サンパウロで『天の声』を聞いた話
中南米局長 前在サンパウロ総領事 中前 隆博
平成25年から29年7月まで、ブラジリア(大使館)とサンパウロ(総領事館)に勤務しましたところ、少し挿話風になりますがその観察報告です。意見はすべて個人のものです
プロローグ
私は4年前に在ブラジル大使館に転勤になるまでブラジルとは殆ど仕事の縁がなく、逆に、この大国に対して抱く些かの反発をバネに仕事をしてきました。メキシコや中米の先住民文化に親しみ、ブエノスアイレスの魅力に心酔した者として、「隣の大国」の存在に何かと苛立ち、ブラジルとの親交を語る同胞に嫉妬し、この化けの皮を剥ぎ取ってやると意気込んで着任したのでした。幸い(もとい、不幸にも)、2ヶ所で四年もこの国に住むことになりました。
ブラジルの「歴史認識」
「我々は日本人から学ばねばならない多くのことがある。ジャパン・ハウスは必ずやその発信拠点となるだろう」
「日本人が、その国民という最も貴重な財産をサンパウロに送ってくれたことに重ねて感謝したい」
「サンパウロの日本人は規律、勤勉、家族愛、伝統の尊重という美徳を示しながらブラジル社会と絆を深めてきた」
これらは、去る4月30日、ジャパン・ハウス サンパウロの開会式でテメル ブラジル大統領、アルキミン サンパウロ州知事、ドリア サンパウロ市長それぞれがスピーチで述べたものです。外国の広報施設の開会式に国家元首から市長までが揃い踏みすること自体異例のことですが、私はこれらの政治家が口を揃えて、ブラジルに日本人が来てくれてよかった、ブラジルは日本人からいいことばかり学んできたなどというセリフを全国向けテレビカメラに向かって発言していることには素直に驚いています。
実は、似たことは在任中の地方出張で何度も経験してきました。サンパウロ州にある日系人の団体は200とも300とも言われ、私はしばしばお招きを頂いてその慰霊祭や日本祭りに参加します。そこではほぼ例外なく市長夫妻(大半は非日系)が現れ、仏式の法要で開拓先駆者のお墓に手を合わせ、式典では「私たちは日本人移民から規律と誠実の文化を学んできたのだ」とアジるのです。
しかし今回の開館式では、現職大統領、次の大統領を狙う州知事、「次の次」を見据える市長がそれを全国レベルでやってしまったということです。
いずれも、会場の日本人に対する外交辞令ではないことは明らかです。政治家にとって歴史の語り方(ナラティブ)は重要です。これらの指導者の発言は、テレビやインターネットの向こう側で「そのとおり」と頷いている有権者があり、そういう歴史観を示すことが自らの政治的な立場にも有利と判断してのものであるとみるべきでしょう。
昨年8月5日夜、リオデジャネイロで開催されたオリンピック開会式の冒頭は、ブラジルの民族史を回顧するアトラクションでした。テレビで生中継をご覧になった方も多いと思いますが、先住民、ポルトガル人、アフリカ人、アラブ人に続いて、明らかに日本をイメージしたコスチュームを身にまとう「アジア人」の一団が入場し、満場の喝采を浴びました。ブラジルのテレビ中継は「日本人は今や第五世代に至り、ブラジル社会に完全に同化しつつその発展に貢献している」と興奮気味に伝えていました。この光景は全世界の30億人の視聴者に生中継されたと言われます。後日、 著名な映画監督でこの開会式の総合プロデューサーを務めたフェルナンド・メイレレス氏をお伺いしてお礼を申し上げたところ、メイレレス監督は、実はその同時刻に広島で平和祈念式典が行われていることが気になっており、8時15分に開会式会場で黙祷することを提案したがIOCの一部の反対で実現しなかった、自分はその代りに何とか日本人を顕彰したいと思い日本人移住者を登場させたのだ、と答えていました。ブラジルの一世一代のイベントを企画する人がこう考え、これを会場の国民が大歓声をもって支持し、これを全世界に向け発信して憚らない。
ちなみに現在ブラジルの日系人は推計190万人、全人口の約0.8%です。
「盆踊り」やってます
サンパウロ州の内陸では盆踊りが盛んです。日本で盆踊りは8月と決まっていますが、ここでは4月から12月まで、年中通して各地で開催されるのです。地元の公式行事として、市制創設記念日に合わせて実施されるためです。日系人家族は数十世帯から200世帯くらいです。盆踊りには1,000人単位の参加がありますが、ほとんどは非日系人です。彼らが炭坑節や東京音頭を踊りながら櫓の周りを旋回する光景は圧巻です。生バンドが炭坑節を演奏する本格的な所もあります。若い人も多く、コスプレ族も踊っています。
ところで、実はこの若者たちは盆踊りが終わるのを密かに待っています。ご長老たちが退場するや否や、彼らは櫓の音響設備を占拠し、Jポップを鳴らしてカッコよく踊りながら櫓の周囲を回り始めます。これは「マツリダンス」と呼ばれています。もちろん、大半は非日系の若者です。
最近子弟の高学歴化や日本へのデカセギの影響で地方の日系社会の過疎化が進み、一部の集住地では盆踊りの開催が難しくなっているところがあります。地元大学の学生などによるボランティアや、公立学校が共催する形で継続を図っているところもあります。
和食流行ってますけど、何か?
