『メキシコ点描』―「日墨関係の新たなステージへ」―

山元 毅
山田 彰
(駐メキシコ大使)

 2014年10月にメキシコに赴任して一年余が過ぎた。私が最初にメキシコを訪れたのは、1976年末、大学生の時なので、もう40年近くになるメキシコとのつきあいであるが、近年、日本とメキシコとの関係はかってなく、また他に類を見ない勢いで急速に進展している。  さらに、日本とメキシコには長い友好の歴史があり、両国関係にまつわる興味深い話はつきない。また、メキシコの各地で、日本との関係増進に尽力しておられる、メキシコ人、日系人、日本人の姿は枚挙のいとまが無い。本稿では、そうしたメキシコの現在の様々な姿を点描してみたい。

1.メキシコの今日

 メキシコは、途上国・新興国と呼ばれる国の中でも安定した民主主義政治体制を持ち、市場経済の下、堅実な経済運営と自由で開かれた対外経済政策が確立した国である。 

 2012年12月に発足したペーニャ・ニエト大統領は、就任直後に連邦政府と主要政党間で『メキシコのための協約』という合意を形成し、多分野にわたる一連の構造改革を進めてきた。世界に構造改革の推進を標榜する政府は多数あるが、メキシコほど具体的、大規模かつスピーディーに実施している国は稀であろう。特にエネルギー改革等を契機として、外国企業による対墨投資機会が拡大しており、世界のメキシコに対する注目が高まっている。

2.日本との関係(経済関係を中心に)

 日本とメキシコの関係は、特に経済面において進展が著しい。日墨間には2005年に発効した経済連携協定(EPA)があるが、この10年で貿易額はほぼ倍増している。それ以上に注目すべきは、日本企業の進出、日本の対墨投資の顕著な増加である。2009年に399社だった在メキシコ日本企業数は、2014年には814社、2015年には957社を数え、本2016年中には1,000社を越える勢いである。世界でもこのような規模と速度で日本企業が増えている国はないのではないか。

 日本企業の進出の中心は、バヒオと呼ばれる中央高原地域(メキシコシティの北西)であり、大多数は自動車関連産業である。

 メキシコにおける自動車生産については、日産が50年以上の歴史を持つが、近年日産、マツダ、ホンダといった完成車メーカーがバヒオ地域に工場を新設し、それに伴って多くのサプライヤー(自動車部品、素材)企業がメキシコに進出し、その他の関連企業もメキシコに拠点を置くようになった。昨年4月には、トヨタがグアナファト州に新工場を作ることを発表した。2019年生産開始の予定だが、トヨタの新工場開設でまたさらにサプライヤー企業が日本から進出することが予想される。

 自動車以外のビジネス・チャンスも増えており、日本企業の対墨進出増加は、まだ当面継続すると見込まれているのである。 こうした関係緊密化を反映し、メキシコにおける日本のプレゼンスは拡大している。

上記の日墨関係の進展、特にバヒオ地域における日本企業、日本人の増加に鑑み、同地域の中心都市であるレオン市に日本の総領事館が開設され、2016年1月から業務が開始された。早速大勢の日本人、メキシコ人が領事サービスを受けるために総領事館を訪れている。 また、本年4月には、日本経済新聞のメキシコ支局が開設されることになった。近年日本の新聞の海外支局は人員削減の方向にあるのではないかと思うが、日墨経済関係の進展状況に鑑み、メキシコ発のニュースをよりカバーする体制を整備したわけで、メキシコ発のニュースがよりバランスのとれた形で日本に届くようになるであろう。

 もう一つのニュースは、全日空直行便の開設である。現在、アエロメヒコが成田-メキシコシティ間の直行便(ノンストップ)を週4便飛ばしている。日墨間では、訪問者が双方向とも5年で倍増といったペースで着実に増加しており、こうした中、全日空が2016年度下半期から東京・メキシコシティ間の直行便を毎日1往復で飛ばすことになったのである。(日メキシコ便は、かってバンクーバー経由で運航していた日本航空が2010年1月に撤退した。)在墨邦人にとっては大変嬉しいニュースである。

