失っており現在外交史料館が保管している外交記録には大きな欠落がある。それでも戦前分48,000千冊と戦後分12,000冊の文書は日本近代史の史料として質量ともに最高のものとされている。

 明治10年2月外客応接所の暖炉より出火し庁舎(元黒田藩々邸)は全焼したが幸い執務時間中であり重要書類は焼失を免れた。関東大震災の際も庁舎は被災したが文書の大きな損失はなかった。しかし昭和17年1月通商局と調査局の火災の時は調査局で「外交文書」として編纂中だった明治10~20年代の外交関係と条約改正関係及び第一次大戦関係の文書約650冊を失った。昭和20年5月25日の東京大空襲では庁舎が全焼し各課保管の約20,000冊の文書を焼失した。本省耐火書庫に入れておいた文書(約22,000冊)と空襲に備え前年4月に疎開させた文書(条約原本などは日銀本店の地下金庫に、その他の文書約34,000冊は埼玉へ)は助かった。

 敗戦間際の20年8月7日、外務省は「絶対ニ第三者ニ任スルコトヲ防止」すべき文書の処理を決定し「極秘記録」として特別扱いしていた文書を含め機密文書を書庫から摘出し焼却した。その数約8,000冊で「極秘記録」とされたものは今1冊も残っていない。

 戦後、占領軍は満州事変以降のものを主として外務省文書約1,300冊(調書類を含む)を接収して米国に送ったが後に約600冊を返還した。別途東京でコピーを撮るため200万頁の文書(約4,000冊分)を持ち出したがこれは全て戻された。

 総じて、被害は満州事変以降の文書について大きくその期間の史実の詳細の多くが闇に包まれてしまった。幸いというべきか昭和8~14年の外務参与官・政務次官だった松本忠雄議員(外交史の研究家で蔵書家)が、在任中、外務省書庫の「極秘記録」を含む文書(特に中国・満州関係)を頻繁に持ち出し(時には自宅の書生達も動員し)丸ごと筆写していてそれが戦後遺族より寄贈され史料館に収まった。「松本記録」と言われる約300冊である。この密かに私のために作られた資料が闇に消えた歴史の一部の復元に貢献しているという。

 外交史料館は少ない予算の中で書庫スペースの確保、紙質の悪い文書の補修、記録の印刷公開などに苦闘を続けている。敬意を表したい。