開発協力大綱を読む―規範文書としてのODA大綱、政策文書としての開発協力大綱―

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小島 誠二
(元外務省経済協力局調査計画課長 元駐タイ大使)

はじめに

遅ればせながら、昨年2月に閣議決定された開発協力大綱を精読してみた。まず、閣議決定文を含めると全体で12ページ、約15000語という圧倒的な長さに驚かされる。これまで使われていた「政府開発援助大綱」(ODA大綱)から「開発協力大綱」に名称が変更されたことも、特筆されるべきことであろう。本稿では、1991年4月のいわゆる「海部4指針」から、1992年6月の「政府開発援助大綱」(第1次大綱)及び2003年8月の「政府開発援助大綱」(第2次大綱)を経て、今回の「開発協力大綱」(第3次大綱)に至る過程を、規範としての性格が強かった文書が政策としての性格の強い文書へと変化していく過程としてとらえてみることとした。もう一つの特徴である名称の変更については、「日本の外交手段としてのODA」が「開発協力」という新たな名称を与えられ、「DAC統計作成基準としてのODA」の呪縛から解き放たれることとなったと評価することとしたい。

1. 大綱とは何か?

累次の大綱には、法的拘束力はなく、法律上の根拠もない。しかしながら、第1次大綱は、「我が国のODAの理念と原則を明確にするため、援助の実績、経験、教訓を踏まえ、日本の援助方針を集大成したODAの最重要の基本文書」(1999年8月の「ODA中期政策」)である。その他の大綱も、基本的には同様の性格を有し、いずれの大綱も閣議決定されている。また、一連の大綱をみると、整理の仕方は異なるものの、基本理念、重点事項、実施上の原則、実施体制等が取り上げられている。いずれの大綱も、「規範」、「政策」及び「内外へのメッセージ」としての性格を有するが、改定の過程で、規範文書としての性格が弱められ、政策文書としての性格が強められていったようにみられる。

2. 小さな大綱としての海部4指針

(内容)1991年4月の参議院予算委員会における答弁の形で明らかにされた海部4指針は400語に満たないものであり、要旨は次のとおりであった。
「我が国の援助の実施に当たって、①被援助国の軍事支出の動向、②大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造等の動向、③武器輸出入の動向、④民主化の促進及び市場志向型経済導入の努力並びに基本的人権と自由の保障状況に十分注意を払いながら、二国間関係、被援助国の置かれた安全保障環境も含めた国際情勢、被援助国のニーズ、被援助国の経済社会状況等を総合的に判断して対処する。」
海部総理は、この答弁の冒頭、「人道的考慮」と「国際社会の相互依存性の認識」という援助理念にも触れている。

(背景)海部総理は、上記の国会答弁において4指針の内容に触れる前に、1990年8月以降の「湾岸情勢の一連の動き」が海部4指針を作成するきっかけとなった旨述べている。実際、1991年2月以降、国会審議、マスコミ報道等において援助と軍事費を関連付けるべしとの議論が繰り返されていた。4指針のうちの最初の3項目の背景には、外国からの援助が間接的であるにせよイラクの軍事大国化を助けてしまったことに対する国際社会の反省がある。最後の項目は、1989年以降の中・東欧及びソ連における変革の結果、開発途上国においても民主化、市場経済の導入、人権の尊重が推進されるべきであるという議論が援助の世界でも強まっていたという事実を踏まえたものである。

(性格)指針と言いながら、海部4指針に込められた規範としての性格は強かったように思われる。ただし、このように規範としての性格が強い海部4指針でさえ、世界の平和に貢献する日本、民主主義・人権という普遍的な価値の実現に取り組む日本というイメージを発信するものであり、また、民主化・市場経済化に向けての支援を強化していくという日本の援助政策の方向性も示していたと言えよう。

(作成に当たり留意された点)筆者を含め、この指針の作成に携わった者が恐れていたことは、開発途上国の短期的な行動に基づいて、この指針が機械的に適用されることであり、援助が様々な要因によって決定される事実が等閑視される恐れがあったことであった。そこで、開発途上国の行動は「動向」としてみること、そして援助を実施する場合に考慮されるべき様々な要因(二国間関係、国際情勢、援助ニーズ等)も含めて、総合的に判断することを明確にすることとされた。

