日本とエストニア--把瑠都関、音楽、スカイプ

甲斐 哲朗
前駐エストニア大使 甲斐 哲朗

<エストニアとは?>

エストニアというと、何を思い浮かべられるだろうか?バルト海やバルト三国、あるいは大相撲で活躍した杷瑠都関、NHK交響楽団の常任指揮者・パーヴォ・ヤルビィ氏であろうか。ITやスカイプ、更に日本が今年から導入したマイナンバーは、エストニアの経験やノウハウが大いに生かされている点はどうであろうか。

このような問いかけをしたのは、次のような話を聞いたからでもある。数年前、把瑠都関の現役時代に来日したエストニアの高官が、日本で把瑠都関がどの程度知られているのだろうかと思い、観光中の浅草で通りがかりの日本人10名に把瑠都関のことを聞いたところ、10人全員が知っていると答え、びっくりしたという。ついでに、エストニアのことを聞いたら、ほとんどの答えはNOであったが、同人は当時の両国関係を考えると、さもありなんと妙に納得した由。

その後、特にこの数年IT・サイバーを中心に日本とエストニアの関係は飛躍的に発展している。この点、一部関係者の間では知られているが、一般的には、エストニアに対する認知度はまだまだ低いのが現状であろう。

そういう私自身も、2012年にエストニア赴任の内示を頂いた時、恥ずかしながらエストニアがどこにあるか、即座に思いつかなかった。欧州の北の方であろうとは思ったが、それまでだった。これが地理の試験だと落第だったに違いない。その後、早速エストニアのことを調べるとともに、赴任直前の2012年秋、杷瑠都関夫妻と会食する機会を得た。その時、把瑠都関はあいにく膝を痛め休場中であったが(その1年後に引退)、快く会食に出かけて来てくれた。相撲からITや音楽まで色々なことに話題が及び、最も重要な「事前ブリーフ」となった。杷瑠都関の親しみやすい人柄もあり、エストニアが非常に身近に感じられ、赴任がとても楽しみになった。

簡単におさらいをすると、エストニアは北緯59度、バルト海を挟んでフィンランドの対岸、バルト三国の中では最も北方に位置する。面積は九州よりやや広く、人口は130万人(そのうち25%はロシア系)。例えば、デンマーク(人口約560万)、オランダ(人口約1、700万人)と比較すると、エストニアの面積は、両国より多少広いが、人口は圧倒的に少なく、国土の半分以上は自然林に覆われている。25年前にソ連から独立し、その後短期間のうちにEU,NATO, WTO,OECDに加盟し、またユーロを導入し、スカイプの開発で知られるIT先進国となった。政治的には安定し、GDPの2%を防衛費に回す等国防には常々意を用い、経済的には堅実(例えば、国債発行ゼロ)。エストニア人は人種的、言語的にフィンランド人(フィン・ウルゴ語系、それはハンガリー語と同様に起源は東方)に近く、その特色として、忍耐強く、注意深いと言われる。長年大国の狭間で生きてきた人々の英知であろう。

<知日・親日的、でも距離感>

実際にエストニアに着任し、よくわかったのだが、人々はとても知日・親日的である。よく言われるのは、25年前の独立の際、指導者や一部識者は自国の将来を考えるに、再びロシアに戻りたくはないと思いつつ、地図上に目をやると、ロシア、中国ほど大きくはないが、その東方にある経済大国で伝統文化もある日本の存在に目が止まったという。このような関心が意識の底辺にあるためか、黒沢映画から日本のアニメやコスプレを含め、日本の文化や伝統に幅広い関心がもたれている。人口40万人の首都タリンには寿司屋・カフェが30軒近くあり、スーパーマーケットでも寿司弁当が売られている。毎月の新車登録台数は日本車が1位であり(近隣のドイツ車ではない)、村上春樹氏の最新作のエストニア語版が店頭に並んでいる。欧州の日本研究学会の会長が最近までエストニア人の大学教授だったし、主要上位3大学に日本語講座があるといった具合である。そこに把瑠都関の活躍が拍車をかけた。他方、多くのエストニア人にとり、日本文化を実際に体験したり、あるいは日本へ行ったりする機会はそう頻繁にあるわけではなく、日本はまだ遠い存在である。

