トランプ劇場のはじまり、はじまり

藤崎 一郎

藤崎 一郎
前駐米大使

クリントン、トランプ両候補の似顔絵のついたクッキーがテーブルに山と積まれていた。開票の日の日本時間の11月9日朝のケネディ駐日大使公邸。日米関係にたずさわる政治家、官僚、有識者などを招いたパブリック・ビューイングの席だった。大使公邸で焼いたものらしい。開票がはじまるとクリントン・クッキーはまたたくまになくなり、トランプ・クッキーだけうず高く残っていた。クリントン当選の記念にしようと包んでもち帰ろうとした人が多かったのだろう。フロリダ、ペンシルバニア、オハイオなどの開票がすすむにつれ雰囲気が変わっていった。

「天の声にも、変な声がある。」1978年、自民党総裁選の予備選で大方の予想に反して大平正芳氏に敗けたときの福田赳夫元総理の言葉。昭和元禄、狂乱物価など数々の名言を遺した人らしいセリフだ。 今回、そう思ったのはヒラリー・クリントン前国務長官だけではあるまい。まさかああいう発言をしていた候補が大統領に当選するとは、と思った人は多くなかったはずである。

 鍵は8年前のオバマ登場と同様、「チェンジ」であり、国民がなんでもいいから変化を求めたのだろう。クリントン候補では新味はないし、たしかに大きな地下水流が内向きに流れていた。たとえば一流大学の学費が高すぎて社会階層を分断しているのは事実だ。サンダース候補があれほど善戦したのは公立大学の学費の無償化などを掲げたからだろう。オバマ政権下で弱者少数者保護についてのいわゆる「政治的な行儀の良さ」(ポリティカル・コレクトネス)が行き過ぎたと感じウンザリしていた特に低学歴の白人男性がトランプ候補の「ふたたび強いアメリカを」に呼応した。この結果、選挙後は、BREXITやこれから相次ぐ欧州の選挙を持ち出してグローバリズムに対する庶民の怒り、社会の格差拡大に焦点をあて、したり顔であたかも必然だったかのごとき解説が続出する。

 しかし同時に忘れてはならないこともある。全体の得票数ではクリントン側は6千4百万票余とトランプ側が6千2百万票余のトランプ側に2百万以上の差をつけている。勝敗を決したのは接戦州といわれたウイスコンシン、ペンシルバニア、ミシガンで予想外にトランプ候補が勝利し、これら三州の選挙人46人をすべて持っていったことである。逆にこの46人をクリントンがとっていれば選挙は逆にクリントン勝利に終わっていた。そして三州の両者の得票差は合計で約10万に過ぎない。だからもし1億2千万人以上の全投票者のうちの0,04%にあたるこれら三州の5万人が逆に投票していれば結果は反対だったのである。これら接戦州の大半は手中にしていると思ってなおざりにし、終盤にユタ州やアリゾナ州など共和党の牙城などに切り込んでいた戦術ミスが悔やまれていよう。また選挙旬日前のFBIのEメール再捜査の影響も否定しがたい。分析の報道に当たりこれらの点にさほど目がむけられないのは識者やメディアがきっと「大きなストーリー」が好きだからであろう。

 それにしても、ふしぎな選挙であった。トランプ候補の内政での議論は意表を突いていた。歳入面では国家債務減少、中低所得者の減税、歳出面ではインフラ投資の増強、社会保障費の維持、国防の増強を打ち出した。歳入を減らして歳出を増やす。どうやって予算を均衡できるのか、社会保障費、国防費、インフラ費以外はほとんどゼロにしないとツジツマが合わないではないかと英エコノミスト誌などは追及した。論理的にはその通りである。しかし、多くの米国民はそんな高級誌は読まない。トランプ氏がクリントンびいきのエスタブリシュメントの世迷い言とかたづければ済んでしまった。テレビ討論もあまり影響しなかった。国民にはめいめいが好きな項目が入っているトランプ・メニューが受けた。言って見れば蕎麦も寿司もスパゲッティも天ぷらもステーキも載っているデパートの食堂メニューである。「損されているんじゃないですか。ガマンすることはありません、お好きなものはちゃんととりそろえていますよ」が効いた。最も特徴的だったのは共和党のオハコだった小さい政府をとなえなかったことであろう。正論ではあるが、ふつうの国民は長期的な国家財政の健全性よりもいまの自分のフトコロを気にする。だから気前のいい政府が好きである。上手いところに目をつけた。両政党のいいとこどりをしたとも言える。

 さてこれからである。君子豹変するだろうか。そう簡単にはいかないだろう。国民の期待もある。メニューの中味は大きく三つに分けられるだろう。第一はそのとおりまるまる実行されるもの、第二は修正されたり、部分的に実行されるもの、第三は先送りされたり言及されなくなるものである。たとえばTPP加入しないという方針は、残念ながら第一グループであろう。就任初日に脱退通告すると当選2週間後に発表したのだから、そう考えざるをえない。まだ実質的に米の関与が始まっていないCOP21への資金拠出もこのクチだろう。逆にクリントン前長官のEメール問題についての特別捜査官設置、訴追などはおこなわず、幕引きをはかると思われ第三グループに入る。これ以上アメリカを分断することになれば政権にけっして得策でない。

そしてかなり多くが第二グループに入るのではないかと思われる。たとえばメキシコとの壁については、一部はウオールでなくフェンスでいいという表現になっており強制送還の対象は不法移民全員の千百万人から犯罪歴のある二百万人にトーンダウンしている。

