第7回「引越し」

元駐タイ大使 恩田 宗

外務省に勤めると外国勤務がある。人にもよるが退職するまでに平均して7~8ヶ所でそこにそれぞれ2~3年程度というとこである。引越し1回は荷作り荷解き家の閉じ開けと2回の作業になる。新たな住まいを見つけるにも時間がかかることがあり仕事との兼ね合いで苦労する。家族持ちの場合は子供の学校などの問題も加わる。外国でも一時的な腰掛生活でなく充実した生活を送ろうと思うと持って行く品物が増える。荷造りは業者にも頼めるが自分でしないと何がどの箱に入っているか分らなくなり荷ほどきのとき不便する。新任地でがらんとした部屋にコンテナで到着した段ボール箱の山を見ると途方に暮れる。引越しは親族友人と遠く離れる苦痛も伴う。退職してほっとすることの一つはもう引越しをしないで済むことである。

 引越しの多さでは葛飾北斎が有名だが(90年の生涯で93回)その理由は謎である。住家を全く掃除せず不潔でどうしようもなくなると引越したとする説がある。掃溜のように取り散らかした部屋で画作に没頭する北斎を見たとの証言や訪ねてきた尾上梅幸(3世菊五郎)がその住まいの汚さに驚いて持ってきた自分の毛氈を敷いてその上に座ったなどという話もある。しかし部屋の汚れに全く無頓着な北斎が不潔さに耐えかねて引越したというのは理屈に合わない。それに1日に3度引越したこともあるらしい。江戸の家主(大家)は貸家の所有者(地主・家持)からその管理を委託されていて同時に町役人として店子の監督責任も負っていた。自分の利益と保身のためにも店子選びはかなり慎重だったという。北斎は隅田川周辺の狭い地域内でぐるぐる転居していた。しかも高名な絵師である。部屋を荒らすだけ荒らして出てしまうなどということを繰り返したら情報は家主仲間に伝わり借り替えなど出来なくなっただろう。北斎の転居は彼の道教観と妙見信仰が原因だとする説(「北斎の謎を解く」諏訪春雄)があるがそれもしっくりしない。北斎と多くのベストセラー読本を協同で作り数ヶ月同居をしたこともある曲亭馬琴は、「居を転する・・この男ほどしばしばなるハなし」とただ驚いているだけで理由については書いていない。たぶん北斎自身でも説明の出来ない奇癖というかむら気がそうさせたのではないだろうか。現代でも確たる理由も無しに転々と居所を変える芸能人がいるらしい。

北斎は目まぐるしく転居しながらもその間2度結婚し男女数人の子を儲けている。また一大画閥の長として多くの門人を指導し文化人仲間との交際もこなしている。それでいてあの質とあの量の作品である。凡人と比すべきもない超人である。

その彼と比較する訳ではないが外国での勤務を承知で選んだ職業である。引越しで泣き言を言うべきではないかもしれない。

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