ミクロネシア連邦での素晴らしき日々


前駐ミクロネシア大使 坂井 眞樹

1 はじめに

 昭和56年度に農林水産省に採用され、35年余の勤務を終えて本年6月に退職した私にとって、公務員生活最後の2年間は思いもかけず拝命した駐ミクロネシア連邦日本国大使として正に得難い経験ができ、幾多の思い出に満ちた日々だった。私にこのような機会を与えてくれた方々、在任中お世話になった方々に改めて感謝するとともに、3つの言葉を紹介する形でミクロネシア連邦での素晴らしき日々を振り返ってみたい。

2 日本との強い絆を持つ国ミクロネシア連邦  

まず、日本と縁が深い国ミクロネシア連邦を簡単に紹介したい。ミクロネシア連邦は第二次世界大戦終結までの30年間日本による委任統治下で日本語教育が行われていたところで、先生、運動会、自動車等多くの日本語が現地語の中で使われている。人口の約2割が日本人の血を引くと言われており、初代ナカヤマ、第7代モリと二代の日系人大統領を輩出している。米国による信託統治時代を経て、現在は独立国家として米国との間で自由連合協定を締結、米国が国の防衛を担い財政援助を行っている。その援助額は国の予算の半分を超え、GDPの3分の1程度を占めてミクロネシア連邦の経済の根幹を支えている。

3 Water Salute

 離任の日2016年5月26日は私達夫婦にとって生涯忘れることができない日となった。週に4便しかないグアム行きに搭乗するために向かった空港では、Kalahngan Oh Kaselehlie Ambassador Masaki Sakaiと書かれた垂れ幕が迎えてくれた。Kalahnganは首都のあるポンペイ州の現地語でありがとう、Kaselehlieは最もよく使われる挨拶の言葉、人と会った時別れる時どちらにも使える便利な言葉で、別れる際も単なるさようならではなく、また会いましょう、それまでお元気でといったニュアンスを持つ、ミクロネシアの人々の穏やかでやさしい気質にふさわしい言葉だ。

私達のために垂れ幕を準備してくれたことに感激し、見送りに来て頂いた方々と多くの写真を撮影してから向かったVIPルームでは、さらに大きな驚きが待っていた。伝統的リーダーが私達を送るSakauセレモニーを主宰してくれたのだった。Sakau(南太平洋ではカヴァと呼ばれる。)は胡椒科の木の根を砕いて作る沈静効果を持つ飲み物で、玄武岩の上で根を叩いて砕くところから始まるセレモニーは主要な行事では必ず行われる。上半身裸の若者達が作法に則って作ったSakauはまず伝統的リーダーのもとに運ばれる。主宰者であるリーダーは、セレモニーの趣旨や伝統的なランクに応じて、一杯ずつゲストが飲む順番を決めていく。彼の指名により最初の一杯が私のもとに運ばれてきた。当地で最初にSakauを飲むことは大変な名誉で、このような機会を得るができるとは夢にも思っていなかった。VIPルームには、シャンパンやワイン、多くの食べ物が用意されていて、ゲストの到着時ではなく出発に際してSakauセレモニーを行うのは今回が初めてとのことであった。在任中現場の視点で援助の実現に努力してきたことがミクロネシアの人々に伝わっていたことがわかり、これまでの苦労が報われた思いだった。

最後に待っていたのがWater Saluteだった。搭乗した飛行機が滑走路に向かう際、2台の消防車による放水が行われた。機長から、この飛行機で日本大使が離任するので特別のセレモニーが行われる旨のアナウンスがあり、機内の人々から暖かい拍手を頂いた。ミクロネシア連邦が国として私達を暖かく送ってくれていることに感激し、苦労も多かったが2年間頑張ってきてよかったという思いがこみ上げてきた。