<日本とエストニアの3つのS>

このような両国間における相互認識の差異ないし質的違いに鑑み、着任後、2つの対策をとった。一つは、地味ではあるが、日本のビジネス関係者等にエストニアの基本的な経済情報(英語)を定期的にメール送信することにした。エストニアとのビジネスを考えようにも、普段から経済情報(英語)にあまり接する機会がなく、イメージがわかないとの指摘に応えようとしたもの。この3年間でメール送信先は3倍に増えた。

次に、日本人とエストニア人がより親近感を抱けるようなキャッチ・フレーズがないものかと考えた。それで思いついたのが、日本とエストニアの「3つのS」である。日本とエストニアには、「意外と身近に共通なものがあり、お互いに思っている程遠く離れてはないのではないか。その共通なものは、把瑠都関の相撲のS, 歌うこと=singingのS、そしてスカイプのS」である。

エストニアでよくこの話をしたり、投稿もした。その具体的な効果は兎も角として、交流関係のある長野県佐久市とエストニアのサク市(同音でSaku)のSを追加してはどうか、酒・寿司・SAKU BEERもあるではないか(佐久市も日本酒で有名だが、エストニアのSAKU市はビール生産で知られる)、スカイプ・ソニー・シャープはどうか、また、EUのいわば“首都”ブラッセルとエストニアとの間には国がいくつかあるが、(微笑みながら)エストニアと日本の間には一カ国だけではないか(その国はやや大きいが)、国名も以前はSで始まっていた等いろいろな反応があった。言葉の遊びといわれるかもしれないが、更に両国のことを考えるための取っ掛かりになったと思う。 本稿では、「3つのS」を敷衍しつつ、最近の日・エストニア関係を振り返ってみたい。

<相撲のS>

相撲のSであるが、把瑠都関は、現役時代から日本、エストニア双方でとても人気があり、知名度も高く、まさしく両国を繋ぐ懸け橋である。特にエストニアでは対日関心を「力強く、グイグイと引き寄せて」くれている。

相撲界のデカプリオと言われた杷瑠都関だが、彼と話すとよくわかるのは、「気は優しく力持ち」と云う言葉は、まさに彼のためにある。「気は優しく」は気がよくつくことも含み、例えば食事や社交の場でもさりげなく気配りをしている。「力持ち」には精神的強さを含み、具体的に相撲社会での苦労話などを聞こうとすると、彼は「自分の意志で相撲界に入ったものですから」と云って、それ以上は語らず、凛としたものを感じさせる。そして、話し方は簡潔明瞭で、反応が早く的確でユーモアもある。

ちなみに、把瑠都関もそうだが、夫人のエレナさんも日本語が達者であり、LINEのメッセージをもらっても、それは日本人と全く変わらない。お二人に日本語上達の秘訣を聞いたら、杷瑠都関は笑いながら、自分はタニマチとカラオケのお陰と云っていた。二人曰く、たまに口げんかをする時は「中立的な共通語」である日本語のことが多いとのことであり、私から日本語が二人の「喧嘩用語?」と茶々を入れたら、二人曰く、日本語の方が感情移入は少なくなり、話がこじれないとのこと。良き夫婦仲のための、新しい日本語の使い方かもしれない。

エストニアはもともとスポーツがとても盛んだ。人口が少ないこともあり、一旦外国で活躍する選手が出現すると、英雄である。杷瑠都関も然りである。杷瑠都関の地元ラクベレー市には以前より「バルト・ドウジョウ」というスポーツ施設があり、子供たちが相撲の練習をし、全国相撲大会も開かれている。最近では、昨年11月、欧州相撲大会が同地で開かれ、独、旧東欧諸国、ロシア等10か国から約350名の選手・役員が参加し、杷瑠都関も幹事役を務めた。参加者はみんな把瑠都関の日本での活躍は知っているものの、彼自身はあまり表に出ず、裏方としてさりげなく目配りをしていたところ、いかにも彼らしい。相撲以外でも、日本武道では空手、柔道、合気道、剣道等の愛好会がある。

地元メディアもヒーローである杷瑠都関の一挙手一投足を報じる。現役引退後もマスコミの関心は薄れることはない。把瑠都関が引退表明直後一時帰国した際など、各紙が一面トップの大きな写真入りで大々的に報じ、翌日の把瑠都関の記者会見では、専門誌を含め約60名の記者(これはエストニアでは凄いこと)が出席し、杷瑠都関は日本とエストニアのために引き続き活動したいと力強く語った。

