枝村純郎著「外交交渉回想――沖縄返還、福田ドクトリン、北方領土」(吉川弘文館、2016年)

外交交渉回想
小寺 裕子(前駐サウジアラビア大使夫人)

「外交交渉回想」などという堅苦しい題の本は私のような素人には睡眠薬代わりかと思いきや、これは下手な推理小説を凌ぐハラハラ,ドキドキものだ。読み始めたらやめられないのだが、ありがたいことに章ごとに話が完結しているので睡眠不足にはならない。

 小説と同じく登場人物が実に生き生きと描かれている。著者は正義感に燃える熱血漢であり、いかにしたら難題を解決できるかに知恵を絞る。交渉相手は他国だけでない。難しい問題については省内での意見対立もある。時に原理原則で、時には辛口のユーモアで相手に答える著者に拍手を送りたくなるのである。

外交は原理原則に立て

 中南米局長に就いた時は、一貫性と継続性というわかりやすい2つのCを局の方針とした。アメリカが日本の対中南米外交に要求を突きつけて来ていたのだが、著者は「そこまでアメリカに付き合う必要はないだろう」と感じる。その理由としてアメリカの中南米における強引なやり方、中南米諸国のアメリカに対する愛憎入り混じった感情、アメリカの強い復元力を挙げる。そして中国、イラン、キューバの例を挙げて、アメリカが自分の都合でさっさと関係修復をしてしまい、日本が置いてきぼりを食う危険性について警告している。

 フォークランド紛争にあたっては、スペイン・パナマ提出の安保理決議案に対しサッチャー首相が反対を要請してくる。欧亜局は、この要請を受けて棄権すべきだと主張する。ここでも著者は「他国に言われたことにどこまで付き合えるかでなく、—−わが国の国益に即してーー座標軸を確立したうえで対応すべきである」と、まずこの紛争に対する日本政府の基本方針の策定を主張する。

 外務省では英米で研修した人が重要な政策立案に携わるのが普通だが、著者のようにスペイン語を研修した異次元の視点を持った人も組織には必要である。

 こうした著者の慧眼がフォークランド紛争における日本の立場に生かされたことは誠に喜ばしい。

 「福田ドクトリン」の章でも理念に基づく外交の力強さが語られる。

外交は生き物だ

 著者は三十二歳で北米課首席、三十四歳で北米課長に就いている。やはり瑞々しい感性が著者を沖縄返還へと駆り立てたのだろう。在沖米軍兵士の犯罪の低い検挙率、ソ連が供与してくれた小児まひのワクチンを沖縄では接種できない、など「異常な状態」を何とかしなくてはならないと感じる。しかし外務省内の多くは、ベトナム情勢がエスカレートしている時にアメリカが重要な軍事基地を手離すことは万一にもないだろうとの「思い込み」にとらわれていた。

 困難な状況下、著者は沖縄返還をいかにISSUEにしていくかに3つの方針を立てる。また優れた総理、志を同じくする先輩などが現れ、次第に返還へと向かう様は、「外交においては現状を受け身にではなく、変わり得るもの、ダイナミックなものとして捉えることの必要性」を教えてくれる。

 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって『戦後』が終っていない」という佐藤総理の名文句の裏話も楽しい。

やっぱり民主主義

 最後の二章は、北方領土交渉、尖閣問題という重い話である。

 エリツィンやゴルバチョフが政府内のDISINFORMATIONによって次第に正しい判断ができなくなる様子など、人間ドラマとしても悲劇だ。

 中国やロシアでは、政府自らがDISINFORMATIONに関わる。著者は日本が「大人の態度」にこだわらず、「たたかれたら,たたき返す」ことこそが「外交的」であり、そのうえでの話し合いを勧めている。私も弱腰外交が国内の反中、反露感情をかえって煽ってしまうと思う。

 民主主義の素晴らしさは、沖縄返還交渉の際の在京米大使館のカウンターパートからの助言に現れている。ベトナム戦争中の返還を諦めるな、軍事戦略はリダンダンシーを前提としている、とそっと背中を押してくれたのだ。

 もう一人からは、沖縄現地との意思疎通の大切さを指摘される。ジョンソン大統領との共同声明を出す前に、佐藤総理が松岡琉球政府主席に電話をすべきだった、というのだ。

 この二つの助言は今でも十分通用する。ヘリパッドの移設反対運動が起きているが、もしこの2点を十分考慮すれば、別の展開も可能ではないだろうか。

心と心のふれあい

 「福田ドクトリン」の名文句を採用した著者らしいと感心したのは、登場人物ほとんどをフルネームで記していることだ。「派遣員」とか肩書きでなく、一個人として人物を見ることは見習いたい習慣だ。

 私が尊敬してやまない故高島大使、故栗山大使が要処要処で著者を応援していたことも大変嬉しいことである。