ジョン・ル・カレの鷹のような目

元駐ギリシャ大使 齋木 俊男

 スパイ小説の大家ジョン・ル・カレの自伝的作品「地下道の鳩」の翻訳(加賀山卓郎訳 早川書房)が出たので読んでみるといろいろなことがわかってきました。ジョン・ル・カレことデイヴィッド・コーンウエルとは若い頃ちょっとした接点があったのです。時期は1961年から1~2年間。場所は当時西独の首都ボン。コーンウエル(以下ル・カレ)はイギリス大使館の二等書記官。私は日本大使館の三等書記官で、歳は先方が2つばかり上。きっかけは忘れましたが、似たようなランクの同業ということで知り会ったのでしょう。

 親しいというほどの仲でないながらパーティなどで見かけると話しかけるようになったのは、先方のドイツ語が達者でしかも西ドイツの政情について豊富な情報を持っていたからです。ル・カレのドイツ語は英米人に特有な訛がなくすこぶる流暢。英語が苦手な私には楽でした。また自伝が明らかにしたようにそのとき彼は実はイギリスの諜報機関M16に属しており、その事情からでしょう西ドイツ 政界の事情に表裏ともに通じていました。当時は1961年のベルリンの壁構築など東西冷戦が高まるなか、西独ではドイツ再統一が声高にしかし空しく叫ばれていた時代。今となればもう歴史の一部です。

 ル・カレの抜群なドイツ語力の由来は自伝で判明しました。彼は16才でイギリスのパブリックスクールを逃げ出して単身スイスに渡り、ドイツ語圏のベルンで暮らしベルン大学まで行きました。その後はイギリスに戻ってオックスフォードでドイツ文学を専攻したのです。卒業後もイートン校でドイツ語を教えていました。したがって彼のドイツ語能力は職業上訓練されたのではなく自発的に獲得したものです。ただプラス・アルファもあったようです。

 もともとル・カレがイギリスを出た動機は彼を苦しめる父親の支配を逃れるためでした。父親は希代の詐欺師で、子供に対して暴力を振るいながら詐欺の手先として使うような人物。そうしながらも父親は息子を上流社会に押し込むため工面してパブリックスクールに入れました。ル・カレがこの境涯から逃げ出した先がドイツ語圏のベルンだったのは彼自身の選択でした。問題はその先。

 ベルンに行って間もない17才のとき彼は母国の”その筋”から声をかけられました。つまり先行的にリクルートされたのです。相手はM15。イギリスの防諜(カウンタースパイ、今では対テロも担当する)組織です。ドイツ語要員として目をつけられたのでしょう。彼は少年時代に受けた愛国教育からこの”召命”を当然に受けとめたと自伝にあります。M15は学資金援助などしなかったようですが、彼がベルン大学からオックスフォードに移ったときは手を貸したのではないかと想像します。パブリックスクールを途中で逃げ出してドイツ語圏の高校・大学に進んだ若者が簡単にオックスフォードに入れるとは考えられませんから。彼はまた義務兵役に就いたこともあり、その配置先はウイーン。任務は防諜でした。当局の意向だったでしょう。当時のウイーンは第二次大戦後の分割占領期。「第三の男」の時代だったはずです。

 1956年、25才のル・カレは正式にM15に入ります。最年少の入局だったそうです。彼は4年間そこにいたものの防諜の仕事にあきたらず自らの希望でスパイ機関のM16に移籍しました。そして1961年、ボンのイギリス大使館に外交官の名目で着任した訳です。しかし大使館政務担当官としての活動は名目に止まらず実質的で活発でした。多くの人を集めたガーデンパーティーなどを自宅で開催し、何も知らない私は年齢とランクは大して変わらないのに大英帝国の外交官はさすがだと感心していました。以上は前置き、あるいは背景説明です。

 さてそのようなある日、ル・カレ、正確にはイギリス大使館コーンウエル書記官主催の自宅ガーデンパーティに招かれました。美しく快活な奥さんに紹介されていろいろ話しているうちに、奥さんが突然「主人は探偵小説を書いているんですよ」と言い出しました。まったく無邪気な話し方だったので、てっきり冗談か単純なホビーの話しだろうと思っていました。しかしやがて本当だったことがわかります。

