太平洋島サミットを通して考察する沖縄問題

mrkawato.jpg

五月女 光弘
(元外務省参与NGO担当大使 元駐ザンビア大使)

<沖縄の目指す先にあるものは?>

「ヤマトンチュウ」と「ウチナンチュウ」

1996年4月、橋本総理とモンデール駐日大使との間で合意した「普天間基地移設条件付き返還合意」から20年、当初5年~7年で完了するはずであった返還は未だ実現していない。なぜいつまでたっても実現しないのか。
日本本土の人達にとって、琉球・沖縄問題を理解するのは難しい。本土の人達が沖縄の人達の歴史認識と心情を詳細に考察しないと真の理解と解決は出来ないと思われる。
琉球語に「ヤマトンチュウ」と「ウチナンチュウ」と云う言葉がある。日本の本土人(ヤマトンチュウ)側から考え語るのではなく、琉球・沖縄人(ウチナンチュウ)側からこの問題を考察してみたい。そうすれば見えなかった問題点が見えてくる。

 以前日本本土に留学していた諸外国からの大学生の沖縄理解ツアーが行われた。その際の学生が語った印象が衝撃的であった。ヤマトンチュウとウチナンチュウとの間に明らかにいろいろな面で差別意識と被害者意識が存在すると語っている。更に興味深い事に、ウチナンチュウの内部で、「沖縄本島のウチナンチュウ」と「島嶼地域のウチナンチュウ」との間にも同様の差別意識と被害者意識が存在するとも。これは地元の人々も認識している。

 沖縄県の160の島々の内、49の島が有人島。例えば宮古島、石垣島、与那国島、南大東島、波照間島(日本最南端の有人島)などがあり、それぞれが県内の市町村となっているが、琉球王国成立以前には8つの小さな王国が存在していた。
現在本土と沖縄との間に横たわる基地問題をはじめとする諸問題をヤマトンチュウがどのように理解し、そして解決しようとしているのか、ウチナンチュウは大いに注視している。

「独立国家」と「自由連合国家」

沖縄県名護市万国津梁館で2011年5月に開催された「第6回太平洋島サミット」は、大きな精神的・心理的影響を県民にもたらした。
特にニュージーランド(NZ)と自由連合契約を締結している「クック諸島」と「ニウエ」の存在である(共に国民はNZ国籍)。両国はサミットメンバー国の「国家」として参加していたのである(両国を国家承認している日本を含む数十か国の国々は、当然両国を独立国として対応していた)。

 自由連合国家とはいかなる国家なのか。
NZを例にとれば、同国の自治体の海外県であるクック諸島とニウエが、より自治権の強い自治体になりたいと、親元のNZの国会の承認決議を経て、自由連合契約を結びNZ傘下の準国家となる。元首はNZと同じエリザベス女王であり、知事が首相となり県議会が国会となる。各省は外務省と国防省を除き設置される(両省はNZの専管事項)。準国家であっても国際的には独立国家として受け入れられるのである。
現在日本国は「クック諸島国」を2011年6月に、「ニウエ国」を2015年5月に国家承認し、両国首相と首脳会談も行っている。世界では既に前者は約40カ国、後者は約20カ国が国家承認している。両国は国際連合の本体には加盟していないが、国連専門機関のユネスコ、WHO、FAO、ICAO、ESCAP等に加盟している。オリンピック、ワールドカップやミス・ユニバース等にも国家として参加可能である。事実クック諸島はロンドン・オリンピックに出場している。

仮の国家“琉球国”の姿

ウチナンチュウの人々の中で、沖縄が完全な独立国家になることを望んでいる人はそう多くないと思われるが、自由連合国家になることを希望している人はかなりいるものと推測される。

 沖縄が、もし宗主国日本の国会承認を経て、日本国傘下の自由連合国家になった場合の国家としての世界的なレベルはどのようなものであろうか。NZの例をもとに説明したい。
国家名称は、琉球国(または沖縄国)、元首は天皇陛下、県知事が首相に、県議会が国会に。外交・防衛の閣僚は持たないが、各部局長が文部・科学、農林・水産、経済・企画などの大臣に就任する。
琉球国(沖縄国)は国連専門機関に加盟出来るし、オリンピック、サッカーのワールドカップやミス・ユニバース世界大会などにも国家として参加可能である。

