國廣道彦著『経済大国時代の日本外交』(吉田書店、2016年)

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矢田部 厚彦(元駐フランス大使)

 本書の著者、國廣道彦氏は、病を得て退官する1995年までに、外務省中国課長、在米大使館経済担当公使、本省経済局長、内閣外政審議室長、経済担当外務審議官、駐インドネシア大使、そして駐中国大使と、日本外交の要所要所に在り、特に経済面で重要な足跡を残したが、その時期は、まさに日本の劇的とも言える高度成長期に当たっていた。本書は、そのドラマに重要な役割を演じた著者の体験を記したものであり、その意味で、「経済大国時代の日本外交」という本書のタイトルは、極めて当を得ている。評者に言わせれば、むしろ百尺竿頭一歩を進め、本書を「経済大国時代の日本外交史」とさえ言いたいくらいである。

と言うのも、本書は回想録ではなく、事実関係の動きがそのまま記述された記録だからである。若い頃から丹念に日記を書く習慣を持っていたらしい著者は、公職についてからも、その日、その日の細部を丹念に書き留めてきた。その量は、膨大なものであろうが、公職を退いて余暇を得た著者は、それらの日記類を整理編集し、ガリ版刷りの私家版手記を作成していたのである。数年前にその一部を寸見する機会を得た評者は、興味深い内容に驚き、稿を改めて、印刷公刊を奨めたことがある。今般上梓された著書は、そのガリ版刷り私家版に加筆訂正を加え編集したものである。

以上に述べたとおり、本書は、只今現在の時点から過去を振り返って書かれた所謂回想録ではない。著者は、掘り起こした記憶や追憶を語る者ではない。本書に見られる者は、一日の激務の疲れにも、睡魔にもめげずに、毎日欠かさず日記帳を開き筆を走らせる几帳面で誠実な人間の姿である。彼の意識にあったのは、後代の歴史家のために記録を残すということであった。比喩的に言えば、著者が記したその日、その日の記録がいわば「古文書」として残され、本書において収拾整理され、編集されたということである。評者が本書を「経済大国時代の日本外交史」と言いたくなる由縁である。結果的には、著者自身が「後代の歴史家」になったわけであるが、それは偶然であるとして、われわれ同時代人にとっての幸運と言わなければならない。(なお、カヴァーにあるタイトルの上、右横に、「回想」とあるのは、ミスリーディングであるから、増版に当たっては、削除されることを期待する。なお、本誌12月号で、評者が紹介した枝村純郎著「外交交渉回想」(吉川弘文館 2016年11月)のタイトルにも、「回想」の一字が入っているが、同書も、単なる記憶に頼った回想録ではなく、記録に基づて書かれたものであることが読めば分かるだけに残念である。)

 閑話休題。本書において紐解くことになるさまざまな外交交渉の経緯には、興味津々たる細部と襞(ひだ)がある。特筆すべきは、その主役たちが著者とともに生きた「ナマ」の人間たちとして登場することである。特に興味深いのは、外国で言えば大統領、首相、日本では総理大臣、外務大臣といった、(多くは今は亡き)いわば歴史上の人物たちが次々に登場し、身近に躍動することである。それは、本書の著者が立たされたような立場に立たなければ経験し、実行できないことであり、それがまさに本書の白眉で、もっとも興味深いところである。いちいち紹介することは差し控えるが、ひとつだけ例を挙げれば、中曽根総理とレーガン大統領との有名な「ロン・ヤス関係」誕生の経緯などは、まさに歴史的瞬間と言ってよく、その描写は寓意的でさえある。読む者は誰しも、両巨頭に誘われて、思わず微笑を浮かべずにはいられないであろう。

歴史に満ちた著者のキャリアーの掉尾を飾ったのが、在インドネシア、在中国大使時代であったことは、意味が深いと思われる。地球上で、日本国大使がもっとも重きをなすー正確を期するなら、そこで重きをなす存在は、「日本国大使」ではなく、「日本国」なのであるがー任地はどこか。それは、ワシントンでも、ロンドンでもない。ジャカルタと北京(それにソウルを加えるべきであろうが)である。と申して、異論が出ることはないと思うが、こうして、著者に誘われて旅する「経済大国時代の日本外交史」の旅も、北京で幕を閉じる。本誌前号で紹介した枝村純郎著「外交交渉回想」の著者も、インドネシア大使経験者であることは単なる偶然ではない。そして、相次いで出版されたその二人の著書が、並んでベストセラーズの双璧となっても、なんら不思議でない。

(了)