第21回「地図と地球儀」
元駐タイ大使 恩田 宗
フェルメールの現存する37点の絵のうち10点に地図か地球儀が描いてある。当時地図や地球儀はまだ貴重品で権力者や金持ちは室内装飾としても使っていたらしい。17世紀のオランダは貿易で栄え世界の地理情報にも恵まれて地図・地球儀作りの中心地だった。
地図の歴史を読むと人間の知識や技術は急速に進歩する時と緩慢に進む時があり退歩することさえあることを教えてくれる。
世界の地理についての知識は大航海時代に飛躍的に拡大した。ローマ最盛期の2世紀にプトレマイオスが古典ギリシャ以降の成果を集大成して世界地図を作成しているがその業績は忘れられ長い間顧みられなかった。中世になると世界地図と言ってもエルサレムを中心とし東の端にエデンを画いた基督教ドグマの解説絵図のようなものしかなかった。従ってコロンブスを西への航海に思い立たせた地図は彼の時代より1,200年前のプトレマイオスの地図の復活修正版だった。彼がインドに着いたと誤解したのはそのためである。ただ探検はその後も引き継がれ100年を経ずして南北米大陸の入ったほぼ現実に近い世界地図が完成している。あの時代の地図を年代順に見比べると進歩の速さに感嘆させられる。
最近、地図は再び革命的進化の時代に入った。誰でもパソコンを使えば数値化された地理情報が得られるので縮尺や方角を自由に変えたり地形を立体化したりして見ることができるようになった。地域の実景も眺めることができる。地図のカストマイズ化で主導権が利用者に移ったという意味で革命である。これがどこまで進むのかまだ分からない。
地図は日用消耗品になった。しかし途上国では簡単な道案内図さえ読めず画けない地図文盲の人がまだ多い。日本でも巨大なショッピング・モールで大きな案内図を壁に掛けて置いても迷う客が多くついに床の上に画くことで解決したという。「話しを聞かない男地図が読めない女」(ピーズ夫妻著)によると女性の9割は地図から現実を想起する能力が弱いらしい。男は狩り女は育児との分担を何万年もしてきて男は広い空間を感知計測する能力が発達し女は危険を察知する注意力が育ち身近な状況に敏感になったのではないか。女性が道に迷っても道端に咲くコスモスなどを見落とさないのはそのためである。
地球儀は最近あまり見かけない。米国でも執務室や居間から消え教室にも置かなくなりつつあるという。確かに第二次大戦後は新しい国が次々と生まれ国境や地名がよく変わり長持ちがしなかった。又地球儀上の地図は小縮尺で小さい川や島は載っていない。それに地球の丸さは多くの人が飛行機旅行で体験済みでもある。しかし地球儀を眺めていると人間世界を空から見降ろす様な気分になる。国際問題などについて物事のバランスを維持する上で役立つと思う。