ウクライナのG7

角 茂樹
駐ウクライナ大使 角 茂樹

ウクライナは欧州においてロシアに次ぐ面積を有する人口約4,500万人の国である。ウクライナは長い歴史において,絶えず周辺国からの介入を受け,国際政治の中で翻弄され続けた国ではあるが,1991年の独立以来25年経って,ようやくウクライナ国家としての自覚が生まれ,現在,その将来を欧州との統合に見出している国である。ウクライナに関しては,1922年以降,ソ連邦を構成する1つの共和国であったので,ロシアの影響が強いと見られているが,必ずしもそれは当たっていない。そもそもウクライナは,16世紀にモスクワ公国が勃興するまでは,むしろポーランド及びスウェーデンといった国々の影響が遙かに強かったし,モスクワ公国が勃興した後も,ウクライナ西部は西側の影響下にあった。キエフは全ての東スラブの母なる首都と言われるように,ウクライナは東スラブにおいて最も早くキリスト教を受け入れ,西欧化を目指した国でもある。まずこのようなウクライナと西欧との繋がりに関する理解がなければ,現在のウクライナ情勢の理解は難しい。

今を遡る988年,当時キエフを中心に大きな勢力を誇っていたキエフ・ルーシ大公国のウラジミール大公が,東ローマ帝国との関係を求め正教会に改宗したことが,東スラブのキリスト教化の始まりであった。その後,タタールの進入を経て,16世紀には東スラブの正教会の中心はモスクワに移っていくが,それ以降もキエフは正教会における主要な地位を保ち続けていた。現在もウクライナは東スラブにおける5大修道院の3つを有しており,中でもキエフにあるペチェルスク大修道院はその筆頭に挙げられる。歴代のロシア皇帝は必ずこの修道院への巡礼を怠らなかったし,その壮大な伽藍は現在でも5大修道院筆頭の地位に恥じない威容を誇っている。また,キエフは,キリストの一番弟子とされる聖ペトロの弟であった聖アンドレアが布教した地域とされ,当地正教会の歴史は使徒の時代に遡って語られている。ウクライナは,欧州の穀倉地帯(ブレッド・バスケット・オブ・ヨーロッパ)として豊かな土地に恵まれている。現在,ロシア料理と思われているボルシチをはじめとする料理は,ウクライナにおいてポーランド料理を基礎にして始まり,19世紀にロシアに伝わったものである。

このように宗教的にも文化的にもウクライナは東スラブにおいては西欧とのつながりが強かった地域である。2013年秋からはじまったマイダン革命(尊厳の革命)は,こうしたウクライナの西側志向を体現するものであったし,ウクライナの将来を考える人たちにとって,EU及び日本を含むG7といった経済先進国との繋がりを深めることは,経済的にも大きな恵みをもたらすものと考えられてきた。これは,前述の10世紀にウラジミール大公が当時最も繁栄していた東ローマ帝国との関係を強化したという歴史にも連なるものである。

2014年のマイダン革命において,汚職にまみれたヤヌコーヴィチ政権が崩壊し,その後,選挙を経てポロシェンコ大統領が誕生したが,その間,ロシアによるクリミアの不法占拠及びドンバス地域に対する軍事介入という事態が起こったことは記憶に新しい。これに対し,日本を含むG7とEUは毅然とした態度をとり,ロシアに対して制裁を科すとともに,ウクライナの改革支援に乗り出した。そうした中,2015年6月,ドイツ・エルマウにおいて行われたG7サミットにおいて,メルケル首相の提案により,キエフにおいて「G7大使ウクライナ・サポート・グループ」を結成することが決められた。

G7首脳声明を受けて,当時の議長国であったドイツの大使は,半年間,このサポート・グループの議長を務め,2016年1月に本使に議長職を引き継いだ。同グループは,ウクライナの民主化,汚職の追放,自由市場経済の確立等の改革を支援するためにG7大使が結束してあたることを目的としている。このような組織は世界中どこにも存在しないユニークなものであり,半年間務めたドイツ大使も,暗中模索でその役割の強化につき努力したが,昨年1年間,本使の議長の下,G7大使の存在はウクライナにおける最も有力な大使グループとして確立することができたと思う。そもそも日本は,マイダン革命以降,約18.6億ドルという巨大な支援をウクライナに行っているが,その支援にふさわしく,ウクライナの政策に関与していく上でも,ウクライナの国内改革を促進する上でも,このグループは極めて有益なものであった。米国及びドイツは,ウクライナにおいて,既に安全保障,ノルマンディ・フォーマットといった強力なテコを有していたが,これらの国にとっても,G7を利用し,発言できることは必ずしも悪いことではなかったことが成功の要因の一つであろう。

