第34回 時間とその長さ
元駐タイ大使 恩田 宗
時間はその時の気分や雰囲気で長くも短くも感じられ年齢によっても感じ方が違ってくる。小学生の頃は1学年の進級に長い時間がかったが大人になると1年などすぐである。貝原益軒も「養生訓」の中で老後は若い時の10倍の早さで時が過ぎると言っている。
時間については古典ギリシャの時代から多くの哲学者が思索してきた。しかし時間はフィクションで実在しない(人間が感知したことを順番に整理するための便利な構成概念に過ぎない)という説を含め此れで決まりだというような哲学説はないらしい。
時間は空間と相互に浸透しあった連合体だとしてその性質についてアインシュタインが最終的結論を出したかに見えた。しかしその後に現れた量子力学理論との矛盾が指摘され今もって両者を折り合わせるような理論は未だ出来ていないという。たとえそんな理論が出てきても宇宙や電子のような極大と極小の世界での話であって一般人が感覚的に納得・把握できるようなものではないだろう。それに最先端の物理学でも時間の構成要素については何も分かっていないという。
心理学者も時間を論じる。年取ると月日の経つのが早くなるのは生活が慣れたことの繰り返しで日々することの内容が薄い上に感受性や記憶力が衰えるからだと説明する。又、人が長い人生を振り返りアッという間だったと感じるのは人間の記憶では何10年前のことも昨日のことも鮮明度に変りなく横に並んでいて全てが昨日のことのように思えるからだという。しかし心理学でもそうした心理的時間の全てを体系的に説明し得る理論はないらしい。
動物学者の中には時間は唯一絶対のものではなく動物にはそのサイズに応じてそれぞれの時間があると説く人がいる。動物の心拍や呼吸の時間間隔はその体の大きさ(体重の4分の1乗、身長の4分の3乗)に比例しおり、ゾウとネズミの寿命は物理的時間では10対1以上の差があるが生理的時間で考えれば全く同じ長さだけ生きて死ぬこととなる、「一生を生き切った感覚は存外ゾウもネズミも変らないのではないか」と言う。(「ゾウの時間ネズミの時間」本川達雄)。
「時間とは何か」(C・H・ホランド)を訳した寺嶋英志はその「あとがき」にこんなことを書いている。人間は空間については全体的になんとか理解できても時間については今の瞬間しか把握することが出来ず全体を直観的に理解することが出来ない、『たとえ千年万年生きたとしても(死ぬときは)「ああ短い」と思うことになる』と。
時間に関する議論は論文や記事の数にして20世紀だけで18万を超えるという。群盲象を撫でる状況に似ていて時間の正体はまだ謎のままである。