アスジャと対アセアン重視外交

田島 高志
アスジャ理事 元駐カナダ大使 田島 高志

1、アスジャ設立の歴史的経緯

 「アスジャ(ASJA))」は「アスジャ・インターナショナル(ASJA International 、ないしAsia Japan Alumni International)」と呼ばれる国際組織の略称である。2000年4月に外務省が「アスジャ」を設立して以来、私は依頼を受け同組織の日本理事を務めて来た。「アスジャ」は、我が国の対アセアン重視外交の基幹の一部をなす重要な意義と歴史のある政策的制度であることを出来る限り多くの方々に理解して頂きたいと考え、あらためてここに解説致したい。

 実は、第二次大戦中に我が国は、東南アジア地域の最優秀学生を招き「南方特別留学生」制度を実施した。その卒業生は、大戦後に独立した母国で重要な地位につき、国家建設に大きく貢献した歴史がある。

また、戦後は賠償による日本への留学生及び1954年に開始された国費留学生制度により対日留学生数が徐々に増えた。これら元日本留学生の間で、日本を懐かしみ、元日本留学生会を設立する東南アジアの国が次第に増えた。その背景には、福田赳夫蔵相(当時)の働きかけで始められた外務省事業「東南アジア日本留学者の集い」に参加し、日本を再訪する機会を得た元日本留学生の動きが中心にあった。

1977年6月に、それら各国の元日本留学生会が「アセアン元日本留学生評議会」略称「アスコジャ(ASCOJA)」と称する連盟組織を結成し、元日本留学生会相互間及び日本との間の親睦関係を進める活動を始めた。同年8月には、福田赳夫総理が当時のアセアン5か国を歴訪され、マニラにおいて有名な「心と心(Heart to Heart)」を強調した福田ドクトリンと呼ばれる日本・アセアン諸国間の協力関係を促進させる基調演説を行った。

1978年に日本側はアセアン側の「アスコジャ」設立に呼応し、その日本側カウンターパートとして、政財界支援の下に「財団法人ジャスカー(JASCAA)」を設立し、外務省助成金によるアジア諸国からの留学生に対する支援活動を開始した。「ジャスカー」は一定の成果を上げたが、1999年には事情により解散となった。 外務省は後継組織として、2000年4月に「アスジャ」を設立し、日本及びアセアン各国を代表する理事による理事会と事業を実施する事務局により構成され、外務省の拠出金により運営される国際組織とした。

2、「アスジャ」の目的と意義

「アスジャ」は、将来親日家として日本とアセアン各国との懸け橋のリーダーとなり得る少数精鋭の人材を養成することを第1の目的とする。学力に優れると同時に、日本に強い関心を持つ私費留学生をアセアン各国から1名ずつ招き、奨学金を与えて一流大学の大学院へ自力で合格させ、同時に日本語を十分に習得し、日本文化や社会の理解を深め、日本人との交流に参加させる事業を実施して来た。

アスジャ留学生は、現地の元日本留学生会及び日本大使館からの推薦を経て選ばれ、優秀であるだけに日本語の習得も早く、1年で読み、書き、話すことが可能になる成績ぶりを示し、さらに一流大学の修士ないし博士課程へ合格し、卒業後は母国での日系企業ないし日本語学校の教師、あるいは日本ないし母国等での優良企業、大学、研究機関等に就職するなどに成長し、将来の活躍が期待されている。中には、現在IMFに採用され、日本経済情勢を説明している例もある。因みに、アセアン各国からのアスジャ理事は、理事長を含め年齢的にアスジャ時代以前の日本留学生出身者であるが、アスジャ理事会の審議は公用語を日本語として和気藹々行われている。

また、日本理解を深める交流事業は、(1)日本人の生活を体験するホームステイ、(2)日本の産業見学や伝統・現代文化を鑑賞、理解する研修旅行、(3)日本の小中高校生に対する自国文化の紹介(4)日本人大学生との意見交換会、(5)自国を日本人及び他のアセアン各国留学生に紹介する「アセアン祭り」等多岐にわたるものである。

