第19回「寅さんと日本人」
元駐タイ大使 恩田 宗
「それを言っちゃあおしまいよ」は「男はつらいよ」の寅さんがよく使うセリフである。人は表面を整えていても負い目や痛い所隠したい事を抱えている、そこを言い立てると全てが打ち壊しになるというのである。落ちこぼれの寅さんが26年間で48巻もの映画にされる程愛されたのは彼の心根の良さにもよるがその少し滑稽な言動が日本的としか言いようのないものだったからである。観客は自分の戯画を見せられた時のように恥ずかしさを感じつつも納得して笑えたのである。News Weekは1995年8月渥美清の死を悼む追悼記事を掲載し寅さん映画は「西洋文化に毒され」ず「誰もが自分の居場所を心得てい」た「変わることのない日本」を描きそれが「急速に変化」していた日本人に魅力的に映ったのだと論じた。
確かに日本人は敗戦を契機に急速に変化してきた。上下意識は薄まり権利意識が高まり自由と個性が尊ばれようになった。ものをはっきり言うようになり女性の地位も向上した。
しかし外国人からみると日本人は相変わらずらしい。タレントのサンコンは日本人の思い遣りは有難いが気を使い過ぎるので何を考えているのか分らないことが多くて困ると言う。元英紙記者のC・ジョイスは日本人が英国人に似ているのではないかと質問されて驚愕し「全く似ていないとは必ずしもいえない」と答え「日本の義理の文化が要求するものは自分の心の奥深くに刷り込まれた公正さの感覚と相容れない場合」が多いと述べている(「ニッポン社会入門」)。元FT紙記者のD・ピリングも「たぶん世界の主要国の中で日本ほど海外の人達にとって不可解で謎めいた存在で在り続ける国はほかにないだろう」と書いている(「日本―喪失と再起の物語」)。
「敗北を抱きしめて」の著者J・ダワーは占領軍は日本の諸制度の民主化自由化には一応成功したが占領初期に目指した「一人ひとりの日本人・・の考え方や感情を作りかえ」「本性を変質させる」という理想は達成できなかったと書いている。日本が主権回復した時のNYT紙記事の小見出しは「日本はほとんど変わっていない」だったという。
答えは多分その中間にあるのだろうが他人の評価の方がより客観的だとすれば日本人はあまり変わっていないということになる。
失恋続きの寅さんの理想の女房は「亭主が帰ってくる。風呂が先か酒が先か。スッと面(つら)みて分るようじゃなきゃ駄目だ」だった。しかしもし又映画に出てくる時は「亭主が帰ってくる。風呂と酒とドッチが先? スッと面みてそう聞くようでなきゃあ」と妥協するかもしれない。もっともその頃にはそんな女性は日本にはもういなくなっているだろうが。