第12回「公平と不公平」

元駐タイ大使 恩田 宗

 チンパンジーを隣接する檻にいれ餌などで差別待遇をすると差別された方が飼育員に抗議の仕草をするという。公平を求める心は類人猿にもその萌芽が認められるもので人間共通の欲求である。しかし何をもって公平で公正なことだと考え感じるかは時代や国によって異なる。

 宇治川の先陣争いでは佐々木高綱は最初11メートルほど梶原景季に遅れていたが後ろから馬の腹帯が緩んでいるから気を付けろと叫び景李が直そうとする間に追い越して勝利する。平家物語や源平盛衰記によると景季は「たばかられ」たと思ったとあり腹帯が本当に緩んでいたかは疑問である。しかし両書においてもその後の世評でも高綱の行為への批判は全くみられない。競争の際の正当な駆け引きだと見られていたのである。

 世界価値観調査では同年齢で同仕事の秘書達に能力差で賃金格差をつけるのは不公平(アンフェア)だとする日本人が1990年には41%いた。それが2000年には13%(米国では9%)に落ちている。能力に応じて働き必要に応じて与えられるべきだとの考え方は人類一時期の夢想として消えつつある。

 日本は輸出を伸ばすことで経済発展を遂げたがその過程で英米などからアンフェアだと難詰された。昭和27年1月の霞関会会報に朝海ロンドン在外事務所長は「(英国議会は日本の)アンフェア・コンペティションとスレーヴ・レーバーの話しばかりで・・全くウンザリ」したと書いている。日本が勤勉で低廉な労働力を武器に輸出を増やしたのは事実だったがそれをアンフェアだと言われるのは口惜しいことだった。

 日本の輸出産業が元気だった頃は米国議会も市場を閉ざして黒字を積みあげ安全保障はただ乗りではアンフェアだと強引な圧力をかけてきた。大平総理はカーター大統領主催晩餐会の際「日本に比べ米国はなんと広大なことか・・神様は不公平ですね」と話かけたという。米側通訳でカトリックのC・イイダはGod is unfair という発想をそのまま訳すのを躊躇したため話はそれで途切れてしまったらしい。総理は日本側にも米国はアンフェアだとの思いがあると言いたかったのではないかとイイダは回想している。

 ただ米国のアンフェアとも思えた圧力なしに日本の非効率な制度慣行の改革は不可能だった。摩擦対象製品は雑貨や繊維品で始まり鉄鋼・テレビ・自動車・半導体・スーパー電算機と日本経済の高度化の歴史をそのままなぞっている。日本の製造業が米国市場の胸を借りて成長してきたことは認めざるを得ない。

 「カブキ・プレイ」は米人記者達が自分達のフェアー・プレイに対比して日本の慣行を揶揄侮蔑する時使った言葉である。公開入札や株主総会や審議会など公正性を担保する制度があっても実質は仲間内の不透明な馴れ合いで筋書が決められている見せかけ芝居だと言うのである。時代が変わりそうした言葉が使われなくなって久しい。