新しい日本ASEAN関係

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鹿取克章
(前駐インドネシア大使)

 2015年11月21日にクアラ・ルンプールで開催された第27回ASEAN首脳会議の合意に基づき、同年12月31日、政治安全保障共同体、経済共同体及び社会文化共同体の三つの柱からなるASEAN共同体が正式に発足した。1967年8月8日のバンコック宣言に基づく発足からASEANは幅広い分野で協力関係を強化し、冷戦構造崩壊後の1990年代には6か国から10か国に拡大し、2008年12月15日のASEAN憲章発効と共にASEANとしての法人格を備えることとなった。このように着実に深化と拡大を続けてきたASEANにとって、2015年は、歴史的な節目の年となった。しかし、2015年もASEANにとっては更なる発展のための一つの通過点である。ASEANは、2025年を新たな節目として、更に高度な共同体建設に向けて努力を強化していくことを表明している。

 ASEANに対しては様々な見解が見られ、例えば昨年のASEAN関連会議に際してもASEANとしての「影の薄さ」や共同体としての「内容の薄さ」を指摘する報道が見られた。しかしながら、ASEANはEUとは歴史、環境、実体が大きく異なる。ASEANの多様性、地理的環境等を考えると、ASEANのこれまでの発展及びその果たしている役割は、いかに高く評価しても余りあるものと思われる。ASEANが歴史的な節目を迎えたこの機会に、ASEANの現状に対する評価、日本として留意すべきことなどについて、私見を述べてみたい。

1、ASEANの意義

 ASEANは、約六・二億人の人口を擁し、インド及び中国と国境を接し、重要なシーレーンを包含し、北東アジア、南西アジア、中東、アフリカ、欧州、北米、南米、オセアニア等各地域にとって地理的に極めて重要な位置を占めているが、その最も重要な意義は、アジアのみならず国際社会における「成長のハブ」、「協力のハブ」及び「安定のハブ」としての役割を強化していることである。

(1) 成長のハブ

 ASEANは、着実な経済成長を維持している。2015年は、中国経済の減速などにより、成長率は4.4%程度と見込まれているが、2016年には4.9%と回復基調に戻ることが予想されている。一人当たりGDPは4,135米ドル(2014年)に達し、中間層の一層の増加は、経済を更にダイナミックな発展に導くことになろう。また、私が在勤したインドネシアの人口構成を見ても、平均28歳と若く、人口ボーナスは2030年代後半まで続く見通しである。大きな課題は、電力、交通分野、生活関連をはじめとするインフラ整備及び格差の是正(貧困撲滅、連結性の強化)であるが、裏を返せば、大きなビジネス・チャンスの存在を意味している。また、経済統合の進展の結果、域内の関税は概ね撤廃された(域内貿易の全貿易に占める割合は2014年には24.1%に達した)。ASEANは、日本、中国、韓国、インド及び豪州・ニュージーランドとFTA等を締結しており、域内におけるサービス、資本や人の移動の一層の自由化などについても今後更に努力が継続されていくこととなることから、生産チェーンの中心としてのASEANの役割も今後一層高まることが予想される。世界の重要な成長のエンジンとしてのASEANの役割を世界は注目している。

(2) 協力のハブ

 アジア太平洋地域においては、ASEANを中心にASEAN+1、ASEAN+3、東アジア首脳会議(EAS)、ASEAN地域フォーラム(ARF)等経済、安全保障を含めあらゆる分野の協力のための枠組みが重層的に存在し、またアジア太平洋地域にまたがるAPECにもミャンマー、ラオス、カンボジアを除くASEAN諸国が参加している。ASEANは、このような諸枠組みにおいて主導的役割を担う(「運転席に座る」)ことを重視しているが、その経済的重要性及び存在感の一層の高まりと共に、ASEANは様々な協力のハブとしての機能を今後一層強めていくこととなろう。

