イースター蜂起百周年

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駐アイルランド大使 三好 真理

[プロローグ]

 今年はイースターが早かったため、3月は、アイルランド由来の聖パトリックデー、イースター蜂起百周年記念式典等様々な行事が目白押しとなりました。  「とにかく、小さな国なのに、毎年、表参道の交通を1時間半さえぎってしまうんですよ。」と、東京の聖パトリックデーのパレードでグランド・マーシャル役を務めたアイルランド人神父のドナル・ドイル上智大学名誉教授からは、少しばかり誇らしげな報告がありました。  米国では、例年通り、訪米したケニー暫定首相(2月26日の総選挙後の投票で首班指名に必要な過半数が獲得できず、この段階では一旦首相職を辞任して代行中)が、オバマ大統領にシャムロック(クローバーの一種で三つに分かれた葉を持つ草)の鉢を贈呈し、会談し、ランチを共にしました。ホワイトハウスの大統領の日程を、聖パトリックデーの前後に毎年必ず押さえることができる国は、アイルランドをおいて他にはないでしょう。「アイルランド魂」とでも呼びましょうか。人口460万人の小国ながら、存在感を示している姿はあっぱれ、だと思います。

[イースター蜂起を巡る歴史]  今から百年前と言えば、1914年に第一次世界大戦が勃発し、1917年にはロシア革命が起こったことは周知の事実です。アイルランドでは19世紀末頃から民族的な意識が盛り上がりを見せ、GAA(ゲーリック運動協会)が古来からアイルランドで行われてきたハーリングやゲーリックフットボールを復活させました。また、W.B.イェーツ(アイルランドが輩出した4人のノーベル文学賞受賞者の一人)らがアベー劇場を設立し、国民演劇を発展させ、これに呼応するように、ゲール語連盟が創設され、ゲール語の復活運動を始めました。第一次世界大戦が勃発するや、英国政府は戦争遂行を全てに優先させるため、アイルランド自治問題を当分の間凍結させようとしますが、長年の懸念がそう簡単に冷却するはずもありません。

 1916年のイースターに、パトリック・ピアースやジェイムス・コノリーらが、中央郵便局(GPO)を司令部として、ダブリンの重要拠点を制圧し、アイルランド共和国の成立を宣言しました。しかし、英軍が出撃し、この武装蜂起は数千人の死傷者と市の中心部の破壊をもたらしただけで、一週間で制圧されてしまいます。蜂起は完全な失敗に終わるのですが、この時の英軍当局による、共和国宣言の署名者7名を含む反乱指導者16名の性急な処刑が、事態を一変させたのでした。

 その後1918年には共和派のシン・フェイン党が大勝利し、アイルランド共和国の設立を宣言し、さらに「英・アイ戦争」や内戦を経て、1922年アイルランド自由国が成立し、アイルランドは独立を達成します。

[イースター蜂起百周年記念式典]

 百周年の記念式典は、イースターサンデーの3月27日(実際の蜂起があったのは、イースターマンデーの4月24日)に、蜂起の舞台となったダブリン市内のGPO前で行われました。アイルランドの政府要人や外交団が見守る中(屋外行事だったため、雨の多い当国の式典らしく桟敷席の下にはカッパの用意もありました)、国防大臣、ダブリン市長、ケニー首相、ヒギンズ大統領が順に到着し、正午ちょうどに式典は始まりました。GPOの屋上にある緑・白・オレンジの国旗を半旗とした上で、「ダニー・ボーイ」が演奏され、「共和国宣言」の朗読、大統領による献花、参加者全員による一分間の黙祷、国旗を元に戻したあとは、国歌演奏、6機の軍機が編隊飛行でトリコロールを描き、式典は終わりました。

 引き続き総勢3500人、車両70台によるパレードが行われました。晴天に恵まれ(最後の最後、たまりかねたように大雨が降ったのはご愛敬でしたが)厳かな記念行事は、つつがなく幕を閉じたのでした。

[今日的意義]

アイルランド政府は、この百周年の準備のため、一年以上も前から芸術省の下に超党派議員グループ及び専門家グループからなる「Ireland 2016」を立ち上げて、各種イベントを各地で開催すると同時に、自国の歴史や国旗等についてのナショナリズム教育に力を入れてきました。また外務貿易省のプレスリリースによれば、2016年は年間を通じて、わが国を始め、米・英・豪・中国など15か国で関連事業の開催を予定しているようです。

 政府要人の中には「イースター蜂起の指導者等による暴力に訴えた行動は間違ったもの。」(ジョン・ブルートン元首相)という意見があり、また2011年のエリザベス女王のアイルランド訪問やヒギンズ大統領の2013年の答礼訪問などを通じて良好な関係にある英愛関係にとっても微妙な問題(式典には米国から議員団が参加していましたが、英国は駐愛大使が代表)ではありましたが、ヒギンズ大統領は、はっきりとイースター蜂起は、「帝国主義への反発」であったとその意義を強調しています。

 共和国宣言の冒頭にある「アイルランドの男女諸君、神の名において、また我々が彼らから古い民族的伝統を継承している過去の人達の名において、アイルランドは我々を通じてその旗の下に子孫を招集し、その自由の為に戦うものである。」という文言を子ども達が朗読し、また3月27日の晩、若者の間で「アイルランドのことを誇りに思う。」といったツイッターが飛び交ったという話を聞くにつけ、この国には健全なナショナリズムが育っているということを感じます。最後にこのイースター蜂起で処刑された志士たちを悼んで詩人W.B.イェーツが書いた詩の一節を引用して拙文を終えたいと思います(『恐ろしい美が生まれている』(ユーリック・オコナー著、波多野裕造訳)から)。 私はこれを詩のなかですべて謳い尽くそう。

マクドナとマックブライド
そしてコノリーとピアス
今日、そしてこれからの日々、
グリーンの服が着られる祖国の全土で
変わった、全く変わってしまったのだ。
恐ろしい美が生まれている。

(本稿における見解は筆者の個人的なものです。)