北方領土問題と日ロ平和条約の締結について

中村 滋

黒田 瑞大
元外交史料館館長代理

今年に入り、ソチやウラジオストクで日ロ首脳会談が開催される等、日ロ交渉が再び軌道に乗ったとの印象であるが、最近、丹波実元駐ロシア大使の御逝去が伝えられ、心より御冥福をお祈りしたい。丹波さんは、サハリン(旧樺太)生まれのロシア語専門家として長年にわたり日ソ関係・日ロ関係を手掛けられ、北方領土問題を含む日ロ平和条約の締結問題に大変な御苦労をされ、今も残る貴重な足跡を残された方である。

筆者は飯倉片町の交差点近く、ロシア大使館斜め向かいの外交史料館で長年勤務したが、別館には一連の日露関連条約も展示してあり、来館者の質問もあり、プチャーチン来航以来の日ロ交流の歴史を復習していた。その際、我が国が1991年末のソ連崩壊と新生ロシアの成立直後を大きなチャンスと見做し、対ロ交渉に果敢に臨む中で、丹波さんが大活躍された事から大いに刺激を受けた次第である。

我が国は、本年8月15日に戦後71年を迎え、10月19日には日ソ共同宣言の調印60周年目を迎えた。日ソ共同宣言により両国間の戦争状態は解消されたが、平和条約は未締結である。最近、ウクライナ危機による停滞期を経て、領土問題の解決と平和条約の締結に向け、日ロ交渉が再び軌道に乗った事を歓迎したい。

特に本年12月にはプーチン大統領の訪日が予定され,国民的な関心の高まりを感じるところである。北方4島(歯舞、色丹、国後、択捉)で生まれ、終戦の1945年を例えば10歳で迎えた元島民の方ならば、今年で81歳を迎えるだろう。御健在なうちに故郷の島に自由に行き来可能となれば、理想的と思われる。

さて第二次大戦後、イタリアは1947年に連合国とパリ講和条約を締結した。ドイツの場合は東西分裂状態が続いたため、停戦協定や平和条約が長年欠落していたが、再統一直前の1990年、これに代わり連合国との間で最終規定条約が調印され、翌年発効している。

我が国の場合、1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約にソ連が加わらなかったため,ロシアとは個別の平和条約を締結する必要がある。最近、ウクライナ危機以来のロシアとG7との関係が完全に回復するのを待たずに交渉が進められているが、その理由としては次の点が指摘されよう。個人的見解ながら、御参考に供する次第である。

1. プーチン時代

プーチン大統領の時代は、紆余曲折はあろうが北方領土問題を解決し,平和条約を締結する絶好のチャンスだろう。何故ならばウクライナやシリアなど複雑な国際情勢はあるものの、彼は柔道の愛好家で親日的、しかも「引き分け」に言及する等、日本との領土問題解決と平和条約の締結に熱心と見られるからである。

プーチン氏は、新生ロシアの初代エリツィン大統領の後継者として2000年から2008年まで大統領を務めた後、メドヴェージェフ時代を挟み、2012年5月に再び大統領に就任したが、憲法改正により大統領任期が4年から6年に延長されたため任期満了は2018年となるので、ここ1~2年がクルーシャルだろうか。

なお彼は2004年に中国との国境問題を解決し,関係改善に成功している。これは1969年以来の中露紛争をもたらしたダマンスキー諸島の領有問題であり、当時のニクソン米大統領は、ここから東アジア情勢の転換期を見取り、沖縄返還に積極姿勢を示す様になったとされる。
プーチン大統領の治世下で更に北方領土問題が解決すれば、東アジアにおけるロシアの国境問題が解決することとなり,個人的達成感も大きいに違いない。

2. ロシア経済の低迷

最近、ロシア経済は、欧州や中国経済の減速もあり、低迷を余儀なくされている。2014年頃から、依存度の高い原油の価格下落が見られ、加えて同年春のクリミア併合以来のウクライナ危機をめぐり、対ロ制裁措置が課せられたためにルーブルが急落し、インフレ率が上昇している。2015年のGDP成長率はー3.7%となり、ロシア財務省は、今年の歳出を10%削減する意向である。経済回復の見通しが立ちにくいので、我が国の経済協力への関心は高いものと思われる。

従って本年5月に安倍総理がロシアのソチで首脳会談した際、8項目の経済協力計画を提示したのは誠に時宜を得たものであり、最近の日ロ交渉を含め、幅広い分野における日ロ交流のきっかけであるに違いない。

3. 計算された「国益中心主義」

(1)我が国は、米国を含むG7との協調を基本路線としているので、日ロ平和条約の締結交渉にとり最も望ましい環境は,国際平和の続く環境だろう。特にG7関係国は日本以外、全てNATO加盟国なので、NATOの懸念する様な紛争が、ロシアの関与する形で発生していない状態が理想的と言えよう。しかし残念ながらこの様なことは、ごく稀にしか実現しないのが現実である。

