タンザニアと東アフリカ(言語と回廊)
駐タンザニア大使 吉田雅治
タンザニアに赴任して2年と3ヶ月、アフリカについてタンザニアについて、日々の活動の中で、まだまだ発見、驚きの一方、この辺りで在勤者としての視点のような物が見えてきた。タンザニア或いはアフリカへの見方のご参考にして頂ければ幸いである。
1.成り立ち
タンザニアは、南緯1度から11度、南半球にあり、つまり赤道は北のケニアを通過している。国土面積は94.5万平方キロと日本の2.5倍、人口は5500万、ケニアと北で接する他ウガンダ、ルワンダ、ブルンジと北西、コンゴ(民)と西、ザンビア、マラウイー、モザンビークと南で接している。
このことからタンザニアと東アフリカを理解する2つの要素つまり言語、回廊或いは結節点が見えてくる。
2.スワヒリ語
アフリカをフランス語圏と英語圏に分ければ、タンザニアを含む東アフリカは英語圏とされている。実際ケニアでは英語が広く話されていることは、タンザニアにいても分かる。というのは、ケニア人はタンザニア人より英語が上手く、タンザニア人はケニア人よりスワヒリ語が上手い、というコンセンサスがあるように思われるからである。したがって、スワヒリ語がタンザニア、ケニアの公用語というのは知られていると思うが、ケニアが英語であるとすると、タンザニアについては、極論すればスワヒリ語が絶対である。国会の議論、日本のODAの引き渡しを含め式典は、大統領以下すべてスワヒリ語、英語の通訳は勿論なし。かく言う小官自身、式典でのスピーチは国連関係以外は、恥ずかしながらスワヒリ語で行っている。というか英語でやっても一般、特に地方の人には通じない。おかげで、読むというか読み上げるのは上達したが、会話は中々難しい。
ところが、このスワヒリ語、東アフリカ地域の共通言語になりつつある。実際昨年春のタンザニア北部アルーシャで開催されたEAC(東アフリカ共同体)首脳会議の際のケニア・タンザニアを結ぶ道路の起工式で、出席したタンザニアのマグフリ大統領、ケニアのケニヤッタ大統領、ウガンダのムセベニ大統領、ルワンダの担当大臣、ブルンジの副大統領が皆スワヒリ語でスピーチしたのは、印象的であった。ケニア、タンザニアの大統領が話すのは当然として、ウガンダのムセベニ大統領が原稿なしで地元のタンザニアの人々の笑いをとったのは感心した。同大統領は若い頃タンザニアで学んだので当然かも知れない。小官もスワヒリ語でスピーチした。その際、その後新規の加盟国になる南スーダンの副大統領、この方は自分はできないので申し訳ないと言って唯一英語でスピーチしたが、同国でもスワヒリ語を学校教育で教えることにしたいと述べていた。その後タンザニアの別の場所で、ルワンダのカガメ大統領のスワヒリ語スピーチを聞く機会があったが、笑いを取るほどとは言わないが、原稿を見ないで話していた。実際EAC諸国の他、コンゴ(民)、モザンビークのそれぞれ西部、北部のタンザニアとの国境地帯ではスワヒリ語が話されており、ダルエスサラーム駐在コンゴ(民)の大使はスワヒリ語で当地の人と話している。
このスワヒリ語、タンザニアの大きな部族の言葉ではない。むしろタンザニア本土の沖合の美しい島ザンジバルが発祥とも言われていて、アフリカ大陸のバンツー語系統に歴史的なつながりのあるアラビア語、ドイツ語、英語などの単語がかなり取り入れられている。たとえばwaziri(大臣)はアラビア語、shule(学校)はドイツ語から来ている。こうした事が受け入れ易さにつながり、今では、タンザニアの共通公用語として全土で話され、この点がタンザニアの政治的安定に寄与している事は間違いない、他方タンザニアの各部族言語文化が失われているとも、タンザニア特に地方での英語の通用度が低いと言われる所以ともなっている。この点インドネシアのバハサと似た成り立ちがあるように思われる。
3.結節点乃至回廊(EAC)
スワヒリ語がタンザニアと周辺国の間の共通言語になりつつあるが、もうひとつ周辺国とタンザニアを結びつけるのが物の流れである。タンザニア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、南スーダンを加盟国とする2001年成立の東アフリカ共同体(EAC)は、総人口1億5000万、本部はタンザニアのアルーシャ、現在の事務局長はブルンジ出身のムフムケコ氏。関税同盟や共通市場等を目指すなど、アフリカの経済共同体としては最も先進的に取り組んでいる。実際域内貿易量は2008年の17億ドルから2015年には55億ドル、タンザニアとケニアの貿易に至っては、同時期ほぼ10倍以上、タンザニアとウガンダの貿易については、3倍以上急増している。このことは相互の経済発展による経済連携もないではないが、特にウガンダのような内陸国については、タンザニアを経由した第三国との貿易という面も大きい。EACメンバーではないがコンゴ(民)との貿易は同時期5倍弱に増えている。
日本との関係でこれを象徴するのが、自動車である。タンザニアの輸入する車(大宗は日本の中古車、当地ではトヨタの中古車が多く走っている)月当たり約10000台の内、タンザニア向けは4000台、その他は3000台がザンビア、800台がコンゴ(民)、1200台がジンバブエ、その他、ルワンダ、ブルンジ、モザンビークに向けられている。つまり、大半がタンザニア以外に向けられている。東アフリカでは、ケニアの北部回廊、モザンビークのナカラ回廊が注目されているがタンザニアにも中央回廊といわれる回廊があり、上に述べた国々との物流が伸びているのは間違いない。
この回廊自体、各国の政治情勢、二国間関係、それぞれのインフラ整備状況、更には各国特に沿岸国の課税政策にも大きく影響され、ある意味競争している。実際2016年のダルエスサラーム港を経由する自動車の輸入量は前年比18.9%減少した。これは、一時港湾通過荷物の取り扱いに対するVAT課税が検討され(結局は取りやめ)、又南アフリカの通貨ランド安からダーバン港を利用する物が増加した爲といわれている。アフリカ大陸を俯瞰的に見る場合この回廊の動きから目が離せない。