2016年米国大統領選挙の真の意味は何か?

西村 六善

西村 六善
元駐メキシコ大使

始めに…

温暖化を喰い止めようとする世界の動きに米国の保守層が強く反対しているのは何故か? これは気候変動交渉の中でも最も深刻な課題だった。私見では共和党の「小さい政府」と云う党是が災いをしていた。今でもそうだ。そしてこの党是が「トランプ現象」を生んだのではないか? 以下は米国研究の専門家ではない人間の私見である。

「小さい政府」とは(注)…

「小さい政府」は連邦政府の財政と権限の拡大を強烈に嫌悪する。兎に角、「規制」を嫌うのだ。例の「unfettered market capitalism」と云う思想だ。温暖化防止の名目で連邦政府が自由経済を規制することに反対だ。だから、連邦政府が各州にインセンティブを与えて石炭から自然エネルギーに転換しようとするオバマ政策は共和党の反対に遭遇している。温暖化のような地球規模の問題に連邦政府が行動することに反対なら、どうしたら良いのか? 結局、彼らは論点を逸らし、「温暖化は迷信だ」と強弁して切り抜けようとしている。

(注)本稿では、政府の領域を最小化し、規制を廃止し、富裕層を含めて大幅な減税を進め、財政赤字を拒絶し、福祉国家を敵視するネオ・リベラリズム的政策の全体を便宜的に「小さい政府」と呼ぶ。

「小さい政府」の生みだす問題は温暖化だけではない。「小さい政府」は「小さい福祉」だ。だから貿易のグローバル化と移民の流入で、あっという間に職を奪われた高卒レベルの労働者への「セーフティー・ネット」も小さい(1)。ロクな職業再訓練も受けられない。保守本流のクルーズ候補は医療保険(オバマケア)を「直ちに廃止する」と公言していた。経済界との関係上、最低賃金も上げたくない。労組の権利は保守に傾斜した最高裁によって恒常的に弱体化させられた。

大学の学費は非常に高額なので、せめて息子には良い将来をと願う中間層以下の親には希望すら無い。このところ中間層の貧困を論ずる記事と文献は非常に多い。最近アトランティック誌に中流層でも「急な400ドルでも用立て出来ない」ことに羞恥心を感じていると云う率直な意見が掲載され、大きな議論になった(2)。事実、白人貧困者の自殺の数も増えている。

しかし過去8年近くはオバマ政権の時代だから、貧困は同政権の責任ではないのか? 当然の議論だ。しかし、中間層の貧困化は寧ろ共和党の妨害政策の為だと云う議論が強い。2009年「ケニアの社会主義者」(保守派はオバマをこう呼んでいた)の大統領が出現した時、共和党はアメリカが福祉国家に急展開すると危惧した(3)。

それが背景で、共和党首脳は2009年1月オバマ大統領就任式典のその日の夜、会食に集合して全てのオバマ政策に全面的に反対すると云う方針を決めた(4)。ミッチ・マコネル上院院内総務は「オバマを1期4年で終わらせる」と公言した。日本では殆ど報道されていないがマコネル院内総務を主軸として、事の是非を問わず全てのオバマ政策に徹底した反対を始めた。2010年以降、議会は共和党が支配し、尚且つ戦闘的な「小さな政府」主義者の茶会派の進出もあってオバマ政権の行動を封殺した。

その結果、失業者を救済出来るインフラ整備などの公共事業も「小さい政府」だから十分出来ない。連邦政府は予算も人的スタッフも極端に縮小だ。職業再訓練予算はあるにはあるがドンドン削減された。予算不足で政府閉鎖の危機が何度もやってきた。共和党のジョン・ベイナー下院議長は「小さな政府」維持の為に一切の妥協を排除する強硬な茶会グループに呆れて辞任し、政治家をやめ、故郷に戻ったほどだ。中間層の貧困対策など共和党の中心課題ではなかった。

