オリンピック・パラリンピックを控えたリオデジャネイロの様子

山元 毅

山元 毅
(在リオデジャネイロ総領事)

1.オリンピック・パラリンピックの準備状況  南米のリオデジャネイロ(以下、リオ)という土地柄のせいか、日本からの来訪者から「オリンピックの準備は大丈夫ですか。」と頻繁に質問される。しかし現地に駐在していてもこの問に確信を持って答えることは難しい。4カ所に分かれるオリンピック会場のひとつひとつをつぶさに見学できる機会はなく、当局の発言はいつも「大丈夫、すべて予定通り。」という公式見解に終始する。IOCからも準備状況についての公式なコメントは聞こえてこず、メデイアや有識者から聞く話も裏付けが不明である。

 数少ない手がかりが、オリンピック公共機関(APO:Autoridad Publica Olimpica)が発表する報告である。APOは、オリンピックに向けた連邦、リオ州、市の取り組みの調整を任務に設置された機関であり、6ヶ月に一度、競技施設建設の進捗状況を公表している。最新報告(本年1月)では、4会場、計47件の工事は完成かそれに近い状況(完成率90%以上)にあるとされる。筆者が2月中旬にAPO総裁と話した際にも、「一部補助電力施設の整備が気がかりなくらいで、他はすべて順調」との発言があった。報道等では一部テニスや馬術会場の遅れが指摘されるが、全体として競技施設の建設はほぼ順調と見て差し支えない。1月末の女子レスリングのテストイベントで使われたバッハ会場のカリオカ1競技場は、明日からでもすぐ本番に使えそうな仕上がりであった。

 問題があるとすれば、競技会場ではなく公共交通機関、特にメイン会場があるバッハ地区と市中心部を結ぶ地下鉄新線の整備であろう。バッハ地区はリオ市街から30キロほど南西部の海外沿いに発展した新興地区である。コパカバーナ(以下コパ)やイパネマといった高級住宅地区の喧噪や犯罪を嫌った富裕層が90年代半ば頃から移り住みはじめ、2000年代以降住宅商業地域として大発展を遂げた。一のブランドショップがこれでもかと軒を連ねるショッピングモール、延々と続く美しい海外でスポーツに興ずる人々など、リオの新しい顔とも呼べる地区であるが、いかんせん交通の便が悪い。皮肉にもアクセスが良くないがために治安と静謐が保たれ金持ちの人気スポットとなった側面もあるが、多くの観光客が宿泊する市の中心部やコパからは遠い。距離ではなく、移動手段が車しかなく、一本しかない自動車道路の渋滞がラッシュアワーに限らずひどいためである。中心部からは片道2時間以上かかることもまれではなく、中心部近くにいる我々総領事館員も、バッハでの仕事は常に半日がかりとなる。

 そこでオリンピック開催決定を契機に始まった地下鉄4号線(総延長16キロ程度)に期待が集まる訳だが、工事の進捗ははかばかしくないようであり、開会半年前の時点でも未だ600メートルが未掘削のままである。この600メートルもじりじりと掘り進められてはいるが、地下鉄を走らせるには掘削完了後も電力や信号関連で多くの作業が必要である。当局はオリンピック直前での完成を力説し(実際そう期待したいが)、有識者やメディア関係者の間で間に合わないのではという見方が最近急増している。

 ちなみに世界最高レベルといわれる日本の掘削技術であるが、専門家によると、土砂崩れ対策を同時に進めながら掘削する必要のある(東京湾海底のような)柔らかい地盤では力を発揮するが、リオの奇岩群のような固い岩盤には歯が立たないとのことである。

2.オリンピック開催を控えたリオの情勢

 リオといえばまず治安が話題に上るが、2000年代後半から一貫して減少傾向にあった犯罪、特に殺人、強盗といった凶悪犯罪の件数は、国内の景気後退と歩調を合わせるように2013年頃から再び増加に転じた。14年の数字での日本との比較では、殺人は約23倍(人口10万人あたりリオ市:19.2件、日本:0.83件)、強盗に至っては実に約510倍(同じくリオ市:1228.9件、日本:2.41件)である。

 凶悪犯罪の温床はファベーラと呼ばれる麻薬組織に支配された貧民街にあるため、当地治安当局は2007年からUPP(平和構築部隊)と呼ばれる特殊部隊を組織し、麻薬組織を掃討し、貧民街を平和なコミュニティーに再生させる取り組みを進めている。UPPの活躍により、リオ大都市圏内の1000カ所以上のファベーラの250カ所程度において治安が回復されるなど成果が上がったが、あまりにUPPに人員と資金を投入し過ぎたため街頭警備が手薄になった結果、ここ2,3年、特にこれまで比較的安全とされてきた(コパやイパネマが含まれる)南部地区における犯罪の再増加を招いたとの批判もある。限られた資源をどう振り分け総合的に治安対策を進めていくか、悩ましいところである。

 なおオリンピック・パラリンピック開催期間中については、ブラジル全国の警察からの応援を得て(ロンドンオリンピックの倍の)総勢8万5千人の治安要員からなる手厚い警備体制が敷かれることとなる。しかしながら警察官の数が増えようが、最も効果的な犯罪防止策は自身の行動にある。リオ訪問を予定されている邦人の皆様には是非外務省及びリオ総領事館が発出する安全情報に注目し万全の注意を払って頂きたい。