日本がG7議長国となって本使がまず行ったことは,G7大使の間でグループのマンデートを確認する文章を作成し,何をやるべきかにつき意見の統一を図ったことであった。折しも昨年2月以降,ヤツェニューク首相(当時)の辞任問題が浮上し,その過程においては,G7大使は大統領及び首相から度々招請を受け,何が起こっているかの実態につきブリーフを受けたが,これらの会合は,メディアにおいて大きく報道され,ウクライナにおけるG7大使の役割は注目を集めていった。本使は,昨年,G7としてだけでも,大統領とG7大使との会談を4度実現させ,また,ウクライナにおける数々の改革を支援するために,多くのG7大使声明を発出した。特に,司法改革における憲法改正,汚職追放のための公務員の個人資産電子申告制度改革,また,予算審議においてG7大使が予算成立のために与野党へ働きかけを行ったことは,ウクライナ国内において大きくマスコミに報道された。大統領との会談後には,G7議長国の大使として,本使が大統領官邸の外に待機しているプレスに対してブリーフを行うことも度々であり,それがまた,G7大使の権威を高めることになった。毎週のように日本大使館に集まるG7とEUを加えた8人の大使が,公私ともども仲良くなったのは言うまでもない。

日本としても,G7の議長国を務めたことから,経済改革のみならず,ドンバス問題の解決を目指すミンスク・プロセスの進捗につき,極めて詳細かつ高度な情報を得ることができたし,G7の議長国として,定期的にマスコミからのインタビューを受けたことは,ウクライナにおける日本の地位を極めて重要なものに押し上げることにも貢献できたと思う。今でも本使はキエフ市内でウクライナ人から感謝の言葉をかけられる事がある。

昨年4月にポロシェンコ大統領の日本への公式訪問が実施されたが,同年9月には,ポロシェンコ大統領夫妻が本使公邸を訪れたという栄誉にも浴することができた。ウクライナにおいて,それまで大統領が外国大使の公邸の夕食会を受けるという先例は全くなく,その意味で大統領が日本大使の公邸で3時間以上過ごしたことは大変なニュースであった。また同年11月に行われたマイダン3周年式典においては,G7議長国である本使の座席は,ウクライナにおける外交団長よりも上の,筆頭席次であったことは特筆に価すると思う。これについて,後日幾人かの大使より,いつから日本は外交団長になったのかという皮肉を言われたのも事実である。

本使は,また,定期的にウクライナ東部を訪れ,日本が復興支援を行っている学校,病院及び住宅を視察したが,戦争で家を失った老婦人が,日本の支援で家が修復されたことに泣きながら感謝したことは強く印象に残っている。ポロシェンコ大統領に言わせれば,いまや日本大使はウクライナ政府が最も信任している大使ということになる。もちろんG7の立場をとりまとめる声明発出には,文言調整で苦労があったし,その声明内容が必ずしも大統領府,首相府,NGO全てを満足させるものではない場合には,本使が大統領府に呼ばれ,声明の問題点を指摘されるということも何回か経験した。しかし,議長として誠意をもって対応した結果,各層の信頼を勝ち得ていったことは幸いであった。当国における有力閣僚であるアヴァコフ内務大臣からは,しばしば突然電話で警察関連行事への参加の誘いを受け,同相とヘリコプターで東部の警察関連式典に出張したのも日本大使だけであった。

日本が議長を務める中,安倍総理がロシアによるクリミア「併合」は認められないこと,ミンスク合意の履行に関し,ロシアが建設的な立場をとる必要性があることに関して繰り返し述べられたことは有り難かった。さらに,日本の支援は,ウクライナ東部において被害を受けた人々が直接に恩恵に浴するインフラ修復をはじめとした経済発展にも繋がる支援内容であったことがウクライナ側に大きく評価されたと思う。

 もう一つ付け加えるならば,外交において立派な公邸と料理人は現在においても極めて重要なツールであるということである。本使がキエフに着任した際,日本大使公邸は手狭であり,主要国大使公邸に比べても貧弱なものであった。本使は,G7議長国となる半年前から,本省の理解を得て公邸の拡張を開始し,本使とウクライナ人建築家が協議を重ね,大食堂,大サロン及び中サロンの増築を半年でやり遂げることができた。

ポロシェンコ大統領夫妻の公邸訪問を実現させるためにも,まず大統領の側近を新装なった公邸に何回も呼び,日本大使公邸が大統領を迎えるにふさわしい公邸であることを認めてもらう必要があった。また,料理人についても同様である。大統領が日本大使公邸に来られる以上,それにふさわしい料理を出せる良い料理人が必要である。そういえば,クリムキン外務大臣は料理が趣味であり,何回も本使公邸を訪れたが(ウクライナ外務大臣が何回も訪れた公邸は日本大使公邸のみ),そのうち1回は公邸の厨房で公邸料理人から寿司の作り方の指導を受け,大満足であった。おかげでクリムキン外務大臣との実質的な懇談時間は削減されてしまうというおまけはついてしまったが。

ウクライナは大きな国であり,東部のごく一部の地域を除けば,安全かつ平和な国である。キエフ・バレエ・オペラは水準が高く,コンサートも盛んである。キエフを初めて訪れる日本人は,あまりにキエフが平和であり壮麗な町並みであることにまず驚く。根深い汚職問題をはじめとし,解決すべき問題は多くあるが,ウクライナ国民は教育水準は高いが,人件費は安い。こうした中,本年は外交関係樹立25周年を祝し,「ウクライナにおける日本年」をはじめとした大きな行事が続くが,ウクライナを引き続き支援し,日本の存在をウクライナ国民にまで評価してもらうことは,日本の欧州外交においても大きなアセットとなるものと考えている。

※本稿は筆者の個人的見解です。

(了)