 外交はどうか。アメリカ第一主義を強く打ち出すだろうが、大胆に言えば個々の政策には変化はあっても大きな構図は変わらないだろう。大きな構図というのは、米国、ロシア、中国、同盟国の四者の関係である。二つ理由がある。ひとつはアメリカの議会、軍などの存在である。これらは大統領とあまり関わりなく存在し、一定の継続性を担保しうる。より大きいのは国際関係の構図には、相手があるのであり、ロシア、中国が突然心底から協調的になるとは考えにくいことである。

 いかに次期大統領がプーチン大統領と個人的にウマが合うといい、いかに選挙戦でロシアが民主党陣営のメールのハッキングをしたおかげを受けたかもしれないと言っても、米ロ接近には限度があろう。お互い千五百発以上の核を持ち相手国をただちに全滅できる核大国同士である。ペリー元国防長官もインテリジェンス関係者もアメリカの最大の脅威はといえばロシアをあげる。サイバーなどもある。CIAなどのインテリジェンス・ブリーフを受けるトランプ氏はロシアとの関係はそう簡単にオトモダチ関係にはならないと思うようになるはずである。2008年の大統領戦後、最初にシカゴのビルで米国の直面する脅威などについてのインテリジェンス・ブリーフを受けた次期大統領だったオバマ氏がその深刻さに驚いて窓に鉄柵があってよかった、そうでなければ自分は窓ガラスを蹴やぶって飛び降りたかもしれないとジョークをとばした話をワシントンポスト紙のウッドワード記者は書いている。オバマ政権もロシアとの関係を「リセット」しようとしたが、結局うまくいかなかったことは周知である。

 中国との関係も基本構造はかんたんには変わらないと思われる。もう何年も閣僚レベルの対話を行っているが実質は変わっていない。中国は国防費を増強し、南シナ海でも見られるように一貫してその影響力を増そうとしている。アメリカとして警戒せざるをえない。さらに元安のおかげで廉価な中国製品がアメリカ市場で氾濫しているから課徴金を課すといってもそんなことをしたらWTO違反云々を言う前にウオールマート商品など庶民向け消費者価格が上がってしまう。また米国輸出品の価格も高くなり競争力が落ちてしまう。中国から通貨操作していないという言質をとったと言う理由で面子を保ち、実際には強硬な政策はとらない可能性があろう。ブッシュ政権は対中強硬からスタートしたが国連での協力や北朝鮮をおさえるため中国寄りになっていった。オバマ政権はぎゃくに中国と対話路線を開始したが気候変動や海洋の自由、人権などでの中国の態度にあきれて冷めていった。結局米国の対中政策は振り子のようにプラスやマイナスに行ったり来たりするのである。

 もしロ中との基本的対立構造がつづくなら、アメリカ一国で向き合うより仲間と一緒の方がいいに決まっている。次期大統領お得意の損得勘定は明らかだ。だからこそトランプ次期大統領は、当選直後にNATO、韓国、日本などに同盟維持強化を確認したのだ。もちろん負担割合の見直しを要求することはあろう。これに対し、まず日本としてはすでに駐留米軍経費につき世界一の割合の負担をしていることを説明していくだろう。

 個々の政策は、変わってこよう。とくにイランとの核合意、パレスチナ問題、シリア、ISとの関係、など中東政策は相当変化するだろう。貿易、環境政策も上記のとおり変わると考えておかねばなるまい。

 最後に日本との関係を一言する。とにかく安倍総理がいち早くトランプ氏と会ったのはよかった。こういうとき大体、外務省は後手回しと批判されがちだが、今回はどこからも高い評価があつまったのは駐米大使はじめ在米大使館、北米局はじめ本省の十分な根回しがあったからだろう。クリントン候補とのみ選挙期間中に会ったことを批判するむきもあったが、前の国務長官、大統領夫人から要請があれば会うのは当たり前であろう。断ればしこりを残したはずだ。

 おそらく好き嫌いは別として、トランプ氏はブリーフを受けるより自分で会ったり自身の耳で聞いたりしたことを大事にするタイプの人はないかと思う。またこちらからお願いなどすればただちに取引モードに入ったり足元を見るほうだろう。今、日本の総理は対ロ政策、対中政策、対印政策、対朝鮮半島政策、対ASEAN政策などでアメリカ次期大統領が世界で一番耳を傾けるべき首脳になっている。経済政策でもトランプ候補はアベノミクスを評価していた。だからこそ次期大統領として安倍総理から外交経済の大きな世界観を聞くために会おうとしたのであろう。あまり急カーブを切り過ぎないことがアメリカにとってお得ですよと理解してもらう一歩になったことを期待する。会談して総理に一目置いたことはトランプ氏が偉大な友情が始まったというツイートしたことに表れている。いいスタートを切ったことを日本のために喜ばしく思う。

 しかしこれからがトランプ劇場の始まりである。当たり前だが緊褌一番の気構えでかかる必要がある。われわれの進路をしっかりと維持し、堂々と対応すべきであろう。ただし、これまで大前提であったことが変数になるかもしれない。パンドラの箱が開いてもあわてないように日本外交のあり方につき本当にはじめて柔軟な頭の体操が必要なときが来たように思う。あわてず騒がず、日本の外交安全保障の長い行く末を見すえる機会が到来したととらえるべきなのだろう。

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