 次に現在ブラジル経済は2015年、16年の2年連続にわたって3%超のマイナス成長が見込まれるなど、大恐慌以来といわれるどん底の状況にある。またブラジル最大の企業であるペトロブラス石油公社(以下PB社)を舞台に多数の政治家を巻き込んだ汚職スキャンダルが発生し、その関連でルセーフ大統領の弾劾請求が議会に提出されるなど、混乱した状況が続いている。リオについても、PB社の不振及び油価下落等に伴う石油ロイヤリティー収入の激減が州の懐具合を直撃しており、公務員給与の遅配や、教育・保健分野などでの深刻な予算カットが発生している。

 幸い競技施設をはじめオリンピックの箱物については工事開始が数年前であり、いわば景気後退の方が遅れてやってきた状況にあるため、今までのところ大きな影響は見られない。しかしながらリオ・オリンピック組織委員会直轄の大会運営予算は、現状でも人件費や物品費を含め相当節約下状況にあるため、深刻な経済情勢がオリンピックの運営面に陰を落とすことがないのか、気がかりである。

 一方で景気後退や汚職に対する国民の怒りが(ワールドカップ開催前に見られたように)反オリンピック運動へと転換する可能性についても注視しているが、当地識者の間では、オリンピックは広大なブラジルの中でリオのみで行われる局地的なイベントであること、サッカーと違って大衆に馴染みの薄いスポーツも多いオリンピックは(良くも悪くも)注目を集めにくいため、大規模な抗議運動の対象となるとは考えにくいとの見方が大宗である。(参考までに当地で人気のスポーツはサッカーを筆頭にバレーボール、ハンドボール、バスケットボールの4つであり、これらはMagic Fourと呼ばれている。)

 最近大きな問題となっているジカウィルス感染症については、リオ州の公式統計では、2015年11月18日から16年2月3日までに妊婦で159人のジカウィルス感染症患者が確認されている。また(ジカウィルスとの関連性が疑われる)小頭症についての保健当局への報告数は、2014年の10件に対して、2015年1月から16年1月までの13ヶ月の間に208件の疑い例が報告されており、(国民の意識レベルが上がった結果、報告件数が増えた面もあるが、)データ上は大きな増加である。ジカと同じく熱帯シマ蚊が媒介するデング熱の感染者数もリオ州内で2015年の疑い例が14年と比べ約9倍増である。

 現在ブラジルでは大統領の号令一下、軍隊も動員した蚊の繁殖防止作戦が大々的に進められており、リオ当局もオリンピック会場における蚊の徹底駆除を宣言している。ブラジルの官民挙げた取り組みと気候的要因(オリンピック・パラリンピックが開催される冬期の7,8月は例年蚊の減少に伴いデング熱感染者数も激減する)により、今後のジカウィルスの感染状況について楽観的な声も聞かれるが、日本の冬のように蚊が死に絶える訳ではなく、一定の警戒は必要であろう。

3.最後に

 南米最初のオリンピック・パラリンピックを迎えるリオの状況は上記のとおりなかなかチャレンジングである。が、それではカリオカ達(リオの人々)がこの満身創痍の状況にうち沈んでいるかといえばそうでもない。軍政から民政移管を経て今日に至るまで幾多の政治的、経済的危機を乗り越えてきたブラジルの人々はたくましく、大らかである。オリンピックについても持ち前の陽気さと巧みな知恵を発揮してくれるものと期待したい。

 最後にリオ・オリンピックについて、いくつか注目すべき点をごく簡潔に紹介したい。まず、競技施設等の再利用への強いコミットメントである。「ホワイトエレファント(白象)注:大イベントのために作られその後無用の長物と化す巨大な箱物」は残さないというスローガンのもと、恒久利用が見込めないすべての施設は仮設で建設され、予め再利用先が決定されている。例えばハンドボール等が行われる「フューチャーアリーナ会場」は、オリンピック終了後、解体され貧困地域で4つの小学校に生まれ変わることになる。次に民間資金の大胆な動員である。競技施設建設資金計70億レアル強の内、実に50億レアルが民間資金である。オリンピックを口実とした大胆な規制緩和を餌にえげつないまでの民間デベロッパーの巻き込みに成功した。リオ市の担当者は、バルセロナオリンピックを参考にしたといわれる旧市街の港湾地域(500万平米)の再開発を、(空中権を活用することで)リオは公的資金を一銭も使わず成し遂げたと胸を張る。最後に徹底したレガシー作りへのこだわりがある。リオ市長はじめ関係者は、リオ・オリンピックはリオ市民のためのレガシー作りこそが目的だと公言してはばからない。それ故にこそシカゴや東京に勝利して2016年の開催地に選ばれたのだと。景気低迷に悩む市民は、オリンピックを契機にリオは生まれ変わるのだという当局の説明に懐疑的になっているが、2009年には16%であったリオ市民の公共交通へのアクセスが16年には63%に達するという当局の説明には一定のインパクトがある。

このように見ると、カーニバルに象徴される派手さとは裏腹に、実に堅実かつプロフェッショナリズムに基づいてオリンピックを計画されていることが分かる。この新しいカリオカ流オリンピックが成功することを心から願っている。