日本からのお客様は大抵シュラスコをご所望になりますが、最近当地の高級シュラスコレストランのビュッフェには必ず寿司と刺身が並んでいます。子供に寿司をねだられて親が連れてくるのだそうです。そこに日本では見られない寿司もあります。例えばイチゴの細巻きです。顔をしかめる方もおられますが、アンパンやイカ明太スパゲッティと同じ現象であるといえばご理解いただけるでしょうか。材料はイチゴ大福と同じですし。
サンパウロで人気のファストフードは手巻き寿司です。チョココロネのような大きさで、一つ食べれば満腹になりますが、これが流行っているのです。この手巻き寿司を売る店をテマケリア(手巻き屋)といいます。「サンパウロにはローマより多くのピッツァリアがあり、ピッツァリアより多くのテマケリアがある」と言った人がいました。本当かどうかわかりませんが、マクドナルドより断然多いのは確かです。
ブラジルの代表的なカクテルはカイピリーニャ、カシャサというスピリッツをレモンと砂糖で割ったものですが、近年若い女性の間で流行しているのはサケピリーニャ(カイピサケと呼ぶ人もいる)。カシャサの代わりに清酒をベースとするもので、飲み口がソフトでお洒落なのだそうです。地元の清酒メーカーはこのおかげで売り上げが3倍になったと聞きました。
サンパウロの隣の南マットグロッソ州は沖縄出身の移住者のご子孫が多く住んでおられます。その州都カンポグランデには沖縄そばのテーマショッピングがあります。沖縄そばを売るレストラン約30軒が味を競い、週末は1万人近く人が集まるそうです。これの創業者で今も経営しているのはドイツ系ブラジル人女性です。
ブラジルに野菜果物を持ち込みブラジル人の食生活を変革したのが日本人移住者であることはよく知られています。今でもサンパウロの近郊農業や花卉栽培は大半が日系人ですし、スーパーの野菜売り場にはカボチャ、サトイモといった日本野菜が普通に置いてあったりします。ブラジル南部のサンタカタリーナ州で日系人が富士リンゴの栽培に成功し、アルゼンチン産のリンゴがブラジルからほぼ駆逐されてしまった歴史もあります。首都ブラジリアには一万人余の日系人がおられますが、その始まりは、新都の建設にあたり時の大統領からの要請を受け、不毛の荒地に移り住み野菜を作りはじめた人たちと聞きました。
一方で本格的な和食のレベルは高く、ミシュランガイドではサンパウロに星付きのレストランが13軒ありますが、うち5軒が和食です。
社会現象としてのジャパン・ハウス
ジャパン・ハウスは日本政府の新たな戦略的発信事業で、ステレオタイプに囚われない正しい日本の姿を示し、これまで日本に馴染みのない人を含め広く親日派知日派の形成を期するものです。本年4月、その第1号がサンパウロでオープンしました。開会式の模様は冒頭の通りです。三宅純と坂本龍一を招聘した開館記念コンサートには15,000人の観衆がありました。ジャパン・ハウスは、週末は入館に1時間の行列ができます。公開後2ヶ月を待たず入館者が16万人を突破しました。企画の時点で年間目標を15万人とする案に対し、それは少し強気に過ぎないか、とのやりとりもあったそうですが、今はそれも微笑ましい笑い話になってしまいました。
加えて関係者が注目するのは館内の静寂さで、ブラジル人がこんなに静かに鑑賞しているのは驚きだ、とブラジル人のスタッフが言うので、面白いものです。
さる有力な経済人が、長年日本とブラジルは経済的な補完関係にあると言われてきたが、ジャパン・ハウスを契機にむしろ精神的な補完関係の強さを痛感した、と漏らしていました。いま、サンパウロではジャパン・ハウスがちょっとした社会現象になっています。
ちなみに、ジャパン・ハウス サンパウロの現地事務所は約30名のスタッフを擁していますが、日本国籍者は1人のみで、他は企画責任者も含め全てブラジル国籍です。
エピローグ
日本人によるブラジルへの組織的移住は戦前戦後を通じて約24万人で、1970年代に終わったとされています。しかし私は、実はまだ日本人移住が続いていると見ています。日本企業の駐在員が転勤命令を機に会社を辞めてブラジルに居残ったケースや、定年退職後ブラジルに永住する人が周囲に結構いるのです。
ブラジルは世界一の親日国だと、これまで諸先輩から散々聞かされてきました。しかし圧倒的多数の国が親日を標榜する今日の世界です。珍しくもない、いったいブラジルは何が違うのかと、問い続けてきました。
少なくとも、オリンピックや様々なお祭り、食文化からジャパン・ハウスまで観察するにつけ、ブラジルでは日本人移住を軸に日本と共有してきた歴史を誇りに思い、今も日本文化の吸収と同化を進めることを国民の各層が真剣に考えているのだと感じます。これは、これまでいずれの「親日国」でも経験できないことでした。
ある日本企業の方が「ビジネスをやっていて日本人が心から尊敬されていると感じるのは台湾とブラジルくらいのものだ」と仰っていましたが、その辺りが当地の日本人が共有する実感に近いのかもしれません。
長年「重度アルゼンチン中毒」を自称し、ブラジルへの改宗はしないと言ってきましたが、最近、「頑張らずともよい、素直に認め早く楽になるがよい」という声がどこからともなく聞こえてきます。離任を間近にサンパウロで話題の映画が遠藤周作の「沈黙(サイレンス)」というのは、私には非情な皮肉です。