(2)例えばロシアは欧州・コーカサス側だけでも、旧ソ連の共和国を含め10か国(注)と国境を接しており,新生ロシアになってからも、チェチェン紛争(1994~1996年、1999~2009年)また南オセチア(2008年)、ウクライナ(2014年)等で危機が発生している。

(注)ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、グルジア、アゼルバイジャン。

(3)日ロ交渉を熱心に進めようとしても,ロシアの関与する国際紛争が発生すると、その都度、我が国はNATO主要国を含むG7への協調姿勢を示すので日ロ関係は複雑化し、平和条約交渉が阻害されるとの悪循環を経験してきた。
最近では2014年2月にウクライナ危機が発生し、我が国はG7と協調し、対ロシア制裁措置を導入したが、その結果,日ロ関係は複雑化し、平和条約締結のための日ロ交渉は停滞してしまった。しかし同年9月にはミンスク合意が得られている。

(4)帝政ロシアの象徴だった双頭の鷲を引き合いに出せば、ロシアの広大な国土ゆえ,左側の頭で欧州を見据え,右側の頭でアジアを見据えているに違いない。そして我が国は,アジアの国であるにも拘わらず,左側の頭で見据えるべき、油断ならない欧米諸国の仲間と見られてきたに違いない。

(5)北方領土問題の解決は日ロ平和条約締結の前提だが、以下の通り、問題の長期化は必ずしも我が国に有利に働かないだろう。ついては可及的速やかな交渉決着が切望されるところ、我が国はG7関係国に対して、その旨周知徹底させ、理解を得ながら日ロ交渉を遅滞なく推進することが重要と考えられる。

4.北方4島の着実なロシア化

ロシアは2007~2015年の期間中、千島列島の経済開発と島民の生活・福祉向上を目指すこととし「クリル諸島社会・経済開発計画」を作成し2015年7月には新計画(2016~25年)を決定し、700億ルーブルを割り当てた。

2009年2月には,LNGプロジェクト「サハリン2」が完成し稼働開始したことにより,サハリン及び千島列島を開発する財源が確保された。このプロジェクトには日本の企業も参加しており、日本にも輸出が開始された。

2010年あたりから、ロシアの首相を含む多数の閣僚が北方4島を現状視察に訪問する様になり、その都度、我が国として受け入れられない旨の立場表明を行っている。しかしこのような背景の下でインフラ整備が進められ、象徴的な出来事として、2014年には択捉に新空港が完成した。またロシアの財閥「ギドロストロイ」は千島に展開し、米系の水産会社とも提携し,択捉などに水産加工場を設置している。これは重要な地場産業であり、雇用主にして主要財源でもあるらしい。

このような動きはテレビ等で報道され、インターネット上の動画でも確認できるが、北方4島は年月の経過と共に、容赦なく着実にロシア化しているものと見られる。

5. 移住ロシア人の第3世代

1945年夏のソ連軍侵攻の前後,千島在住の日本人は事前に退避し,あるいは場合によりシベリアに抑留の後、本土に戻されている。従って現在の北方4島に住む島民は、基本的にその後入植してきたロシア人である。然るにロシア人の居住年数は最長で71年となり,継続して居住する場合、1世代を30年と数えれば、既に3世代目が生まれている計算となる。

そろそろロシア人の「千島っ子」が生まれる頃であり、これ以上ロシアによる統治実績が延びるのは,正当性の主張を強化し得るので望ましくない。

6.2035年問題

ここで歴史を振り返れば、北方4島においてロシアの統治が長期化した場合、2035年には統治年数が下記の通り日本と拮抗し、2036年には上回ってしまう事が指摘される。

これはまさに北方4島のロシア化やロシア人島民の権利意識とも深く関わり、またロシアが領有権や統治の正当性を我が国に対して主張する際、追加的根拠になりかねないだろう。言ってみればサンフランシスコ平和条約において、我が国が千島列島を含む海外領土を放棄する旨規定した第2条中の「right, title and claim」(権利、権原及び請求権)と深く関係するに違いない。

そのためロシアによる統治の長期化は、結果的に我が国の対ロ交渉上の立場を損ない得るものと強く懸念されるのである。

 1855年 日露和親条約調印。(北方4島が日本の領土と確認された結果、ロシアも認める形で日本の統治が開始された。)

 1945年 終戦と共に日本の統治が90年で中断し、ソ連(後ロシア)が統治し始めた。

 2035年 ロシアの統治年数が90年に達する。

 2036年~ ロシアの統治年数が、日本より長くなる。

7.極東の安全保障

 21世紀に入り,東西冷戦は過去の歴史となり,今や東アジアにおける最大の国際的課題は、中国の勃興への対応、また北朝鮮問題だろう。しかるにロシアとの関係も、その様な展開や動きを意識しつつ再構築せざるを得ない。

