第17回「人や動物の集団行動」

元駐タイ大使 恩田 宗

 鳥や魚の大群は捕食者に出会うと黒いひと塊となり縦横に旋回して体をかわす。無数の個体が一つの生き物であるかのような見事に統制のとれた動きを示す。しかし群れに統率者がいる訳ではないらしい。彼等は(1)周囲の仲間との間隔を常に一定に保つように動く方向とスピードを合わせる(2)障害物は避ける、というルールに従って行動しているだけだという。全員ひたすらただ周りに同調して動いているに過ぎない。

 人間も集団を作り事があれば同調して行動する。我の強い人は別として普段は差支えない限り大勢に順応している。集団と行動を共にすればあまり間違うことがなく間違ったとしても助け合えるからである。それに群れで行動すると気が楽であり楽しくもある。

 「群れはなぜ同じ方向を目指すか」(L・フィッシャー)によると、生徒約30人に選択式問題の試験をしたところ正解率は平均50%であったが各問題につき一番大勢の生徒が選んだ回答は全て正解だったという。集団の多数意見は案外正しいのである。民主的決定方法(一人一票での多数決)の信頼性も数学的にある程度証明出来るらしい。ただそれには条件があるという。問題に一つの正解があり各人が正解率50%以上の能力を有しそれぞれ独自に考えをまとめ互いに影響し合わないこと等である。集団のサイズと意見の多様性が大きい程多数派の答は正解に近づくという。各人が独自の考えを主張し合い最終的には多数意見でまとまるのが理想的ということらしい。

 しかし集団の構成が多様で多元的になるとその分多数派の割合が下がる。クイズの正解探し等であれば数の少ない多数派へ同調することにあまり大きな支障はないが政治問題になると利害が絡みそうはいかない。過半数を大きく割る多数派が集団全体にとり必要な施策だと提案しても少数諸派の賛同を得ることは容易ではない。ジャパンInc.と言われた日本が事を決められなくなったのはそのためである。F・フクヤマは米国政治は少数利益の代弁者(ロビースト)の数と力の増大で多数の意志が通らなくなっておりDemocracyでなくVetocracyだと論じているという。G・アッカ―マン議員も30年前と比較し米国議会は互譲協力の精神を失い動きがとれなくなったと嘆いている。

 ドイツ人映画監督D・デリエは東京の群衆は周りの他人と適度な間隔で自然に調和しており中に紛れて遊泳すると自分を消し去ってしまえる安心感に浸れると述べている。彼女が帰国し魚の群れのように動くよう指示してもドイツ人にはうまく出来ず誰が群れを指揮するかとの議論を始めてしまうという。 強固な個性と柔軟な協調性の二つがひと一人の中に共生両立し得れば問題はないのであるが・・・。