「特別展・黄金のアフガニスタン」-守りぬかれたシルクロードの秘宝-うれしい日本での公開

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学校法人 日本体育大学 理事長 松浪 健四郎

 発展途上国との交流は、想像以上に難しい。だからといって、諦めては意味がない。民間人が、大きな組織を動かすのは容易ではないが、永年にわたって培ってきた信頼関係が困難を克服してもくれる。

 願い事や着手した仕事が成就したとき、心奥から喜びが湧いてくる。ましてや、相手が途上国ともなると、その喜びは大きい。

 昨年、私たち夫婦は、その大きな喜びに浸ることができたのである。

 2015年11月10日、私たち夫婦の結婚記念日、東京麻布にあるアフガニスタン大使館で報道発表会が開催され、「特別展・黄金のアフガニスタン=守りぬかれたシルクロードの秘宝=」が、2016年早々、九州国立博物館と東京国立博物館で公開されると主催者が発表した。そもそも大使館での記者発表も異例だが、詰め掛けた関係者の多いのにも驚かされた。

 実は、私は、この日を首を長くして待ちに待っていたのである。特に毎日のように数ヶ月も東奔西走した家内にとっては、夢物語を見るシーンだった。一民間人の執念が実った瞬間だった。

 外務省が、今も渡航禁止に指定している国の一つに治安の悪いアフガニスタンがある。自由な往来ができなくなって久しいが、私たちは1978年から日本・アフガニスタン協会の運営に携わってきた。関係者やメンバーは、ポツリポツリと鬼籍に入られ、この国を愛し、よく識る人や興味をもたれる人が激減し、外務省からも「社団法人」格の返上を余儀なくされた。

 それでも私たちは、新婚時代にカブール大学教師(国際交流基金派遣)として3年間暮らしたアフガニスタンへの思い入れが強く、両国の友好のために汗を流させていただいてきた。たとえば、九段ライオンズクラブの皆さんの協力と支援を得て、カブール博物館に美術図書を贈ったり、毎年、多摩川グラウンド(日体荏原高野球場)で「アフガニスタン凧揚げ大会」(今年は2月28日)を主催してきた。そして今回の特別展の開催にまでこぎつけることができたのである。

 1979年末に旧ソ連軍が侵攻し、その後、イスラム原理主義勢力タリバーンが支配する前は共産主義政権だった。そのナジブラ政権のおり、私は副大統領のモータッキ氏(元駐日大使)より招待を受けてカブールを訪れ、大統領官邸で北部のティリヤ・テペでソ連の考古学隊によって78年に発掘された、数々の副葬品である黄金の出土品を日本人として初めて鑑賞する機会を得た。逸品ぞろいに圧倒された記憶が強く脳裏に焼きついていた。

 また、京大の故樋口隆康名誉教授がカブール博物館でシバルガンの遺宝を撮影され、当時の『アサヒグラフ』にも発表された。だが、戦乱、内戦が休むことなく続き、その後はそれらの貴重な秘宝に関するニュースに接することがなかった。

 しかし、ファティミ駐日大使によると、「数人の勇気ある博物館員による命懸けの行動によって、金、ブロンズ、彫刻品、象牙およびガラス工芸品などが別の場所に移動され、隠されたのでした。それらは2003年に大統領官邸隣の中央銀行金庫室から取り出され、明らかにされました」という。あのバーミヤン大仏まで破壊した、偶像崇拝禁止のテロ集団タリバーン政権から、これらの秘宝が奇跡的に守られたのである。

 ちなみに、大仏破壊を中止させるため、平山郁夫画伯の集めた署名録を携えてタリバーン政権の外務大臣ムタワキール氏と交渉したのは、与党代表の私であった。カンダハルまでパキスタンのクエッタから国連のジープで地雷を避けて走った想い出がある。

 さて、隠密行動に出た博物館員たちは、「自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる」と信じ、勇気を出して命を懸けたのであった。タリバーンの主張と残忍さを識る私にすれば、その勇気と行動は表現できぬほどの価値を認めねばならない。

 そして、米国ワシントンDC、ニューヨーク、ロンドンなどの名だたる博物館で06年から公開されるに至った。その実情を耳にした私は、当時のカルザイ大統領に「日本でも展覧会を行ってほしい」と直訴した。日本体育大学がカルザイ大統領に名誉博士号を授与したのを機にお願いしたのだ。次に大統領からカブール訪問の招待状をいただき、カブールで再び大統領に陳情し、ラヒーン情報文化相にもお願いして承諾を得た。

 ところが一筋縄では進まないのが途上国との交渉の常である。もちろん、日本側の国家補償(保険)問題もさることながら、アフガン側の大統領、大臣、博物館長などが総入れ替え、交渉が振り出しに戻ってしまう。

 駐カブールの高橋博史日本大使を通じて、隔靴掻痒の再交渉。外務省中東二課の皆さん、ファティミ駐日大使の応援と粘り強い交渉の結果、やっと実現の運びとなったのだ。これら関係者の方々は、私どもの執拗な要求に閉口されたと想うが、大変な協力をして下さった。産経新聞社とフジテレビが主催者となってくれたのもインパクトがあった。

 かくして、16年1月から九州国立博物館で、4月から東京国立博物館で、夢のようではあるが、特別展が開催されることになったのである。私たち夫婦は、感無量の一言に尽きるほどにうれしい。日本国民のアフガニスタン理解の出発点になれば、と期待している。あの親日的なアフガニスタンの諸問題を風化させず、さらに友好の絆を強化したいものである。

 先日、私たちは、九州国立博物館に足を運び、特別展を鑑賞した。多くの市民が訪れ、熱心に鑑賞されていた。人気も上々とのこと、安堵の胸をなでおろして帰京したが、改めて協力して下さった方々に感謝したい、と痛感した次第である。