実は2012年の時点から共和党のこの極端で過激なネオ・リベラルな思想とオバマへの憎しみこそが「ワシントンの機能不全」の原因だとする有力な議論が行われていた。米国政治を40年間も観察し分析してきたブルッキングスとAEI所属の二人の論者が従来の「民主・共和両党ともに悪い論」を採用しないで「共和党の過激な極端主義が悪いのだ」と宣言した点は注目される(5)。

トランプ氏の登場と共和党が抱えた難問

トランプ氏はワシントンが共和党の過激な極端主義で機能不全に陥っている時に登場してきた。そして自分は全ての問題を断固、果断に切り裁くと勇ましく散々公言した。メキシコ国境に壁を作り、貿易や投資を管理して職を取り戻す…。出口がなく困窮した白人中間層は同氏に熱狂し、当初15人もいた共和党の大統領候補は全部排除されてしまった。

ところがトランプ現象は共和党に非常に深刻な問題を生んだ。同氏は伝統的な共和党の党是を破壊しようとしていることが次々と明らかになったからだ。「小さな政府」を無視し、大幅な財政出動もやりかねない。共和党員なら口が裂けても云わない「富裕層への課税」を口にしている。財政赤字を引き起こしても社会保障や医療保険を減額すべきでないと主張している。共和党が反対する妊娠中絶にも肯定的だ。

更に驚くべきことに、彼は「共和党は10年ぐらいの内に労働党になる」とすら発言している。共和党は元来移民を選択的に受け入れる立場だが1100万人の不法移民を強制送還すると云う。更に深刻なことに、共和党は自由貿易を党是としているが同氏は管理貿易を主張している(6)。友好国との同盟も軽視している(注)。

(注)日本だけの立場で云えば、共和党の不寛容な国内政策の「とばっちり」でトランプ氏による同盟弱体化が始まると云えなくもない。

トランプ現象の結果、共和党は解党の危機に…

たまりかねた党の幹部は「彼は真の共和党員ではない」と云い始めた。実際、これは共和党にとっては尋常ならざる事態だ。ここ10数年、共和党の「小さな政府」の党是が貧困化する中間層を救済できなかった。彼らの怒りがトランプ現象を生んだ。だから、同氏の出現は共和党の自損事故だ(7)。そう云う人間が事もあろうに共和党の屋台骨をぶち壊そうとしている…。ニューヨーカー誌は「共和党エリートはトランプに抵抗するのか降参するのかで懊悩している」と云う表題の論説を掲げた(8)。

更に白人貧困層はその「怒り」のはけ口として予てから反感を持っていた共和党の指導層にトランプと云う難題をワザとブン投げたと云う解釈すら行われている。そう論じているトム・フリードマンは「共和党は道義的に破産している。だから解党して健全な中道右派政党として出直すべきだ」とすら論じている(9)。

その上、トランプ氏の破天荒で深刻な失言の数々、虚言癖、露骨な人種主義と人間蔑視、政策課題に対する無知、国民を融合させるより対立させる人間性などから大統領になる資格はないと云う評価が定着してきた。共和党はこんな人間を本当に党の候補として擁立するのか? 議論が激しくなる中で共和党は当事者能力を失いつつある。党が一致団結して支援する体制にはない。このままでは大統領選挙ではクリントン氏に負けるし、議会上下両院でも敗北すると云う議論も始まっている。

実はトランプの問題ではない:共和党が変わるかどうかの問題

私見では、アメリカの真の問題はトランプ氏が大統領になるかどうかではなく(ならないと思う…)、共和党が変身するかどうかだ。この大混乱のあと、共和党は今までと全く同じ党是で行くのか? これが問題の焦点だ。