(経済発展に対する4指針の意味)海部4指針起草当時、軍事産業が経済発展を促進するという議論も行われていたが、軍事支出が貯蓄(ないし投資)及び人的資源に大きな負担となり成長を減じることになるというのが多数説のようであった。経済発展と民主化との関係については、①民主化はある程度の発展を遂げた国においてのみ可能である、②民主主義や人権が保障されていない国において少なくとも中長期的には開発は持続不可能である、③開発と政治体制との間には相関関係はないといった考え方が存在していた。海部4指針の第4項目は、民主化と人権保障そのものの重要性に着目して採用されたと理解している。なお、第3次大綱「重点課題」の「普遍的価値の共有、平和で安全な社会の実現」は、②の考え方に立っているようにみられる。

3. 援助基本法に代わるものを目指したODA大綱

(内容・構成)第1次大綱は、1.基本理念、2.原則、3.重点事項((1)地域及び(2)項目)、4.政府開発援助の効果的実施のための方策、5.内外の理解と支持を得る方法並びに6.実施体制等から構成されている。全文で、3400字にもならない短い文書である。「原則」が「基本理念」に次ぐ位置づけを与えられている。海部4指針の4項目に「環境と開発の両立」及び「軍事的用途と国際紛争助長への使用の回避」という2つの項目が追加された(海部4指針の4項目が2項目に圧縮され、追加された2項目を含めて4原則と呼ばれることになった点に注意を要する。)。追加された2つの項目は、援助額の増減あるいは停止を決める要因ではなく、あるべき援助の内容を規定するものであり、海部4指針とは性格の異なる「原則」であると言えよう。

(作成の経緯)第1次大綱作成に至る経緯を振り返ると、1991年12月第3次臨時行政改革推進審議会によって大綱策定の答申がなされ、これを受けて、大綱の策定が閣議決定された。その後、政府から大綱の策定に関する審議を付託された対外経済協力審議会(会長:大来佐武郎元外務大臣)は、92年5月「我が国対外経済協力の推進について」と題する意見具申を提出した。この意見具申を踏まえつつ策定された第1次大綱は、92年6月対外経済協力関係閣僚会議における審議を経て、閣議決定された。

(作成の背景)1980年代後半、公明党と社会党から別々に国際開発協力基本法案が提出され、審議未了のまま廃案となることが繰り返された。1991年4月には社会、公明及び連合参議院の3会派の間で基本法の要綱案について合意が成立し、92年2月には社会党及び連合参議院が法案を共同提出した(末尾参考文献)。第1次大綱は、こうした援助基本法作成の動きに対する政府からの一つの回答としての性格を有していた。実際、第1次大綱はこれらの基本法案の内容をほぼ取り込んだものであり、残された事項は、国会による「国際開発協力計画」の事前承認と援助庁の設立のみであると言われていた。
(規範としての性格の強い第1次大綱)政府による自民党への説明をみると、党側出席者の「原則」への関心は強く、非常にあいまいである、この程度のものであれば、大綱を作った意味がどこにあるのか不明である、外務省等のさじ加減の幅を相当持たせているのではないか、軍事支出について日本が率先して物差しづくりをしてもらいたいという趣旨の発言がみられた。このことは、第1次大綱に対して、規範としての性格を持たせることに強い関心があったことを裏付けるものと言えよう。
(運用の実績)4原則の運用について、1999年に出版された研究書(末尾参考文献)は、「ODA大綱4原則が援助相手国や援助額の決定基準(配分基準)として用いられてこなかったことも事実である」としながらも、「これまでODA大綱4原則の運用を通じて、ネガティブ・リンケージの発動についての一貫した方針がまったく取られてこなかったわけではな」く、「日本政府が行ってきたのはさまざまな要素を考慮したケーズ・バイ・ケースの総合的な判断に基づく運用であって、これを直ちに恣意的な運用であると見なすのは適当ではない」との評価を行っている。また、統計的な手法を用い、「被援助国の政治的自由度は、無償資金援助の供与対象国選択段階と技術協力援助配分額の決定において一定の影響を与えていることが認められた」という結論を導いている。
これまでの運用をみると、総じていえば、民主化に逆行する事態及び大規模な人権侵害に対しては、ネガティブ・リンケージが適用されている。アジア地域において、より慎重な運用がなされているのは、「総合的に判断」された結果であろう。大量破壊兵器の開発・製造に対しては、ネガティブ・リンケージが適用されてきた。なお、援助を停止した場合、民主化復帰の日程の提示、核実験の凍結約束等が停止措置を解除する条件となってきたと言える。