翌14年2月の断髪式、6月の杷瑠都関とイレナさんとの正式な結婚式の様子も大きく報じられた。結婚式・披露宴は、正午過ぎの教会でのミサから始まり、未明まで続いた祝宴でお開きとなった。バルト海に接する美しい教会でのミサが終わると、そこから祝宴会場のバルト・ロッジ(把瑠都関と御母さんが経営する、自然に囲まれた宿舎)まで、杷瑠都関夫妻が乗った車を先頭に約50台の車列が2-3時間かけ、ゆっくり移動した(直行すれば30分程度)。その間、3か所ぐらいに止まり、結婚を祝ういろいろなセレモニーが行われた。例えば、消防隊(杷瑠都関はその全国組織の名誉顧問)が放水して杷瑠都関の乗った車を歓迎するとか、コウノトリの巣がある大きな木の下にしつらえられた簡単な台所セットで新婦のエレナさんが食事の支度をするしぐさをする、などである。その時、全く偶然だが、大きなコウノトリが巣に舞い戻って来て、日本から参加したファンやメディアを含め、出席者は大いに盛り上がった。祝宴では、杷瑠都関のお母さんの得意の豚料理を堪能し、宴は未明まで続いた。

最後に把瑠都関の知名度の高さを物語る2つのエピソードを紹介しておきたい。小さなエピソードは、把瑠都関が自動車免許を取るべく路上練習を受けていたら、その車が故障したとかで、そういうことまでニュースになる。大きなエピソードとして、断髪式後、タリンとタルトの2都市で杷瑠都展(化粧回し等相撲にまつわる品々の展示)が長期間開かれ、多くの人が観賞した。2015年2月のエストニア独立記念日式典では、イルヴェス大統領のスピーチ後、過去一年間を振り返るべく、主だった出来事のスティール写真を綴ったドキュメンタリーが上映された。エストニア・欧州以外では、杷瑠都展のオープニングでの杷瑠都関と私の写真と9月のオバマ大統領のエストニア訪問だけだった。無論、独立記念日式典の様子は全国にTV生中継された。

<SingingのS>

次のSはSingingであるが、エストニア人は歌う民族と云われ、合唱が盛んである。5年に一度、歌い手、聴衆合わせて数万人の人々がひとつの会場に集まり、歌の祭典(ユネスコ無形文化遺産)が開かれる。これは圧巻である。そこで、エストニア人も歌うことが好きだが、実は日本人もカラオケを発明したぐらいなので、歌うことは大好きであると言うと、なぜかエストニアの人々にはとても受けた。

このsingingにクラシック音楽も含むと解すると、この分野でも日・エストニア関係は急速に発展している。2014年には、エストニア人の世界的な作曲家であるアルヴォ・ペルト氏が高松宮殿下記念世界文化賞(音楽)を受賞し、その授賞式の様子は、エストニアTVの音楽番組で繰り返し放映された。世界で最も演奏されているクラシック音楽の現役作曲家のひとりであるペルト氏は、欧米では極めて知名度が高く、2年続けて天皇誕生日レセプションに出席頂いたが、多くの出席者が同氏を囲み、歓談、記念撮影をしていた。同氏は80歳だが、とても若々しく、ユーモアを解する人である。公邸での会食の際、少年時代の自分が自転車に乗っている姿を描いた小さなモニュメントが把瑠都関の故郷、ラクベレー市の広場に建っているが、自分の貢献は些細なものであり、それに比し杷瑠都関の貢献は質的にも物理的にも非常に大きく、今後ラクベレー市は巨大な杷瑠都像を建てざるを得ないのではないか、とユーモラスに述べていた。

そして昨年9月,NHK交響楽団の常任指揮者にエストニア人のパーヴォ・ヤルヴィ氏が就任した。ご案内の通り,前職はパリ交響楽団の常任指揮者で、世界中で活躍している。彼の父親も指揮者で、音楽一家として知られている。彼の日本でのコンサート・チケットがなかなか取れないと聞き、内心嬉しく思った。東京へ赴任する直前の公邸での会食にて、ヤルヴィ氏はこれまでも何度か訪日しているが、日本の音楽ファンのレベルはとても高く、東京での指揮が待ち遠しいこと、そして毎年6月末、エストニアの故郷で世界中の若手指揮者を招いて音楽祭を開いているので、今後は日本の若手指揮者も招き、交流を深めたいと述べていた。