 そもそもASEANの人々は、一般的に対応がソフトでmoderation(温和さ)を重視するが、内に秘めた誇りと闘争心は強く、現実主義的で、政治的、外交的手腕も高い。インドネシアを見ても、国際交易の要路として古くから多くの民族と交流・対立し、350年のオランダ支配、3年半にわたる日本軍の支配、4年以上に及ぶ独立戦争を経験し、誇りと闘争心及び政治的感覚は、インドネシア人のDNAに刻み込まれている。極めて大きな多様性にもかかわらず、「ASEAN Way」(コンセンサスを基本、押し付けの排除、面子への配慮等)で今日のASEANの協力関係を築き上げ、また、特有のバランス感覚及び柔軟性で、この地域の繁栄、平和及び安定のための努力を続けている。EASは、将来の東アジア共同体の礎石となることをも念頭に、ASEAN十か国並びに日本、中国、韓国、インド、豪州及びニュージーランドの計16か国により2005年に発足したが、2011年以降、米国及びロシアも参加している(なお、2010年に第1回会合が開催されたASEAN拡大国防相会議には、最初から米国、ロシアも参加している)。これは、中国のこの地域におけるプレゼンスや行動が積極化する中、勢力均衡を確保すべく米国及びロシアをこの地域に一層関与させたいとの少なくとも一部のASEAN諸国の思惑を反映している。ASEANは、日本が安全保障の分野でより大きな役割を担うことを基本的には支持しているが、これも、「勢力均衡に資することは歓迎する」とのASEANのプラグマティックな外交姿勢を反映している。ASEANは、加盟国により濃淡はあるも、南シナ海における中国の行動には懸念を有している。同時に、中国の政治的、経済的重要性は十分意識しており、中国との関係強化のための努力は今後とも積極的に継続していくこととなろう。「いかなる国とも敵対しない」(インドネシア政府は、「友は百万、敵はゼロ」と表現)とのASEAN外交の基本は、今後とも維持されるであろう。日本としては、対ASEAN関係を強化していく上でも、中国と円滑な協力関係を進めていくことが重要である。

(3) 安定のハブ

 東南アジアは民族的、文化的、宗教的に極めて多様であり、これまでの発展の歴史を見ても、また経済的にも各国間の状況には大きな違いがある。過去においては、インドネシアとフィリピン、インドネシアとマレーシアなど現在の加盟国間でも深刻な対立があり、また、ベトナム戦争、カンボジア紛争、中越戦争など長年にわたる戦争や武力衝突を経験してきた。カンボジアとタイとの間に若干の緊張は見られたものの、今日ではASEAN加盟国間で深刻な武力衝突が発生するような事態はほとんど想定できない。ASEANの多様性を反映し、個々のASEAN加盟国の外交にもそれぞれ独自の色合いが認められるが、ASEANは、全体としてこの地域の安定の維持のために今後とも努力を強化していくこととなろう。この地域における大きな不安定要因となっている南シナ海問題に対しても、ASEANは基本的には一体として中国に対処していく立場を維持しており、中国との間で南シナ海行動規範の策定に向けて協議を継続している。このようなASEANとしての連帯感は、上記協力のハブとしての役割とも相まって、この地域の安定のハブとして機能している。

 なお、ASEANは特に政治的にこの地域の安定のハブとして機能しているが、日本の役割も重要である。アジア太平洋地域の安定に大きく寄与しているのは、この地域における米軍のプレゼンスであるが、この米軍のプレゼンスを支えているのが、日米安保体制である。日本としては、今後とも日米安保体制の円滑かつ効果的な運用に努力していくことが、アジア太平洋地域の安定にとって重要である。