4.政策文書としての性格を強める改定ODA大綱

(内容・構成)第2次大綱は、I. 理念(1.目的、2.基本方針、3.重点課題及び4.重点地域)、II. 援助実施の原則、III. 援助政策の立案及び実施(1.援助政策の立案及び実施体制、2.国民参加の拡大並びに3.効果的実施のために必要な事項)並びにIV. ODA大綱の実施状況に関する報告という構成になっている。閣議決定文を含めると約7000字と、第1次大綱の倍以上の分量となっている。主な特徴としては、理念が3つの構成要素(目的、方針及び重点)に分けて書かれていること、ODAの目的と「我が国の安定と繁栄の確保」とが間接的とはいえ、結び付けられていること、貧困削減が重点課題の最初に取り上げられていること、アジアが重点地域とされていること、「援助政策の立案及び実施体制」がきわめて拡充された形でまとめられていること等であろう。

(作成過程)第1次大綱の改定に当たっては、外務大臣の諮問機関であるODA総合戦略会議(議長代理:渡辺利夫拓殖大学学長)の場で論点整理が行われ、これを受けて作成された政府原案が再度ODA総合戦略会議で審議された。また、全国3か所で公聴会が開催され、パブリック・コメントの手続きも取られた。これらの手続きは第3次大綱策定過程においても踏襲されることになる。

(争点となった事項)ODA総合戦略会議の記録を読むと、開発に関する高い専門性を有する議論がなされたという印象を受ける。ここで、争点となったのは、目的の書きぶり、特に国益の扱い、重点課題としての貧困削減の位置づけ、アジアを重点地域とすることの是非、ジェンダーの扱い等であった。東京及び大阪における公聴会では、ODAの目的と国益との関係、民主化・人権保障・構造改革と援助を結びつけることに伴う問題(人間の安全保障の「破綻」の恐れ)、ODA基本法の作成と援助庁の設立、原則運用の在り方等が取り上げられ、国際平和活動のヴィジョンの不在、重要課題として「ジェンダー平等と女性の地位向上」を取り上げることの必要性等が指摘された。

(国益をめぐる議論)ODAの目的と国益との関係をどう整理するかという問題は、すでに第1次大綱を作成した折に存在していた。ODA総合戦略会議でも、国益という言葉を入れるべきという意見もあった。第2次大綱「目的」では、「我が国ODAの目的は、国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである」と書くこととなった。第2次大綱「目的」には、ODAを活用した我が国の取り組みは「我が国自身にも様々な利益をもたらす」とか、ODAを通じて開発途上国の安全と発展に貢献することは、「我が国の安全と繁栄を確保し、国民の利益を増進することに深く結びついている」という表現もみられる。

(「原則」の扱い)第2次大綱では、「原則」は「援助実施の原則」とされた。また、大綱の残りの部分(「理念」並びに「援助政策の立案及び実施体制」)が大幅に拡充されたことにより、文書全体に埋もれた存在になっているとの印象を受ける。第2次大綱が政策文書としての性格が強くなったことの一つの理由と言えよう。ただし、NGO関係者からは、第2次大綱策定の過程において、大綱が規範としての性格を持つことへの関心が示された。

(貧困削減)「重要課題」の最初の項目として、「貧困削減」が掲げられていることに表れているように、第2次大綱には、第1次大綱以上に「貧困削減」を重視する姿勢がうかがわれる。ただし、そのためには、途上国経済が持続的に成長することが不可欠であると付け加えられていることにも留意する必要がある。援助の世界では、定期的に貧困に焦点が当てられる傾向がある。1970年代には、BHN(人間の基本的ニーズ)の考え方が提案されたり、実際の事業に取り入れられたりしている。1990年代末以降世銀・IMFにより、HIPC(重債務貧困国)イニシアティブの対象国に対して「貧困削減戦略ペーパー」の作成が求められた。世銀が世界開発報告「貧困との闘い」を発刊したことも国際援助コミュニティの目を貧困に向けさせることに貢献したと言えよう。2000年9月に採択された国連ミレニアム宣言を基にまとめられたミレニアム開発目標(MDGs)の存在も大きい。第2次大綱にも、こうした国際的な援助潮流の影響があったと想像される。

