第24回「暦」

元駐タイ大使 恩田 宗

 2011年、福岡県の古墳から西暦570年に当たる干支(えと)と正月6日の日付が刻まれた刀剣が出土した。暦の使用を示す日本最古のものとして評判になった。暦については6世紀初頭には百済から暦博士を雇い入れていたという(「暦」広瀬秀雄)。日本書紀に602年書生(ふみまなぶるひと)の玉(たま)陳(ふる)が百済の僧より「暦法(こよみ)を・・学びて業(みち)を成(な)しつ」とあるのでヤマト朝廷は政治支配の基幹ソフトの暦を100年近くお雇い外国人に頼っていたことになる。

 暦にはそれを生んだ文明の世界観が凝縮されていて中国、印度、メソポタミヤ、ローマなど文明の数だけあった。又、ユダヤ教徒には世界創造(BC3761年)を紀元とするユダヤ暦、仏教徒には仏滅(BC543年)を紀元とする仏暦、イスラム教徒にはモハメッドのメジナ聖遷(622年)を紀元とするヒジュラ暦がある。イスラム教徒は巡礼・断食・礼拝など宗教的行事はヒジュラ暦で励行している。しかし今では日常の生活にはイスラム教徒も西暦(キリスト生誕年を紀元とするグレゴリオ暦)を使っている。

 キリストの生誕年(実はBC4~5年らしいが)より起算する紀年法は欧州で中世後半から教会内で行われていた。しかし一般人には数が大きすぎて使い難く印刷時代に入るまでは普及しなかったという。英国のジョン王はマグナカルタ(1215年)に「朕の治世第17年6月15日」と署名しており、シェイクスピアの「ヘンリー5世」の中のカンタベリー大主教も「先王の第11年に・・」という言い方をしている。ただ帝王の冶世を基準とする暦では年数の通算に不便である。人の年齢も数えにくくシェイクピア史劇には歳を聞かれて答えられない男が出てくる。宗教改革のルターも自分が正確に何歳かは知らなかったという。最近は「あらフォー」などと言うが当時の多くの人は生れた月日は覚えていても何年前だったかは分らず歳は「あら」ですませていたらしい。

 西暦は17世紀に欧州諸国で使われ始め20世紀始めには(日本は明治5年)事実上世界標準暦として定着した。欧米諸国の影響力が全世界に及んだからであるが運用の簡便さと正確さ(3333年に誤差一日)で他の暦に勝れていたからでもある。ただ西暦にも問題はある。零年がなく暦日と週日が毎年異なり1ヶ月や半期四半期の日数が違う。幾つかの改善案が国連でも議論されたが加盟国の多くが改暦に熱意なく沙汰止みになっている。西暦は今後も現行のまま行くことになるだろう。 

 なお、国家経営にとって暦と共に重要なソフトの度量衡はメートル法が世界共通にはなっていない。富強を誇る米国人が科学などの一部の分野を除き慣れたヤード・ポンドを諦めてメートル法を使う気がないからである。しかしメートル法は優れて合理的な制度で世界の大勢でもある。いずれ彼等も同調することになると思う。