 「アスジャ」には、第2の目的もある。それは、「アスコジャ」の日本側カウンターパートとして、「アスコジャ」の活動を支援し、関連事項に関する相互協力、連携等を行い、日本とアセアンとの協力関係促進に寄与することである。最近は、日本とアセアン双方に関心のある課題についてのシンポジウムを「アスジャ」と「アスコジャ」が共催して実施しており、成果を挙げている。

 以上のような目的を持って「アスジャ」が活動する意義は、第1に、長期的な外交 戦略として、日本の生命線ないし内堀ともいうべきアセアン地域における日本の友人を 拡大強化し、日本とアセアン諸国とが協力してアジア及び世界の平和と繁栄に貢献する 基盤を築くことである。第2には、各国に進出して活動する日本企業の激増に対応して、 日本企業に雇用され、登用され得る有能な現地人材の養成に貢献することである。

 このような多種多様な事業を円滑に効果的に実施が行われて来た背景には、独立行政 法人日本学生支援機構を初め多くの関係組織や団体の貴重な協力がある。同時に、熱意 ときめ細かい配慮を持って事業の企画立案、留学生の世話、事務局職員の指導、国内関 係先との交渉や連絡等を当初より努めて来られた佐藤次郎事務総長(元財団法人国際学 友会理事長)の大きな貢献がある。

3、民主党政権による「アスジャ」廃止措置

 「アスジャ」は、このように重要な戦略的目的と意義を持つ政策制度であるにも拘らず、2009年に民主党政権が成立するや、いわゆる「事業仕分け」により、文部科学省主管の国費留学生制度と重なるとの理由で「アスジャ」制度を4年後(2013年度)に廃止する措置が決定された。これに対して、アセアン諸国の元日本留学生会、「アスジャ」理事、「アスコジャ」役員等は、この制度を高く評価し重視していた観点より、強い反対の声を上げ、廃止反対書や復活嘆願書等をわが国の外務大臣宛に送るなど、国内のみならずアセアン側の関係者にも大きな衝撃と失望と不信の念を与えた。 外務省は、文部科学省とも協議し、国費留学生の中からアセアン各国1名の留学生を選び、「アスジャ国費留学生」とする措置を短期的に採ったが、日本語の習得及び日本理解を深める交流事業の予算は、年々縮小と削減に追い込まれた。

 この制度をこのまま廃止することは、日本及びアセアン各国の利益に反することでもあり、これまで成功裏に実施されて来たこの制度の価値を失うことになるとの関係者の声は強く、「アスジャ」の発展のため常に応援をして来て下さった福田康夫元総理大臣及び経済界の有力者等多数の方々により「アスジャ」存続のための検討会が何回も開かれ、民間資金も得る方法、その他の方法等が模索された。隔年ごとに開催される「アスコジャ」総会の際にも、アセアン側が日本外務省担当官、アスジャ理事及び事務総長等との懇談会を設け、「アスジャ」存続の意義を強調し、「アスジャ」復活の必要性を訴える真摯な発言が繰り返し述べられた。

2012年12月の衆議院選挙の結果、自公連立政権が復帰し、2013年には「アスジャ」の存続が決定され、2014年度には「アスジャ」の交流事業の完全継続予算が承認された。ただ、奨学金は引き続き文部科学省から支給される国費留学生としたので、「アスジャ国費留学生」と呼ぶことにした。しかし、採用枠は従来の大学院進学候補生の各国1名を2名に増やし、新たに学部候補生の各国1名を加えることが認められ、大きな改善が図られた。

課題は、日本語の学習時間の確保であり、国費留学生制度では、進学先が決められてから入国するため、入学先の大学側の理解と協力を得る必要がある。もう一つの課題は、

日本理解増進のための交流事業への全員参加の実現であり、東京から遠隔の地方大学への進学生には、時間と経費の点から参加に困難が生じる点である。そのため、2016年度から、現地の元日本留学生会及び日本大使館が「アスジャ国費留学生」候補を推薦する際には、出来る限り都内または近隣の大学希望者を選ぶように配慮している。