(実施体制)様々な援助主体による連携は、大綱が取り上げるべき不変のテーマであり、時代を経るにしたがって、その内容は拡充されてきている。むしろ課題は実践にある。連携について第2次大綱の中で注目されるのは、「外務省の調整を中核として」関係府省間の人事交流を含む幅広い連携を強化するとされている点である。これは1999年8月の中央省庁等改革関連法の規定を踏まえたものである。第1次大綱では、援助庁設立に代わる一元化への対応が示されていなかったとすれば、ここで改めて政府としての対応が示されたと言うことができよう。なお、「国会による国際開発協力計画の事前承認」については、累次の大綱において評価の充実が謳われていること、情報公開が進められたこと、国会においてODAに関する審議がなされてきたこと等もあって、事前承認の議論が活発になされているようには思われない。

5.政策文書としての開発協力大綱

(内容・構成)第3次大綱は、前文(現状認識)、I. 理念((1)開発協力の目的及び(2)基本方針)、II. 重点政策((1)重点課題及び(2)地域別重点方針)並びにIII. 実施((1)実施上の原則、(2)実施体制及び(3)開発協力大綱の実施状況に関する報告)からなっている。

(有識者懇談会の報告書)ODA大綱見直しに関する有識者懇談会(座長:薬師寺泰蔵慶応義塾大学名誉教授)は、2014年3月から6月までの間に4回の会合を持ち、報告書を取りまとめた。この報告書には、開発協力に関心を有する各界の幅広い意見が集約されていると言えよう。取り上げられたすべての論点について意見の一致がみられたわけではなく、報告書には少数意見も明記されている。有識者懇談会における議論の主たる内容は、大綱のスコープを広げること、国際益と国益とはつながっていること、日本の経験を踏まえた日本らしい援助政策を進めること、貧困削減と持続的成長を統合して重点課題とすべきこと、軍人や軍組織を対象とする支援をすべてODAから排除するのは行き過ぎであること、「注意を払う」ということでは原則にならないこと、ODAは様々なリソースを動員するための触媒としての役割を果たしていくべきこと、日本は対国民総所得(GNI)比0.7%目標の達成を中長期的に目指すべきこと等の意見が出された。

(公聴会の意義)2014年9月から11月にかけて全国で1回の意見交換会と4回の公聴会が開催された。出席者からは、国益への言及、経済成長重視、軍隊や軍籍を有する者への支援、ODA予算のPKO予算への転用等への懸念が表明され、ODAと民間資金との分離、ODA基本法、大綱の運用のモニタリング等の必要性が指摘された。これに対して、第2次大綱策定の場合と同様、外務省・JICA担当者が真摯に応答し、誤解を解く努力を行った。公聴会及びパブリック・コメントで出された意見を踏まえ、社会開発、女性の参画、自治体の役割、我が国のNGO/CSOへの支援、国民との対話、開発教育等について語句・項目が追加されたり、内容が拡充されたりしている。公聴会の記録を読んで、より幅広い国民の意見を組み上げる工夫が必要であるとの感想を持った。

(「中期政策」の性格も有する第3次大綱)第3次大綱では、その下に、「課題別政策」、「地域別政策」、「国別政策」等を位置づけるとされており、これまで2度に亘って作成された「中期政策」(1999年8月の中期政策は約26000字、2005年2月の中期政策は約18000字)は言及されていない。実際、第3次大綱は、内容面でも、分量の面でも、従来の中期政策の一部を取り込んだものと言える。他方、従来の「原則」又は「援助実施の原則」は、「開発協力の適格性確保のための原則」の一部とされ、新たに「効果的・効率的な開発協力推進のための原則」が置かれることとなった。従来の「原則」又は「援助実施の原則」の第3次大綱の文書全体における位置づけは一層低いものとなっている。

(名称の変更)外務省国際協力局が作成した「開発協力大綱(案)」(平成26年11月)と題する資料には、名称の変更の背景として、①「協力のスコープの拡大(DACリストからの卒業国への協力の実施など)」、②「政府にとどまらない、オールジャパンの協力の中核、原動力としての役割(民間企業、NGOなど様々な資金・活動との連携強化)」及び③「「援助」から「協力」へ(途上国との対等なパートナーシップによる協力)」が挙げられている。有識者懇談会では、ODAのスコープの拡大が繰り返し、主張された。国際協力局作成資料の中には、開発途上国のすべての資金を開発協力に含めた図表も存在した。他方、(ODA以外の公的資金(OOF)及び民間資金を除くことを前提に)ODA以外に何があるか見えないという意見も出された。実際、開発協力が「開発途上地域の開発を主たる目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動」とされていることから、OOFは除外されることになり、「開発協力」の範囲とODAの範囲とはほとんど一致することとなる。そうだとすると、「開発協力」へと名称を変更することの主たる目的は、ODA以外の開発途上国への資金の流れの一部を取り込むことにはなさそうである。元々ODAというのは、DACにおいて、加盟国からの援助報告を取りまとめるに当たり共通の基準が必要として作成されたものである。このような「DAC統計作成基準としてのODA」がこれまで「政策としてのODA」を規定するような面があったことは否めない。また、「政府開発援助」の下で行われる活動の中には、一般国民には「開発」とは考えにくいような活動が含まれるようになったことも事実である。今回の名称変更の背景には、ODAを開発協力と呼ぶことで、「DAC統計作成基準としてのODA」と「政策としてのODA」を明確に分けていこうとする意図があったと言えよう。このことは、今後とも、DACに対して、DAC統計指示書に従ってODA実績等を忠実に報告すべきことも意味する。以上の点について、第3次大綱作成担当課長は次のような分かりやすい説明を行っている。