 3年ほど後の1965年秋、私はニューヨークにいました。国連総会に随員として出席するためです。アメリカ英語と国連英語に苦闘していたある日、夜テレビをつけると聞きとりやすいブリティッシュな英語が聞こえてきました。「寒い国から帰ってきたスパイ」によって一躍世界的なベストセラー作家になったジョン・ル・カレのインタビューでした。本名の紹介はなかったものの、ほどなくその人物がボンで知り合ったデイヴィッド・コーンウエルであることに気づきました。

 奥さんがいう「探偵小説」はスパイ小説。しかも本格的著作だったのです。自伝をみると私が会った頃彼は初期2作を書いていて1冊はすでに上梓されていたことがわかります。次いで1962年後半「寒い国から帰ってきたスパイ」が雑誌連載の形で書き始められ、作品は彼がボンからハンブルクの総領事館に移った63年に出版されて大評判になりました。それとともに彼は退職したのですが、その間わずか2年ちょっと。しかも忙しい大使館勤務の間に先行2作品に続きスパイ小説の古典となるような傑作が書き上げられたわけです。その才能とエネルギーには驚嘆するほかありません。

 このように具体的なことがわかってくるとル・カレすなわちコーンウェルがにわかに身近な人間に感じられるのですが、考えてみれば私と彼との間にはボンで数回程度の出会いとアメリカのテレビ画面というわずかな接点しかありません。しかし私にはその後も長い間つねに気になっていた生々しい記憶が一つあります。

 同じガーデンパーティーだったでしょうか。私は庭先で他の招待客の誰かとドイツ19世紀の文化について話していました。そして私が一言「ヘーゲルが・・・」と言った瞬間、すぐ隣の話の輪にいたル・カレが私の方を振り向いて鋭い眼光を浴びせてきたのです。ポートレート写真で見るとおりル・カレは英国流の男前です。整った相貌の真ん中のふさふさした眉毛の下からは深い眼差しがのぞいています。ふだんは穏やかなその眼差しがそのときは異様に厳しく、まるで鷹の目のようでした。彼は何も言わずそのまま行ってしまいましたが、私は後々「何故だろう」と考えました。たしかに「ヘーゲル」は外交団パーティーにうってつけの話題ではなかったかも知れません。しかし咎められるほどのことではなかったはずです。

 原因がドイツ観念論に対する彼の嫌悪感にあったと気づいたのはまとめて作品を読んだ最近のことです。彼はスパイ小説のなかで観念論の是非を論じるような野暮なことはしません。けれどもたとえば「ドイツの小さい町」を読むとイギリス人から見たドイツの政治。ともすれば観念論的な議論に傾きがちなドイツ政治に対するイギリス人の不信感あるいは距離感のようなものが伝わってきます。「ドイツの小さい町」は西独の臨時首都だったボンのこと。私とル・カレが勤務していた時代の在ボン・イギリス大使館が舞台で、小説に描かれている館内会議の議論などからこのことがうかがわれます。

 観念論はドイツ文化の特長の一つです。それを嫌うル・カレが一体ドイツのどこに惹かれたのか当然疑問になります。答えは自伝のなかにありました。ドイツロマン派の叙情と教養小説(ビルドゥングスロマン)の伝統と彼は書いています。

 叙情といってもル・カレの作品はロマンティックな情緒に溺れることはありません。しかしロマン主義には隠れたデーモン的なもの、その不気味さに惹かれる心情があります。それこそまさにスパイ小説や探偵小説の魅力であり、ル・カレがいう「ロマン派の叙情」でしょう。またロマン主義には漂泊の魂があります。ロマン的漂泊の心が少年ル・カレをしてイギリスからスイスへと駆りたてたのでしょう。そして作家となった後は、海に臨むコーンウオールの断崖上とスイスアルプスを望見するベルン高地の山小屋という遠く離れた二つの仕事場を行き来して創作を続ける作家活動の駆動力ともなったでしょう。他方ドイツ教養主義の思想、つまり人間は遍歴と修行によって成長するという考え方は現在のル・カレにとって単純に見えるようです。けれども彼の暗くて重い作品群が不毛なニヒリズムに陥らないのはどこかに人間性に対する希望があるからで、その希望はドイツ教養主義のヒューマニズムに通じるものでしょう。