<スカイプのS>

3つ目はスカイプのSである。エストニアで開発されたスカイプは、日本を始め広く世界で利用され、エストニア人の誇りである。インターネットを使った無料通話システムで、画像も含む。語学レッスン始め、色々な使い方がある。ユニークな使い方は、スカイプ・ランチやディナーである。単身赴任の日本人が週末に東京に残した家族とスカイプを繋ぎ、画像を見ながらランチ(時差の関係で東京はディナータイム)を楽しみ、家族団らんに役立っている。

スカイプの開発はエストニアのITレベルの高さを意味する。高度にIT化した行政サービスや社会インフラがあり、ビジネス面では水準の高いスタート・アップ企業が活躍(スカイプもその一例)し、サイバー面では、過去の苦い経験からNATOサイバー・センターが置かれ、実践的訓練や対策(いわゆるタリン・マニュアルを含む)が実施されている。具体的には、インターネットで納税は5分、新会社設立登記は30分で完了し、WIFIは全国津々浦々で利用可能(無料)であり、世界で唯一、国政選挙もインターネットで行われているといった具合である。そこで在勤・生活して一番感動するのは、効率化が進み、とにかく待ち時間が少ない、ということである。このようなエストニアのIT化は欧米でもよく知られており、IT担当のEU副委員長はアンシップ前エストニア首相が務めている。独立100周年に当たる2018年にEU議長国に就任するエストニアは、この分野での進展を意図し、また、インターネット・アクセスは基本的人権と認識し、いろいろな場でその推進に努めている。

わが方との関係では、本年1月から導入されているマイナンバー制度は、エストニアの制度(IDナンバーという)が随分参考にされている。そのため2013年夏から2015年にかけ、エストニアの制度に関する情報入手・意見交換等のため、日本とエストニアの人的交流が飛躍的に高まり、また定期的なIT・サイバー協議の場も設けられている。また、日本側の友好議連も再結成された。

特に、2014年は両国関係にとり画期的な年であった。同年1月に6年半ぶりの両国外相会談(於東京)、外務省政務局長協議(2月、於タリン)と続き、ITの権威でもあるイルヴェス大統領が3月に初訪日し、IT・サイバーを含め安倍首相との首脳会談が行われた。この訪日は、エストニアにとり内政的には内閣の辞職、外政的にはクリミア併合等ウクライナ情勢の緊迫という機微な時期に実施された。その後、山崎参議院議長(7月)、自民党IT特委(平井委員長)関係者の訪問(8月)、そして10月には日本と北欧・バルト諸国との初の首脳協議にて安倍首相とエストニアのロイヴァス首相が共同議長を務めた。翌2015年も、左藤防衛副大臣、山口内閣府特命大臣、甘利内閣府特命大臣、山田外務政務官の訪問が相次いだ。エストニア側からもスリング経済貿易大臣やコトカ経済通信省次官補(エストニアITの立役者)が訪日した。

最近では日本企業がエストニアのスタート・アップ企業と協力し、LED(日本人研究者が青色LEDでノーベル賞を受賞)を用い、新たな大量通信システムを開発中であるが、その日本企業のエストニア進出は把瑠都関から聞いたエストニアのIT事情がヒントになった由。東日本大震災の時、携帯通話が集中し不通になったことは記憶に新しいが、LEDの使用によりこれが回避できる由で、その実用実験が数万の人々が集まった前述の歌の祭典にて成功裏に行われた。早期の実現化を期待したい。

<日本人とエストニア人の類似性>

この3年、日本とエストニアの関係は飛躍的に進展したが、その過程で日本人とエストニア人の相互理解も大いに進んだ。実際の交流を通じ、多くの日本人とエストニア人の間で、お互い謙虚で物静かで思いやりがあり、仕事熱心でよく似ているとの認識が広まった。昨年12月、私の離任表敬の際、イルヴェス大統領自身から同様の認識が示され、思わず微笑んだ。

イルヴェス大統領:「この3年間ITを中心に両国関係は大きく変わった。自分自身、日本のITの専門家とよく話すが、話せば話すほど、エストニア人と日本人はよく似ている。」

(了)

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