私見では共和党の「小さな政府」の党是は時代遅れだ。抑々貿易の自由化は米国全体の利益だ。しかし、自由貿易も自由経済も勝者と敗者を生む。「小さい政府」主義で敗者への手当ては殆どやらないのだから、共和党は結局「敗者切捨て政策」(10)なのだ。ネオ・リベラルの政策体系は元々米国が圧倒的に強国であった時ならまだしも、これからのグローバリゼ―ションには時代遅れだ。だから米国の本当の問題は共和党が今回の大混乱に懲りて真の変革をやり遂げるかどうかだ。トランプ騒動の背後にある問題はこれだ。

元々共和党は2012年オバマ大統領の再選阻止に失敗した時、失敗の原因を自己分析した。「共和党の死体検視書」と当時云われた。そこで共和党は既に青年層、マイノリティー、移民らから見放されているし、白人人口の減少傾向と相俟って、党は急速に限界化している…だから党改革が不可避だと分析していた(11)。

しかし、「小さな政府」に代表されるネオ・リベラル的な党是は不問に付されてきた。それどころか米国保守は、コーク兄弟や石油大資本、ルパート・マードック氏が所有するウオール・ストリート・ジャーナル紙やFOXTV、ヘリテージ財団やコーク兄弟が支援する数多くの宣伝機関、それに口汚くリベラルを罵倒し続けるトーク・ラジオ等が集団的共振盤を構成し、「小さな政府」と富裕層の減税を訴え続けてきた。

2016年トランプ現象を見た以上、共和党は党是の再検討を有耶無耶にはできないだろう。もっと中間層に配慮し、社会正義に向かって歩を進めるべきだ…。米国保守の高名な論客はそう論じている(12)。また、トム・フリードマンはトランプが共和党の改革を起爆したら彼は神の仕事を果たしたことになるとも述べている(13)。ポール・クルーグマンもほぼ同様のことを論じている(14)。

万一、共和党が今回の巨大危機のあとに党是の転換を図れば、民主・共和の両党は中道の近傍で接近する可能性がある。そうなれば国内の今日の極端な分極化に歯止めがかかるかもしれない。その結果、米国の国際的な指導性は(もしかすると大幅に)高まるかもしれない。人類社会を破滅的温暖化から救う展望も生まれるかもしれない。専制的レジームが依然幅を利かせる世界の今日的状況の中で、米国の健全な指導性が強化される可能性も出て来る。これこそ世界と日本にとって最も重要なことだ。私見では2016年の米国選挙の真の意味合いはここだと思う。

しかし、米国保守派の「小さい政府」等のネオ・リベラルへの飽くなき執着ぶりを見るととても楽観は出来ない。その上、アメリカのことだ、誰も想像できないことがこれから起きる可能性もあるし…。

参考文献
(1)”Why Trump supporters are angry and loyal” (New York Times April 6, 2016)
(2)The Secret Shame of Middle-Class American (The Atlantic May 2016)
(3)“Maybe This Time Really Is Different”(The Atlantic Aug 21, 2015)
(4) “The Republicans’ Plan for the New President”(FLONTLINE Jan 15, 2013)
(5)“Republicans created dysfunction. Now they’re paying for it” (Washington Post March 8, 2016).
(6)”How to get Trump elected when he’s wrecking everything you built” (Bloomberg Politics May 26, 2016)
(7)”The political scientist who saw Trump’s rise coming” (VOX, May 6, 2016)
(8)”Occupied Territory” (The New Yorker June 20, 2016)
(9)”Dump the GOP for a Grand New Party” (New York Times June 7, 2016)
(10)“Economists Say Trade Is Good, As Long Resources Are Refocused On Workers” (NPR radio April 29, 2016)
(11)”Occupied Territory” (The New Yorker June 20, 2016)
(12)”How to save the Republican Party” by David Frum (The Atlantic Apr. 28, 2016)
“The next conservative movement” by Yuval Levin (Wall Street Journal,April 15, 2016)
(13)”Trump and the Lord’s work” (New York Times May 3, 2016)
(14)“Wrath of the country” (New York Times April 29 2016)