第20回「大掃除と記念の品」

元駐タイ大使 恩田 宗

12月には大掃除と決まっていたが最近は必ずしもそうではないらしい。ダスキンの最近の調査(2015年1月全国20歳以上の男女を対象に実施)では大掃事をしたと答えた人は58%だったという。そのすこし前のインテージ社の調査では東京の主婦の68%が大掃除をすると答えている。ただ日頃こまめに掃除して年末に大掃除をするにしてもあまり大がかりにはしないらしい。同社によれば掃除用品の売り上げは年末にかけ伸びることは伸びるが近年その上昇カーブは緩やかになり家の掃除が年中分散の傾向にあることを示しているという。

家の掃除事情が変化しているのは住まいの造りが変わり家庭用品や用具も進歩したからである。あまり汚れなくなり汚れても簡単に清掃できるようになったということである。しかしレンジフードと換気扇の掃除は未だに厄介らしくダスキンの調査では最も苦戦した場所として6年連続でトップの地位を占めている。「くじ引きでパパ大当たり換気扇」が大掃除川柳のダスキン大賞を取ったことがある。又インテージ社の調査でも大掃除の際は洗車に次いで空調・エアコンのフィルターの清掃を夫がそのほとんどを引き受けているという。

落語に「柳田角之進」という人情話がある。師走13日の「煤払い」の際質屋の主人の部屋の額の後ろから50両が出てきて盗んだと疑われていた浪人角之進の身の潔白が明らかになるという話である。50両という大金でも置き忘れということがある。旅先で気に入って買ったり凝って集めたりした品々、書き溜めたノート類、記念の写真やパンフレット、親しい人からの手紙や絵葉書なども仕舞っておくと何時の間にかその存在さえ忘れてしまう。大掃除をしている時そんなものが出てくると途端に記憶の回路がパッと繋がり懐かしい想い出が蘇りいっとき幸福な気持ちになる。想い出は普段は記憶の深い淵に沈んでいて何かに触発されないと意識に上ってこない。想い出に繋がるものは捨ててしまうと大切な想い出自体を捨てることになりかねずなかなか捨てられない。物が溜まる一方である。

整理の専門家は真に愛着のあるものだけを残しあとは思い切って捨てろと言う。ほとんどの「想い出物」は本人が亡くなれば皆ゴミで残された人々がその始末に苦労するだけだなどともいう。学び、考え、行動し、感動し、喜び楽しみ、悲しみ苦しんだことの記憶が人の心を豊かにするのだがその全てを何時までも忘れずに抱えていたいというのは欲深く未練に過ぎるのかもしれない。厳しく選別をしていさぎよく処分しないと物は片付かない。

昭和天皇が亡くなられた後お部屋の机を片づけたら引き出しの中からお孫様達からの手紙とパリの地下鉄の切符1枚が出てきたという(卜部侍従日記)。年が明ける前に物片づけをして自分にとっての「メトロの切符」は何なのか考えてみたいと思う。