 在レオン総領事館開設、日本経済新聞支局開設、日系航空会社(全日空)の直行便就航という三つの出来事は、まさに日墨関係の急速な進展を象徴するものといえる。

 同時に、国際社会での存在感を増すメキシコは、日本にとって国連、APEC、OECD、G20、TPPといった国際場裡における重要なパートナーであり、多分野における政策協議・協調はますます重要になっている。

3.日墨の交流史

 2009~2010年には、『日本メキシコ交流400周年(1609年、当時スペイン領であったメキシコ生まれの在フィリピン臨時総督が現在の千葉県御宿に漂着、地元民に救助される。翌年、徳川家康が船を提供し、メキシコへ帰国させた)』を祝い、2013~14年は、『日メキシコ交流年(メキシコとの直接貿易を目指した伊達政宗が派遣した支倉常長慶長遣欧使節団の出帆及びメキシコ上陸400周年)』を祝った。

 これらについては、様々な資料もあるので詳述しない。私が着任したときに、あるメキシコ人から「400周年はもう二度祝ったので、三度目はないぞ。大使は何か新しいフラッグシップ・プロジェクトを考えないといけない」、と言われたが、400周年はなくとも、毎週のようにメキシコの各地で様々な交流事業、文化行事が行われている。さらに、『周年』ということで言えば、本2016年は日墨協会60周年、2017年は移民120周年(中南米に対する最初の組織的移民である『榎本移民団』(1897年)から120年)、2018年は日墨修好通商条約130周年(明治の日本政府が締結した最初の平等条約)と、若干数字は半端であるが、祝賀すべき年が引き続き待っている。

 ここで、日墨の交流エピソードとして是非ご紹介したいことがある。

1913年2月、メキシコ革命の最中、悲劇の十日間と呼ばれるウエルタ将軍によるマデロ大統領に対するクーデターの際、マデロ大統領夫人、同父母など親族等20名以上が日本国公使館に駆けつけ、一族の親しい友であった堀口九萬一臨時代理公使(詩人堀口大學の父)に庇護を求めた。堀口は、ウエルタ将軍一派が日本公使館を攻撃すると見られていたにもかかわらず、一族の保護を続けた。クーデターによりマデロ大統領は殺害されたが、一族は無事にメキシコを出ることが出来た。

 昨年2月、メキシコの上院で「1913年のマデロ大統領家族に対する日本国公使館の庇護に関して、日本国民、日本政府、外交官堀口九萬一の親族に感謝し、この史実をメキシコ国民と日本国民の関係の歴史の最も美しい1ページとして語り継ぐ」とした決議が採択され、4月には記念プレートの除幕式が上院で開催された。

 7月にメキシコ上院議長が日本を公式訪問した際に、堀口九萬一をたたえる式典が在京メキシコ大使館で行われた。式典には、堀口九萬一の孫で詩人の堀口すみれ子さんも招待されたが、奇遇なことに在京メキシコ大使夫人は103年前に公使館にかくまわれたマデロ一族の一人の孫に当たる。百年余の歳月を経て、日墨の両家族が相まみえたのであった。

4.終わりに

 約2万人と言われる日系社会の活躍、メキシコにおける日本のポップカルチャー人気、野球、サッカー、ボクシング、プロレスと言ったスポーツ交流、近年に多様化し、大きく進展する大学間交流、などなどメキシコに関してご紹介したい話題は尽きない。

 また、メキシコという国自身、歴史、文化、自然、人々、料理、音楽など様々な面で非常に多様性に富んだ国であり、関心を引くところが無限にある。

 長い友好の歴史を持ち、親日的で、日本との関係も緊密化しているメキシコではあるが、まだまだメキシコの真の姿は日本で十分に知られていないきらいがある。メキシコにおいて日本をより良く知ってもらうことは大使の本来の使命であるが、同時に日本人にももっとメキシコを知ってもらいたいと考える。

そして、日墨関係をさらに発展するために、「あらゆる分野で、あらゆるレベルでの双方向の交流を増大させる」、ことが自分の重要な使命である、と考えている。

(了) 

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