第18回「日本と日本人」

元駐タイ大使 恩田 宗

 数年前になるがNYタイムズ・マガジンの文芸評論家S・アンダーソンが村上春樹取材のため初めて来日しこう書いていた。「村上小説から想像していた東京はバルセロナやパリやベルリンのような国際都市だった。英語が話せ西洋の音楽・文学・演劇などの裏表に詳しくストレートにものを言うそんな人々のいる所だと思っていた。大違いだった。実際に触れた現実の日本は骨の髄まで日本的でしかも頑固にそう在ることにてんとして恥じるところがない。(Japan…(is)intensely, inflexibly, unapologetically Japanese)」短期旅行者の第一印象に過ぎないがそれだからこそ真実を突いているのかもしれない。                                  

 日本は西洋文化の輸入を始めて既に150年近くになる。最近は日本人も欧米人も互いに同類か仲間として考えがちである。普通の付き合いはそれで間違いは起こらない。しかし、一段深くより密接に関わり合うと互いに違和感や肌合いの違いに悩まされることがしばしばである。A・トインビーは「歴史の研究」の中で、日本は他の何れとも異なる独立の文明を構成するとしている。S・ハンチントンの「文明の衝突」も日本は中国と基本的なところで違っているとして西欧・イスラム・中華・ヒンズー・ラ米・東方正教会圏に加え日本を主要文明の一つにあげている。違和感は文明という出自の違いからくるものでその克服は難しい。

 日本は近代西洋に近づく努力を続けながらもその立ち位置を定めきれず長い間悩んできた。『「日本人論」再考』(船引建夫2003年)は日本で日本人論が繰り返し書かれ読まれてきたのはそうしたアイデンティティーの定まらない不安を鎮めるためだったとする。そして、「不安」は国家が危機に直面したとき増大するが国運が好調のときもその「成功」に確信が持てず生じるのだという。高度成長で日本が元気であった時も「タテ社会の人間関係」「甘えの構造」「日本人とユダヤ人」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などが書かれ読まれたのはそのためだという。

 では何故経済低迷の長く続く今の日本に新しい日本人論が出てこないのだろうか。2009年に「日本辺境論」(内田樹)という本が出版されたが題名が想像させる通りのもので特に新味のあるものではなかった。船引建夫はもう大体のところまで来たという安心感から「不安なし」の状況にあるのかもしれないと書いている。日本は物質的・文化的な水準高まりとともに西洋を相対化してとらえ違いを違いとして受け入れる余裕が出てきたのではないかと思う。

  昼時のオフィス・ビルのエレベーターに乗ると背の高い青年達に取り囲まれ息苦しい程である。彼等の1~2世代後になれば欧米人に対し身体的にも違和感を感じなくなるに違いない。