「今回「開発協力」という言葉を使ったのは、ODAという国際的定義にとらわれず、日本として必要だと考える協力は行うし、必要と思わない協力は行わないという観点から、日本自身が自らの考えで「開発協力」の範囲を設定することで、今回、名前を変えたという面があります。」
DACでは、2018年以降の実績の取りまとめに当たり、ODAの定義を「総額」と「純額」の二本立てから「総額とグラント・エレメントの積」に一本化し、途上国の所得レヴェルに応じて、グラント・エレメントの割引率と閾値を使い分けるという改定を行うこととしており、このような変更にあらかじめ対応する面もあるようである。
(「国益」への言及)第3次大綱は開発協力と国益との関係について、前文において「平和で安定し、繁栄した国際社会の構築」と「我が国の国益」がますます分かちがたく結びつくようになったという認識を示し、「開発協力の目的」において次のように述べている。
「以上の認識に基づき、我が国は、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保により一層積極的に貢献することを目的として開発協力を推進する。こうした協力を通じて、我が国の平和と安定の維持、更なる繁栄の実現、安定性及び透明性が高く見通しがつきやすい国際環境の実現、普遍的価値に基づく国際秩序の維持・擁護といった国益の確保に貢献する。」

第3次大綱の特徴は、このように国益という語を初めて使用したことであり、開発協力の目的と国益とを2文に分けて書くことによって、開発協力の主たる目的が国際社会の平和と安定及び繁栄の確保により一層貢献することであることを明確にしたことである。ここで用いられている国益は、2013年12月閣議決定された「国家安全保障戦略」にある定義を受けたものである。開発協力の主たる目的を明確にした上で、開発協力を通じて国益の確保に貢献すると記述したことは、日本の厳しい財政状況の下で、国民からの幅広い支持を得るための正しい選択と言える。
(人間の安全保障の展開)第2次大綱「基本方針」では、「「人間の安全保障」の視点」が掲げられていた。第3次大綱「基本方針」では、「人間の安全保障の推進」となり、人間の安全保障の考え方が我が国の開発協力の根本にある指導理念であると記述されている。ただし、2つの大綱では、人間の安全保障の考え方が十分展開されておらず、支援対象となる人々の特定と支援の内容にとどまっているという印象を受ける。開発協力の理念全体の中に人間の安全保障をどう位置付けるかという大きな課題が残されていると言えよう。
(自立的発展に向けた協力)第1次大綱では「基本理念」において、第2次大綱では、「基本方針」において、それぞれ「自助努力を支援すること」、「開発途上国の自助努力支援」が掲げられていた。第3次大綱「基本方針」には、「自助努力支援と日本の経験と知見を踏まえた対話・協働による自立的発展に向けた協力」が掲げられている。具体的な協力分野について第2次大綱から大きな変更はなされていないが、第3次大綱では新たに日本の経験と知見を活用することが追加され、相手国等との対話と協働が強調されている点に特色がある。そして、相手国等との対話・協働には、日本側からの提案も含まれていることが注目される。

(「質の高い成長」とそれを通じた貧困削減)第2次大綱では、重点課題として「貧困削減」と「持続的成長」が別々に掲げられていたのに対して、第3次大綱では、「「質の高い成長」とそれを通じた貧困撲滅」としてまとめて記載されている。しかしながら、この部分をよく読むと貧困削減が基本的な開発課題とされており、貧困問題を解決するには経済成長の実現が不可欠としつつも、その成長は、「包摂的」で、「持続可能」であり、「強靭性」を備えた「質の高い成長」でなければならないと述べている。NGO関係者からは、第3次大綱が経済成長重視との批判が寄せられているが、この部分が貧困削減を軽視しているとはとても考えられない。

