第6回「文化財の略奪」

元駐タイ大使 恩田 宗

ヒトラーは自分の名を冠した大博物館を作る計画を立て第二次世界大戦で占領した国の文化財を没収しドイツへ移送させた。米英軍は反攻当初より砲爆撃(自国軍によるものを含む)や暴徒による教会・博物館などの破壊略奪を防ぐため専門家十数人を各軍団に分散配属させていた。しかしナチス機関による組織的な略奪は小人数の専門家の手に余る規模だった。絵画彫刻から家具や教会の鐘に至るまで500万点にも及ぶという文化財を没収し南独の塩鉱山などの約1,000ヶ所に隠匿していた。連合軍はその探索と保護返還の作業に13国籍にわたる専門家300数十名を動員し内60名を前線部隊に随行勤務させたが全ては解決できていない。ポーランドにあった筈のラファエロの「若い人」は未回収だという。経緯はThe Monument Men(R.M.Edsel 2009年)に詳しいが映画化もされている。

 ヒトラーはゲントの祭壇画の獲得に特にこだわったという。欧州絵画史上の記念碑的な昨品だからだけではなかった。祭壇の一部が第一次大戦の賠償としてベルギーに引き渡したものでありその奪還はベルサイユ体制否定を意味することでもあったからである。 国家による略奪は征服や報復を象徴的に誇示確認する行為でもある。奪われる側が誇りとし心の支えとしている大切な物である程その効果は大きい。タイの王宮寺院のエメラルド仏(実は翡翠製)はタイ国民の篤い信仰の対象でありバンコク観光の目玉の一つでもある。しかしあの仏像は現王朝の初代国王がまだ将軍であった頃ラオスに侵攻し(1778~9年)ビエンチャンから奪取してきたものである。ラオス人の無念の思いは未だに静かに深く残っているという。

 欧米のミュージアムは国力を背景に世界の文化財を蒐集した。大英博物館は世界に跨っての帝国主義的活動のお陰で充実された。ルーブル美術館は初期のナポレオン(一世)美術館の頃は戦利品で溢れていた。そして彼の没落後も全部は返還しなかった。米国も第二次大戦では文化財の保全に努力したがヒトラー所蔵の稀覯本等は全て議会図書館等に持ち帰っている。潔癖に徹していた訳ではない。欧米のミュージアムでギリシャ・エジプト・メソポタミヤなどの古代遺跡から剥がし取られた膨大な量の彫刻を目の前にすると人間の業を思わされる。 日本は韓国との国交正常化の際約300点の朝鮮文化財を引き渡した。主に新羅・古墳時代の土器や高句麗の鏡など帝室博物館(とその前身)が明治時代に購入したもので内高麗青磁など陶芸品90件は伊藤博文が献納したものである。それ等が今何処に保管されているか東京博物館では把握していないという。

 NHK「歴史発見」(藤川桂介解説)によると桃太郎話の原型は岡山に伝わる吉備津彦命の鬼退治伝説で鬼とは出雲に近い地方の製鉄技術を有し鉄器を使う半島からの渡来人のことだという。日本書紀によると崇神天皇が出雲大神の神宝を取り上げた際それに不満の態度を示した神宝の主を勅命により成敗したのも吉備津彦命である。他人の財物を略取したという話が時の流れに洗われて無邪気な童話になったということらしい。