 ル・カレとドイツの関係は作品にも反映されています。なにより全作品を通じて目立つのはドイツの諸都市がしばしば舞台になっていることです。たとえば近年の「誰よりも狙われた男」の主舞台はハンブルク。主人公はドイツ人の若い女性人権派弁護士です。

 自伝の表題「地下道の鳩」の由来は10代なかばの少年ル・カレが父親のギャンブル旅行の道連れにされてモンテカルロに行ったとき目撃した光景です。カジノ近くのスポーツクラブに属する射撃場の芝生の地下にはいくつものトンネルが掘られていて、カジノの屋上で生まれ捕獲された鳩が入れられている。鳩たちが地下トンネルの出口から地中海の空に向かって飛び出すと余暇をもてあます紳士たちがショットガンで撃つ。幸いにして弾に当たらなかった鳩が帰趨本能で戻ってくるとそこには同じ罠が待ち構えている・・・。この光景はル・カレの心に焼き付き、彼のすべての作品の仮のタイトルになったと自伝に書いています。また鳩たちは理不尽な父親の仕打ちに悩やまされる少年ル・カレの姿とも重なるでしょう。

 ル・カレのすべての作品は体制や組織、思想や大義によって押しつぶされてゆく個人。英雄でない普通の人間を主人公にしています。そこに正義感やヒューマニズムに発する怒りが込められていることは明らかです。ただ怒りは登場人物たちの言動を通じて表現され、一般論として主張されることはありません。ル・カレの思想についてはいろいろいわれますが、私は彼の透徹したリアリズムを評価します。酷薄な現実をたじろがず見つめる目。あの鷹のような目。同じ目は自己の内面や弱さにも容赦なく向けられます。彼の現実主義文学にはときにきわどい場面も出てきますが、一部の論者によればル・カレのようなリアリズムはイギリス文学の伝統だそうです。”ごった煮のシェイクスピア文学”(小田島雄志)にもそれが感じられるでしょう。

 ところでヘーゲルによれば世界精神(神や理性と同義)が弁証法的展開によって自己実現する世界史は自由の進歩の歴史でもあるはずなのに、流れは専制国家プロイセンで止まってしまいます。このことはプロイセンが啓蒙君主制だった事情を考慮しても奇妙です。そういう観念論とル・カレのリアリズムの相性が良くないのは当然です。

 冷戦が終わりスパイ小説は種切れになったと思っていました。ところがル・カレはアジア、アフリカ、中東など世界の紛争地域の現場にみずから乗り込んで取材し、国際政治社会クリミナル小説とでも呼ぶべき分野を開拓して活発な創作を続けてきました。その結果、第三世界への医薬品供与を巡る巨悪が背景の「ナイロビの蜂」などポスト冷戦期も傑作多数です。イスラエルとパレスチナのテロ応酬を背景とする「リトル・ドラマーガール」は奇想天外なトリックが楽しめます。同時に公正や正義を考えようとする人たちにとってル・カレのリアリズムは参考になるでしょう。彼はイスラエルとパレスチナの双方に理解を示しながらいずれの側にも肩入れしないし、中東を巡る諸大国の動きには自国イギリスを含め厳しい目を向けています。チェチェン紛争とロシアの腐敗を背景にする「誰よりも狙われた男」も面白い。2013年の最近作「繊細な真実」はイギリス外務省が舞台。功名心に駆られた政治家副大臣の違法行為を内部告発する動きと機密保護体制の相克がテーマですが、筆勢は衰えていません。そして昨年85才で発表したのが自伝です。自伝によって区切りをつけたのかも知れません。しかし不確実で不安定、真実や道理はそっちのけの「ポスト・トゥルース」が蔓延るこの世界でル・カレの評価は最近再び高まっているようです。もし彼が今後も創作を続けるなら、心から健筆を祈りたいと思います。