 沖縄の国家としての規模は、12の太平洋島嶼国と比較すると、人口約130万人(2010年10月1日の国勢調査)はPNG(732万人)に次ぎ第2位、
経済規模はダントツの第1位GDPで約230億ドル、因みに世界では、グアテマラ、ケニア、ウルグアイ、と同レベル、欧州のスロベニア、エストニア、アイスランドより大きい。(注:東京はメキシコ、ポーランドと同レベル。)(平成24年度統計)。2位のPNGのGDPは159億ドル。太平洋島嶼国としては立派な先進大国である。

 ウチナンチュウの人々で完全独立を求める人は多くはない。それは国際情勢(とりわけ東アジアにおける安全保障問題など)と地域経済・通商問題などが主たる理由である。
しかし自由連合としての地位を求める人、期待する人はかなり多い。
450年以上続いた琉球王国は1872年(明治5年)に日本帝国政府により琉球藩となり、1875年に帝国政府派遣の松田道之処分官により、①年号を清国年号から明治年号に変えること。②清国からの冊封を受けぬこと。③国王(藩主)尚泰を上京せしめること。の3条件を受諾させ、1879年(明治12年)琉球藩を沖縄県として正式に帝国の一部に組み込み、ここに琉球王国は完全に滅亡したのである。(注:冊封サクホウとは、清国皇帝が冊(任命書)及び金印により、王や侯に封する(爵位を与える)こと。)
言語は琉球処分(1870年代)以前は、大和語とは大きな違いのある琉球語が主体であった。しかし同化政策により、「沖縄対話」(日本語と琉球語の間の対訳辞典、和英・英和辞典的なもの)を作り日本語化を推進し、琉球語を消滅させる政策を実施。昭和時代からはテレビ等の普及も進み、現在は沖縄本島の人々の多くは日本標準語を話すが、本島南部や周辺の島嶼圏では依然として(勿論日本語は話すものの)琉球語も使われている。

 琉球王国は、独立国として国際条約を3か国と締結していた。1854年に琉米修好条約、1855年に琉仏修好条約、1859年に琉蘭修好条約。ウチナンチュウは今日に至るまでその独立国家であったとの意識(誇り)は持ち続けている。それは他の県民とは大きく違うところである。
因みに日本帝国はほぼ同時期に、日米和親条約を1854年に、日米修好通商条約を1858年に締結し、続いて日英、日仏、日露、日蘭と同様の条約を締結している。
つまり1850年代には欧米諸国からは両国共に独立国とみなされていたのである。

ヤマトンチュウとウチナンチュウの相互理解は進むのか

ウチナンチュウの人々は数百年に亘り大切に守ってきた自分達の伝統と文化をヤマトンチュウに理解し尊重してもらいたいと強く願っている。他の県とは異なる特別の県であると認識してもらいたいのである。
英連邦の一員としての豪州、ニュージーランドなどは完全な独立国ではあるが、国家元首は英国女王である。さらにそのニュージーランドの傘下のクック諸島国、ニウエ国も同様に英国女王を元首と位置付けている。
それはたとえれば、琉球国が日本国の自由連合国家と認められて、天皇陛下を国家元首とする国家となるかのごときであるが、その場合は国の名称はどうなるか。
ウチナンチュウは二つの名称を使い分ける。例えば、琉球大学(国立)と沖縄大学(私立)、琉球銀行と沖縄銀行、琉球新報と沖縄タイムス、琉球列島と沖縄諸島等など。二つの名称の内、「琉球」には歴史と伝統を、「沖縄」には日本との絆を感じているようである。
ウチナンチュウの多くの人々は、沖縄が日本国から離れて独立国家になってほしいとは思っていないし、日本国の一員として発展してほしいと思っている。

 相互に信頼と敬意を持たず、対決姿勢で行われる交渉は決して良い結果は生まれない。繰り返しになるが、ウチナンチュウはヤマトンチュウに琉球・沖縄の独自性と古き歴史・伝統を尊重し、それを踏まえて沖縄に対応し処遇してもらいたいと願っているのである。 

(了)

参考添付資料
琉球新報(平成21年12月2日付 朝刊)
「島嶼国シンポジュウムin沖縄」に寄せて
五月女光弘寄稿文

日本経済新聞(平成23年7月22日 朝刊)
沖縄主導で島嶼国支援
五月女光弘へのインタビュー

The Communicator 世界万華鏡(平成20年12月17日)
遥かなる太平洋の島国へ思いを馳せて
五月女光弘寄稿文
同上(平成22年5月17日)
琉球王国、 そして沖縄島嶼圏
五月女光弘寄稿文