(1)中国は2010年に世界で第2番目の経済大国となった。宇宙開発を進め、軍事支出の増大も目覚ましく、南シナ海では周辺諸国との緊張の原因である。東シナ海では尖閣諸島などをめぐり日本と主張が対立。

(2)北朝鮮は本年1月と9月に核実験を行い、8月には潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験に成功し、地域の緊張を高めている。ついては昔から北朝鮮と国交を保ち、影響力を持ち得るロシアと緊密に協議できる体勢を整える事は重要。

ロシアは核を保有する軍事大国であり,第2次大戦の戦争状態は1956年に解消しているものの,平和条約の締結は、我が国の安全保障並びに地域の平和と安定に積極的に資するものと考えられる。

8.自然災害の頻発

  特に21世紀に入り、地球温暖化と気候変動の影響により、2011年の東北大地震や今年の熊本大地震等、大規模自然災害が頻発するようになっている。この結果、国際関係はますます協調と結束の時代に入ったと言えるし、隣国とは一層の友好協力が求められよう。

 日本は他のG7諸国とは異なり、ロシアとは隣国同士なので、自然災害の際の相互扶助も必要であり、常日頃から関係を良好に保つことが重要と考えられる。

例えば千島列島は地震帯にあり、択捉島沖や色丹島沖では周期的に地震が起きている。1994年の北海道東方沖地震の際には、色丹でも犠牲者が出た経緯がある。この様な災害時・非常時には、特に北方4島の住民は日本からの支援や協力を必要とするものと考えられ、ロシア側もその点、異存なかろう。

9.極東地域の開発

 ロシアを双頭の鷲に見立てた場合,日本が経済分野で付き合うべき相手は,欧米と緊張関係にあるロシアではなく,資源の豊富なシベリアを擁するアジア側のロシアであろう。
またロシアから見ればシベリアは極寒の地であり、人口密度も低いので、国境や民族を超えた協力があって初めて開発が可能と考えられ、東アジアの経済大国たる我が国の協力を必要としていよう。

 5月に安倍総理はロシアのソチで日ロ首脳会談に臨んだ際、日ロ関係が、ウクライナ危機による対ロ制裁で冷え込んでおり、事態打開が必要との認識から、エネルギー開発、ロシア極東地域の産業振興、医療・健康など8項目の協力計画を提示した。ロシア側はこれを高く評価しており、具体的なフォローアップが課題となっている。

10.日本と平和条約のない唯一の国連常任理事国

 現在G7関係国である英米仏加の4か国は、第二次大戦後、日本とサンフランシスコ平和条約(1952年発効)を締結しているが、このうち英米仏は、国連常任理事国である。
また我が国は、中国と1972年に国交を回復し、1978年に日中平和条約を締結したので、国連常任理事国5か国の中で平和条約が未締結なのはロシアだけであり、国連憲章上、未だに「旧敵国」に相当する日本の立場を更に複雑化させる要因と考えられる。

1956年の日ソ共同宣言によりソ連との戦争状態が終結し、ソ連が日本の国連加盟反対を撤回したため、同年内に日本の国連加盟が実現した経緯がある。日ロ平和条約が実現した暁には、国連憲章の旧敵国条項の撤廃等、日本の立場が一層強化されるものと期待したい。

11.日本外交の幅を広げるべし

例えば生物の多様性を重んじる思想の根底に、環境に大きな変化が起きた場合、何れかの種が生き残れるように遺伝子のプールを広く豊かに温存する必要がある、との議論があろうが、日本の安全保障を中長期的に確保するためには、最近の東アジアのみならず地球環境の大きな変化を踏まえ、また今後の大規模災害や展開をも想定し、外交の幅を広げておく必要があるものと思われる。この文脈では隣国にして大国であり、資源豊かなロシアは筆頭候補に違いない。

12.可及的速やかなる政治決着を求めるべし

次の理由から日ロ交渉が軌道に乗った以上は、なるべく速やかに決着させる配慮が必要かと思われる。

(1)平和条約実現の暁には日ロ関係が前進し、友好協力が大いに進展するものと期待される。他方、だからと言って中国や北朝鮮の核保有国を含め、多様な国家が同居する東アジアの地政学に基本的な変化が生じるとは思えない。
従って我が国の安全保障を確保する上で、日米安全保障条約に基づく防衛協力関係を含め、日米関係を我が国外交の基軸とすべき事には、何ら変わりないはずである。

(2)平和条約締結に向けた日ロ交渉は、首脳・閣僚その他ハイレベルで頻繁に行われ、「日ロ接近」との印象を醸し出すだろう。従って交渉に何回臨んでも結論が出ず、成果なしにプロセスが長引く場合には周囲の好奇心を呼んでしまう。また世界情勢次第で、ロシアと対峙する場面の多い米国等G7各国と我が国との関係が複雑化する可能性があろう。更に年月と共に、日ロいずれかの国の周辺で想定外の危機が発生し、交渉中断やむなき事態となることも一応想定されよう。

〈10月25日記〉