日記について思うこと

元駐ハンガリー大使 松本 和朗

 日本人には日記愛好家が多いという。私もここ20年愛用の日記帳を使って日記を書いてきたが、以下に日記について思うことをつれづれに書いてみることとした。日記に関心のある向き、あるいは同好の士がおられれば、興味あるエピソードや参考になることを教えていただければと思っている。

1、日記の種類(公開と非公開)

 日記のなかには公開を前提としたものが少なくない。たとえば、石射猪太郎の「外交官の一生」(中公文庫、1986年)は公開を前提に書いた日記がもとになっている(日記自体は戦災で焼失してしまった)。永井荷風の「断腸亭日乗」も公開を前提とした日記なので、人に知られたくない、書きたくないことは書かれていない。かつ、芸術作品としての日記文学であり、荷風は毎日いろいろ見聞きしたことを書いて、それを大学ノートに写し、さらにそれを和紙に清書したという。並大抵でないエネルギーを投入している。

2、私の日記の書き方 

 自分の日記はあくまでも自分だけに書いたものであり、公開することは全く考えていない。したがって、書き方も走り書きで、最小のエネルギーしか使っていない。他人に読ませたくない日記を書いた人に、17世紀のイギリスの蔵書家で海軍大臣であったサミュエル・ピープスがいる。フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語、ギリシャ語、ドイツ語を英語に混ぜ込んで書いたといわれている。石川啄木も妻に読まれないため、「ローマ字日記」を書いた由である。

 日記は日本語で書いている。一時期、語学の勉強のため英語やドイツ語の日記を書いたことがある。しかし、語学力の不足もあり、これは3日坊主に終わった。ドイツ研修時代にビュルツブルグ大学で課題として課せられた吉野文六大使のドイツ語日記が、偶然大学から亡くなられる前に吉野文六大使に郵送されてきた(本人は日記を書いたこともすっかり忘れていた)。ドイツの大学が日記の原物だけを郵送してきたことは謎ではあるが、佐藤優の「私が最も尊敬する外交官 ナチスドイツの崩壊を目撃した吉野文六」(青淡社、2014年)の末尾にドイツ語日記の日本語訳が掲載されている。ドイツ語を考えながら日本語訳を読んで吉野大使のドイツ語力に感心させられた。ところで、外国語で書いた自分の日記は、外国語のレベルが低く、読むに堪えない代物であったが、それでも再読しておおよその意味をとることはでき、その当時の記録としてはまったく意味がなかった訳でもないと思っている。

 自分の日記は人に読まれることを前提にしていないので、最小エネルギ―で、走り書きしたものである。とくに疲れている時に書いた時は、後から読み直すとおうおう解読不能の文字に化してしまう。それだけでない。この走り書きを自分は「つつき書き」と称しているが、思いつくままにいい加減に書いているので、まず文章の体をなしていない。また、時には感情をぶつけるだけで、論理も全くない記述となり、たとえ他人が私の日記を読めたとしても、書いている内容を理解するのは不可能であろう。兼好法師の徒然草なども自由につれづれに書かれているので、論理的整合性がなく、理解できないところや矛盾するところがあるが、私の日記はそれどころではなく、あえて言えば、日記以前の日記であり、単なる備忘録というべきものかもしれない。その意味で、柏木博の「日記で読む文豪の部屋」(白水社、2014年)にあった芥川龍之介の次のような「日記のつけ方」に大いに共感している。

1、 文学青年は日記が必要でせうか。無からん

2、 貴下は日記をおつけになりますか。つけたりつけなかったり、

3、 参考までに日記のつけ方を示してください。精粗でたらめ、

4、 日記をつければ効果がありますか。大したものならず、

5、 何店発行の日記を御使用になってゐます。半紙三帖とじの帳面大抵手製なり。

3、愛用の日記帳

20年前から愛用しているのは日本能率協会ペイジェムメモリーの日記(1200円+税)で、毎日1頁であること、持ち運びしやすいこと、自分の1年をそこに凝縮出来ること、保存がしやすいことで重宝している。それ以前は、大学ノートや、いろんな種類の日記を使ったり、パソコンへの書き込みもしていたが、統一性がないこと、保存の不便などいろいろ難点があり、結局、この日記に落ち着いた。なお、この日記を使い始めたころは表紙は黒色の立派な装丁であったが、残念ながら2010年に廃版となり、様式は同じであるが、ネイビー色の表紙に変わっている。

 現在の日記スタイルに定着するまでには、仕事日記とプライベートな日記の二本立てにしていたこともあった。日独2ヵ国語で書くエクソフォニー作家の多和田葉子は、言葉に関することを中心に書く日記と、その他普通のことを書く日記の「二重帳簿」をつけている由である(「言葉と歩く日記」岩波新書、2013年)。しかし、自分の場合、仕事日記のほうはスタイルが固まらず、ある段階で諦めてしまった。

 また、ある時期、日記をパソコンに書きこんだが、これもうまくいかなかった。データー保存について十分配慮しなかったので、いつのまにか新しいパソコンに変わって、大部分の日記を含む記録が失われ、残ったのはパソコンを印刷して残してあったものだけである。余談であるが、もともとハイテク・アレルギーなので、今使っているパソコンが壊れればパソコン自体を諦め、すべて手書きの世界に戻ろうかとも考えている。

4、日記と「終活」

 自分だけの日記を再読してみると自分についてのいろんな発見がある。何より日記がなかったら、過去の出来事やその時々で感じたこと、考えたことが忘却の世界に入ったまま出てこなかったであろう。日記を書いてきて良かったことは、記録としての価値であり、これこそが日記の最大のメリットである。さらに、備忘録としての役割も得難いものがあり、一年前の日記を必要に応じて再三確認をすることが少なくない。

 現在、「終活」に取り組む中で、大学ノートやパソコンなどの古い日記をときおり再読しているが、時間を食うものの、こんなことがあったかと昔のことが思い出され、結構楽しい時間潰しになっている。自分の見たこと、感じたことなどを無責任に書きなぐっているだけなので、肝心なことが抜け落ちていることもあり、再読してこんなことも見過ごしいたのかと反省させられることも少ないない。これも日記の効用といえるかもしれないし、それだけになおさら非公開の原則を維持していかなければならないと思っている。

「終活」といえば、放置したままであった写真や手紙の整理作業に入っているが、これらの記録力にも感心させられる。古い手紙を再読して多くは忘れてしまっていたことであるが、他者の目から見た自分の姿を知ることができたし、また、古い写真からは当時の状況が瞬時にイメージすることができた。これらは日記データーを補足するものであり、ある意味で「第二の日記」と呼んでよいのかもしれない。

5、日記による脳活性化

 最近になって、時間にやや余裕がでてきたか、自称「つつき書き」のいろんな不便を回避するため、下書きしてから日記を浄書をするようになった。まず、下書きは捨てる前の用済みの厚紙に絵を描いたり、へぼ川柳を作ったり、殴り書きの文章を書いたりして手間暇かけずに下書きし、そこから日記に記載できるものだけを浄書することにしている。浄書(?)といっても人に見せない日記であるので、どうしてもいい加減に書いてしまう流し書きには変わりはない。

 このやり方をして、脳のフリーズを防ぐという新たな効用があることが分かった。後期高齢者となった今、物忘れもひどくなってきており、脳のメインテンスに気をつけるようになっているが、頭の中にあることを何でも書く下書き方式によって頭の中にある記憶が紙に移転され、その結果、頭脳のフリーズが防止され、脳活性化に役立っているのではないかと考えるようになっている。

以上、閑話休題。 (2016,11、22記)。