第27回 英国紳士

元駐タイ大使 恩田 宗

最近はイケメンの行儀のよい草食系がもてバンカラな肉食系は駄目らしい。日本が平和で豊かで大人しい国になったのである。海老蔵も泥酔しての喧嘩沙汰だけで「皆様」に謝らされた。   

男の行儀と身だしなみは英国紳士が手本とされた時代があったがあれは英国の覇権確立後の時期のことである。隆盛期の英帝国を担ったのは精神も肉体も頑丈で野性味のある人達だった。

幕末から明治にかけての18年間駐日公使をしていたH・パークスもその一人である。恫喝で成功した中国の体験をそのまま日本に持ち込み粗暴倨傲な振る舞いをして誇り高い侍達を歯ぎしりさせた。激昂すると机を叩き怒号して書類を投げつけ床板を踏み鳴し露骨な言葉で威嚇した。大阪湾に停泊した英艦上で条約勅許問題の折衝をした立花出雲守は「寧ろパークスを斬って艦中に割腹せんか」とまで思い詰めたという。次席だったA・B・ミットフォードは「おどし文句だけでは成功しない(という事を)優秀な資質を持った公使がついに学びとることが出来なかった」と回想している。通訳官をしたE・サトーは「彼は偉大な公僕だった」と認めつつも「彼の荒々しい言葉を通訳しなければならないのはほんとに辛いことでした」と書いている。パークスは早くに幕府崩壊を視野に入れ陰に陽に反幕雄藩を支援したが維新後は各国を誘い条約改正拒否で押し通した。明治日本における英国の大きな影響力と権益は彼の慧眼と辣腕をもって獲得されたものである。日本にとり酷く手強い相手だったがサトーの言う通り犠牲少なく維新革命を達成できたことに彼が果たした役割を日本人はもう少し高く評価してよいと思う。

 同時代人のR・F・バートンも破格な人物で「額(知性)は神で顎(肉体)は悪魔」といわれた。飲酒や決闘でオックスフォードを中退しインドでの将校勤務の後変装してメッカ巡礼をしている。又タンガニーカ湖発見など危険を冒した数々の探検で意図した訳ではなかったが英国の帝国主義的侵出に貢献した。晩年は駐トリエステ領事として生涯を終えた。数多くの言語に通暁し七十種を超える著作を残した。あの綿密な解説・考証を付した英訳千一夜物語(16巻)は死の前の3~4年で仕上げたもので彼の天才的語学力と該博な知識が結実している。

 フランス革命10年で生まれた人材は他の時期百年で生まれた人材より多いと聞いたがあの時期の英国には時代の要請に応えるが如く傑出した人物が輩出している。

なおバートン訳の千一夜はきわどい場面も手を抜かずに訳してあるとの評判で完売の成功を収めた。後に夫の名誉を気遣った敬虔なカトリックのイサベル夫人が不道徳的部分を削除したバートン夫人監修版を刊行したがあまり売れなかったらしい。

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