第23回「自己評価」

元駐タイ大使 恩田 宗

 米国チェス連盟は公式試合に出たプレーヤー約3万人の実力を評価し点数でランク付けしている。極めて正確で相手より200点高ければ75%の確率で勝ち差が400点あればほぼ100%勝てるという。ところがアンケート調査(調査対象のプレーヤー達の格付けは平均1751点)をしたところ連盟の格付けが自分の真の実力だと答えた人は21%に過ぎず、75%が過小評価されていると答えたという。これは男性の71%(女性の57%)が自分の知能は平均以上と考える米国での話である。

 謙虚を美徳として重んずる日本では違った結果になると思う。日米の高校生に「自分を価値ある人間と思うか」「自分に満足しているか」等の意識調査をしたところ(青少年研究所2002~3年)日本の学生の自己評価は米国のそれより格段と低かったらしい。「なぜ自信が持てないのか」の著者根本橘夫は米国では生徒を頻度高く褒めるが日本の教育は努力主義で自分を責める心性が育ち易いからではないかと言う。

 自己評価の高い低いは程度にもよるがそれぞれ得失がある。一概に良し悪しは言えない。高ければ自信をもって新たに挑戦する気力が得られる。しかし自信過剰になると反省に欠け無謀になったり押し付けがましくなったりする。自己評価が低いと謙虚で協調的になり向上への努力をする。しかし低く過ぎると自分の意見が持てず決められず他人の意見に影響され流される。

 最近は競争が激化しており一般に自信の強い人や強そうに見える人が優位に立ち有利である。しかし自分に確信が持てずそうした社会の潮流に順応できない人増えているらしい。自分の本当の価値や能力は自分では分かりにくく人は他人の指摘や評価を参考にしてその都度修正しながら自己像を固めてゆくものである。繊細な人は失敗したとか好かれないとかの思い込みで過早に自己否定をしてしまうことがある。他者から愛され認められたいという承認願望は誰もが持っており自己評価は他者からの信愛と評価の言葉で補強されて維持されている。自信に溢れ上に立って活動している人でも無意識にそうした言葉を求めている。褒め言葉は権力者に言うと追従になるがこの時代多くの場合励ましになり善行になる。

 ファン・ゴッホは879点の作品を残したが生存中売れたのは死の直前に買い手のついた一枚だけだった。彼は37歳で自殺する2年前(アルルで「ひまわり」を描いていた頃)弟テオへの手紙に「僕の絵もいつか売れる日が来ると思う」と書いている。しかしその1年後には「僕は画家として決して重要な意味をもつようにはなるまい」と気が挫けてしまった。もう少し売れていればもう少し生きて描き続けたかもしれない。