(普遍的価値の共有、平和で安全な社会の実現)第3次大綱「重点課題」では、「質の高い成長」を実現するため、自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的な価値の共有や平和で、安全な社会の実現のための支援を行うとしている。これは、これまでの「原則」又は「援助実施上の原則」のポジティヴ・リンケージの適用としてとらえることができる内容であり、これまでにない記述である。本項第3パラは、第2次大綱で「重点課題」の「平和の構築」として取り上げられていたものに、自然災害等の非伝統的な脅威に対する対応への支援が追加された内容になっている。

(地域別重点方針)第2次大綱作成過程においても、アジア地域を重点地域とした場合に生ずる重点地域と重点課題の不整合性が問題とされていたが、第3次大綱では、アジアが重点地域であるとの記述をやめて、地域ごとの重点方針を提示する内容となっており、その記述も大幅に拡充されている。
(効果的・効率的な開発協力推進のための原則)第2次大綱にも「戦略」や「開発戦略」という語は使われていたが、その内容は説明されていなかった。第3次大綱では、新たに「戦略性の強化」という項目を設けて、政策立案、実施及び評価のそれぞれに分けて「戦略性」の内容を説明している。政策立案について書かれていることを一言で言えば、我が国の外交政策に基づいた方針の策定・目標設定を行うということである。第3次大綱の政策立案に係る記述と第2次大綱の「政策協議の強化」の書きぶりとでは、若干ニュアンスの違いが感じられるが、要は途上国の開発政策と我が国の援助政策の調整が大切であるということであろう。なお、第3次大綱の「実施上の原則」の柱書にもあるとおり、「開発効果向上等の国際的議論」にも配慮していく必要がある。実施については、ODAとODA以外の資金・協力との連携による相乗効果を高めるとされている。民間資金との連携については、「実施体制」の「連携の強化」において、開発協力とともに実施される「民間投資」のあり方にまで踏み込んで書かれていることが注目される。評価については、政策や事業レヴェルの評価、外交的視点からの評価を実施するとしている。
(開発協力の適正確保のための原則)第2次大綱の4原則に、「公正の確保・社会的弱者への配慮」、「女性の参画の促進」、「不正腐敗の防止」及び「開発協力関係者の安全確保」が追加され、8原則になっている。また、「軍事的用途及び国際紛争助長の使用回避」の原則を「非軍事目的の開発協力に相手国の軍又は軍籍を有する者が関与する場合」に適用するに当たっては、「その実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」ことが明記された。このことで、むしろ運用上の透明性が高まったと考えられる。

(実施体制)「政府・実施機関の実施体制の整備」については、制度・機構改革が進められた結果を踏まえた記述を除けば、第2次大綱と同じような内容となっている。第3次大綱で注目すべき点は、「連携の強化」に関する部分であり、開発協力を多様な力を動員・結集するための触媒と捉えて、多様な主体との連携や緊急人道支援、国際平和における連携について、詳細に記述している。第2次大綱では、「国民参加の拡大」として取り上げられていた諸項目が、第3次大綱では「実施基盤の強化」において「情報公開、国民及び国際社会の理解促進」、「開発教育」及び「開発協力人材・知的基盤の強化」という項目を設け、大幅に拡充して取り上げられている。

おわりに―開発協力大綱の実施の在り方

改めて一連の文書を読み、作成過程を調べてみると、そこには一連の文書の連続性と国民の信頼を得るための政府の強い決意が感じられる。今後開発協力大綱に盛り込まれた諸政策が誠実に実施され、実施体制が拡充されることにより、「開発協力」に対する国民の支持が回復することを期待したい。「開発協力」が我が国と開発途上国との共同作業とすれば、開発途上国が今後とも開発協力を活用していきたいと考えるよう諸制度の改善・柔軟な運用も必要である。また、第3次大綱において言及されている「課題別政策」、「地域別政策」、「国別政策」等が大綱の方針に従って、作成されていくことに注目していきたい。特に、MDGsに代わるポスト2015年アジェンダがどのように具体的な政策やプログラムに反映されていくかを見ていくことは楽しみである。    (3月13日記)

(参考文献)下村恭民・中川淳司・齋藤淳「ODA大綱の政治経済学」有斐閣 1999年10月

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