4 Development Partners

米国を始め多くの国や国際機関が援助を展開するこの国でよく聞かれる言葉である。与える者と与えられる者との上下関係ではなく対等の立場で成長を目指す、耳ざわりの良いこの言葉には実は深刻な問題が隠されている。1986年に独立して以降、道路、電力、上下水道や医療教育分野で多額の援助が行われているが、こうした基礎的分野のレベルは依然として低く、米国の信託統治時代に整備された道路等のインフラは更新期を迎え劣化が進んでいる。独立国家である以上人材を育成し国づくりの責任を負うのはミクロネシア連邦の指導者たちであるが、Development Partnersという言葉の陰に隠れてこうした現実を直視しようとしない、また援助側も指摘しない。いくら援助で道路、電力といったインフラを整備しても、自分たちの力でメインテナンスを行い運営することができなければ、老朽化すれば一から援助で作り直すという同じことの繰り返しに終わる。ミクロネシア連邦は言葉も文化も異なり、東西3000キロ以上隔たった独立性の高い4州で構成されている。直前にキャンセルされたが、約半分の人口を擁するチューク州では独立の是非を問う住民投票が昨年の連邦議会議員選挙と併せて予定されていたくらいで、国家運営が大変難しい国である。そういう困難はあっても、国や州の運営はミクロネシア人が責任を持って進めなければならない。そして、それを担う人材の育成は、ミクロネシア連邦の人々の自覚と努力なくしては決して実現できない。

国内人口10万、GDP300億円のこの国で多くの国、国際機関、NGOが実に多様な援助を展開している。その全容は連邦政府を含め誰も把握していない。Development Partnersの数が多すぎて連携を取ることは容易ではない。米国による財政援助が開発計画の策定、更新を要件としていることから、インフラ整備、産業育成等に関するあまたの計画が作成されてきたが、現実を見ればインフラの劣化と入漁料収入への依存が続くだけで何も実現していない。経済開発に関する計画では広大な排他的経済水域を活用した漁業振興がメインに据えられているが、太平洋島嶼国で展開されている巻き網漁業は、大型魚槽を持つ大規模漁船を要し、搭載したヘリコプターを使って魚群を追う高度なスキルを必要とする。主要漁獲物であるカツオの太宗は 鰹節や缶詰の原料となり高い付加価値は望めない、重量にして半分程度になる残さは安価な魚粉に加工するしかなく、島嶼国で現地加工しても消費地まで赤字を覚悟で輸送するしかない。当地に1年程度滞在しただけで開発計画を書く米豪のコンサルタントや時折訪問するだけの国際機関のエコノミストにこうした話をしても、理解ができないか具体策は実態に応じて現場で考える必要があるといった無責任なコメントが返ってくるだけで、こうして何の役にも立たない計画が積み上げられ、何の手も打たれないままに沿岸資源が枯渇していく。人材不足はミクロネシア連邦に限った話ではないのだ。

在任中、多くのDevelopment Partnersの中で日本がリーダーシップを取ってミクロネシア連邦の人々の生活の向上と連邦及び州政府の人材育成を進めることができる分野として、廃棄物処理・リサイクルを援助施策の重点分野とした。JPRISM(JICAが太平洋島嶼国で展開している廃棄物処理プロジェクト)の専門家が数か月に一度程度ではあるが4州を訪問しダンプサイトの整備やごみの収集方法について技術指導を行っている。これに呼応する形でノンプロ無償や草の根事業でごみ収集車やダンプサイト用のエクスカベータを供与し、できるだけ丁寧なトレーニングを実施した。海辺や森への投棄を根絶し、ごみの収集システムを築き上げるためには地域住民の理解と協力が不可欠であることから、伝統的リーダーに住民の意識向上を図ってもらうよう働きかけた。最初は日本大使が地域住民の生活に関与しようとしていることに驚かれたが、輸入されるペットボトルやプラスチック容器は200年たっても分解しない、このままでは美しい島もごみで埋もれてしまうことを粘り強く説明して理解を得た。空き缶やペットボトルのリサイクルは緒に就いたところで州によって進捗状況は州によってもかなり異なっている。首都パリキールのあるポンペイ州ではデポジットの徴収が販売時点で行われることとされているため、未納が多くあってリファンドに必要な資金が常に不足しシステムが機能していない。100%徴収できるよう輸入時点での課金に変更するための改正案を作って知事や州議会議員に州法の改正を働きかけた。離任する数日前にピーターソン州知事が州議会で可決し知事が署名して成立した改正法を大使館に持ってきてくれた。万事ゆっくり進むこの国で1年余りで法改正ができたことに驚くとともに地道な努力が実ったことに大きな満足感を覚えた。