4、日本・アセアン協力関係の強化及び「アスジャ」事業の拡大

 福田康夫元総理は、当初から日・アセアン関係重視の観点より「アスジャ」を応援して下さり、「アスジャ」の留学卒業生送別レセプション、或いは現地の「アスコジャ」総会へ賓客として時には出席され、祝辞を述べられた。2007年に内閣総理大臣に就任されたため、翌年「アスジャ」理事会が東京で開催された機会に、同理事代表団は福田総理にお祝いを申し上げるために表敬訪問を行った。

2013年には、日・アセアン友好協力40周年に当たるため、安倍晋三内閣総理大臣は日本の対アセアン外交5原則を発表するとともに、アセアン10か国すべてを訪問された。続いて同年12月には東京で日・アセアン特別首脳会議が開催され、安倍総理が提唱された「平和と安定」、「繁栄」、「より良い暮らし」、「心と心」との4本柱から成るビジョン・ステートメントが採択された。

これらを背景に、翌2014年3月「アスジャ」理事会が東京で開かれた機会に、「アスジャ」理事及び「アスコジャ」理事代表団は、安倍総理を表敬訪問し、「アスジャ」存続の実現に対し御礼を申し上げた。安倍総理は、国と国との絆は人と人との交流が要素であり、「アスジャ」「アスコジャ」の意義は大きい旨述べられ、総理の御配慮で総理と理事全員との集合写真のみならず理事一人ずつとの写真の撮影が行われた。

また、国会議員の間でも「アスジャ」に対する関心が高まり、2015年3月元外務大臣政務官あべ俊子議員及び自民党国際局次長福田達夫議員のお声がかりで、12名の議員及び1名の議員代理が衆議院第一議員会館での「アスジャ・アスコジャ関係者と国会議員との懇談会」に出席され、「アスジャ」についての説明を聞いて下さった。

2016年3月には、衆議院議長公邸で「アスジャ・アスコジャ関係者と国会議員との懇談会」が開かれ、大島理森議長を初め河村建夫議院運営委員長、田中和徳国際局長ほか計13名の議員及び1名の議員代理が出席され、大島議長より激励の言葉を頂き、「アスジャ」理事側の説明に対する議員側の質問や提案など激励の発言を頂き、貴重な機会となった。

 最近のアスジャ事業は、政府予算全体の厳しい情況もあり、より効果的に交流事業を実施すべく外務省、アスジャ各国理事、及び事務総長の間で毎年綿密に協議し、見直しや合理化を行いつつ企画運営を計っている。特に、「アスジャ」と「アスコジャ」間の協力・連携については、日・アセアン関係の強化に一層貢献するため、例えば「オンライン・プラットフォーム」構築、「アスジャ・アスコジャ国際シンポジウム」開催等を実行し、アセアン各国から高い評価を得ている。

 「南方特別留学生制度」に始まり、「東南アジア留学生の集い」、「ジャスカー」を経て現在の「アスジャ」まで連綿と続く日本とアセアン各国留学生との間の濃く強く信頼に満ちた絆は、日本とアセアンとの間の掛け替えのない資産であると言えよう。それは、2015年に「アスジャ」事務局が編集発行した426頁に及ぶ「アスジャ・インターナショナル15年の歩み」に掲載されている各国元アスジャ留学生の感想文やメッセージにも明白に表明されており、それを読む者は皆大きな感動を覚えるであろう。

 日本とアセアン双方にとり、このように貴重な資産を今後とも一層有効に活用して、地域及び世界の繁栄に貢献して行くことが課題であると思われる。国際情勢がグローバル化により複雑混沌とした現在の情況下において、「アスジャ」の役割と価値は重要性を益々増大すると思われる。各界の幅広い方々の「アスジャ」に対する今後一層のご理解とご支援をお願い致したい。

(10月6日記)