5  Subsistence Affluence

市場経済の導入により希薄化したとは言え、自給自足の豊かさを意味するこの言葉がこの国の原点であり、この国の人々の生活を支えその優しさを生み出している。赤道に近い強烈な日差しの下でヤム、タロイモ、パンの実がみのり地先で獲れる魚も豊富で、こうした自然の恵みを平等に分け合うことで、ミクロネシアの人々は平和な暮らしを営んできた。狭い地域で自己完結的な生活が可能なことから、各コミュニティの独立性は高く、人口3万人程度のポンペイ島では5つの市が残されており、独自の憲法を持ち毎年自分たちのコミュニティの建国記念日を祝っている。Sakauセレモニーのマナーも異なっているという。各コミュニティの伝統的リーダーは人々の上に君臨する王ではなく、Sakauセレモニーを主宰し権威に基づいて収穫物を住民に平等に分配する司祭なのであり、彼らを精神的支柱として人々は日々の生活を営んでいる。

こうした伝統社会も米国の財政援助で公務員に給与が支給され消費経済が形成されるとともに大きく変容しているが、Subsistence Affluenceに支えられた伝統社会はまだまだ人々の生活に力強く息づいている。この国にはホームレスはいない、肉体的あるいは精神的なハンディキャップを負った人も大家族制の下で誰かが面倒を見る。東京を訪れ聳え立つビル群に圧倒されたミクロネシアの人々に、その下にはホームレスがいる、アパートの一室で誰にも看取られることなく死んでいく高齢者もいるという話をすると、一様に信じられないという顔をする。私に対して、日本に帰って一人になってしまったら自分のところにきて一緒に住んだらいいという人もいる。所有するアパートに住んで1年にもならない日本人が亡くなった時自分の庭に手厚く葬ってくれたポンペイ人 がいた。当地では家族を庭に埋葬するのが習慣であり死に対する考え方も日本とは異なっているが、どのような事情があったかはいざ知らず、自らの死に際して血の繋がった兄弟や子供から何ら顧みられることのなかったこの日本人はミクロネシア人のやさしさに救われたのだと思う。今後予想される米国の財政援助の減少は人々の生活に少なからぬ影響を与えるであろうが、彼らがこうしたやさしさを失わないでいてほしいと願う。そして援助する側に立つできる限り多くの人々がSubsistence Affluenceに支えられた伝統社会の素晴らしさを理解し、まっとうな方法で外貨を獲得する手段が入漁料以外には存在しないこの国において一般的な経済開発理論が通用しないこと、Subsistence Affluenceをフルに活用し伝統社会と折り合いをつけた形でしか真の意味での社会の発展や人々の生活の向上を図ることができないことをわかってもらいたいと願う。

6 結び

これまでの公務員生活と同様、ミクロネシアでも山もあれば谷もあった。一昨年10月、11月に日本の巻き網漁船4隻が相次いで拿捕され,日本漁船がミクロネシア連邦水域から全て退去する事態となり,これまで順調であった両国の漁業関係は最悪の状況に陥ってしまった。十分な証拠もないのに拿捕し司法当局から示談を持ちかけるという当時の米国人司法長官による前代未聞の拿捕ビジネスが展開されたのだった。司法当局は8月に行われた違反を拿捕の理由としていたが、拿捕までの2,3か月で4隻分の証拠を収集し拿捕の準備をすることは先進国の司法当局でも困難である。こうした事情はあっても拿捕されたと聞けば何か違反をしたのだととらえられるのが普通で、ミクロネシアの人々の間での日本漁船、ひいては日本の評判も悪化し暗澹たる思いの日々を過ごしたが、昨年5月に発足した新政権の下で強力なリーダーシップを発揮したクリスチャン大統領と協力して急ピッチで関係を改善できた。司法長官もポンペイ人に代わり日本漁船が安全に操業できるようになった。その過程で農林水産省勤務時の経験や知見を活かすことができ、今ではこうした活躍の場を与えられた幸運に感謝している。この他にも、雨の多い当地で我が国が供与した体育館が地域コミュニティでフルに活用され住民に大変感謝されたり,更にはサメ保護法の改正など多くの分野での仕事に取り組むことができた。

 2年間の在任中、4州を訪ね州議会から小学校まで約50か所で両国間の絆と題する講演を行った。昨年11月に訪ねたコスラエ州のワラン小学校では,帰り際に全校の子供たちが講演のお礼にと校歌を歌ってくれた。コスラエ語で歌われた校歌の歌詞は全く分からなかったが、最後が日本語の「頑張れ」という言葉で結ばれていて大変感動したことを今でもよく覚えている。得難い経験ができたことに感謝し、これからも子供たちの激励の言葉を胸に一歩ずつ前に進んでいきたいと思う。