(4) 多様性を生かした社会の成功例

 ASEANの意義として付言したいのは、「ASEAN Way」の根底にある寛容性の価値観である。ASEANは、民族、宗教、言語、歴史、文化、国の政治形態、経済発展等様々な点で極めて多様であるため、発展及び協力のための基本的価値として寛容性を強調してきた。ASEANの標語はUnity in Diversityである。インドネシアにおいても、Bhinneka Tunggal Ika(古ジャワ語が語源。「多様性の中の統一」)は、国家の統一及び発展のための最も重要な基本的価値の一つである。特に異なる宗教の共存に当たっては、過去において様々な対立や葛藤が存在した。今後とも不断の努力を継続していく必要があるが、今日のASEANにおいては、イスラム教、仏教、キリスト教、ヒンデゥー教をはじめ多くの宗教が緊密に協力し合い、社会、国家及びASEANの発展に努力している。イスラム過激主義等宗教の過激主義が国際社会の大きなチャレンジとなっている今日、寛容性を基本的価値に据えたASEANの発展は、国際社会に様々な積極的な示唆を与えることができるのではないかと思う。

2、ASEANとの一層の協力強化に向けて

 日本にとってASEANは、経済的、政治的に極めて重要なパートナーであり、今後とも関係強化を図っていく必要があるが、その際の留意点を私なりに整理してみたい。

(1) 国際環境の変化を踏まえた対応

 日本は、50年代からはじまる戦後賠償、積極的なODAの実施、これらを背景とした民間企業の積極的進出により、東南アジア各国とは極めて緊密な関係を築いてきた。インドネシアにおいても、乗用車の95%、二輪の98%は日系であることに象徴されるように、日本は様々な分野で圧倒的存在感を示してきている。しかしながら、冷戦構造終焉のプロセスは、中ソ関係の正常化(1989年)、中国とインドネシア、シンガポールとの関係正常化(それぞれ1990年8月及び10月)、カンボジア紛争の終結(1991年10月)、ASEANの六か国より10か国への拡大(1995年ベトナム、1997年ラオス及びミャンマー、1999年カンボジア)等、東南アジアにおいても大きな変化をもたらし、ASEANに新たなダイナミズムをもたらしている。

 これまで日本企業同士の熾烈な競争が行われていたASEANは、中国、韓国等の近隣諸国はもとより、欧米諸国等の企業も一層活動を強化していく舞台となった。新たなプレイアーにとって、日本は極めて大きな存在として意識されており、彼らは今後とも、多大な努力を惜しむことなくASEAN市場に進出してくるであろう。インドネシアの例を挙げれば、通貨危機の発生した1997年、1998年には華人系住民に対する暴動が発生した経緯があるが、その後2000年には華人系住民に対する規制が緩和され(華人系住民は、名刺等に漢字を使用することが認められ、中国の伝統行事の実施も可能となった。2003年には春節が国の公式な祝日となった)、中国の経済力の高まりと共にインドネシアと中国の経済関係は拡大し、中国の存在感は大きく高まってきている。韓国も存在感を高めており、韓流も若い人々に大きな人気がある。鉄鋼、石油化学などの分野における韓国からの投資が報道をにぎわせ、家電、自動車、化粧品などにおいても韓国の存在感は高まっている。インド、豪州等その他の近隣諸国のみならず、欧米諸国も、ASEANとの関係強化に一層力を入れている。

(2) 日本の対応

 このようなASEANにおけるダイナミズムは、ASEANの求心力、ASEAN経済の成長力を考えれば自然なことである。日本にとっては、競争も厳しくなるが、様々な新たなビジネス・チャンスをももたらすものであり、このASEANのダイナミズムを日本とASEANの一層のwin-win関係につなげていくことが重要である。

(イ) 幅広い競争力の強化

 日本のこれまでの実績の蓄積は極めて重く、品質に対する信用を含め日本に対するASEAN諸国の信頼は今後とも基本的には変わらず、日本は、引き続き高い競争力を維持するであろう。しかしながら、今日のASEANにおいては、新たな多くのプレイヤーが、「極めて大きな存在である日本」と競争するために努力を惜しまず進出してくるであろう。日本としては、従来からの日本の強みを今後とも生かすとともに、ASEANにおける今日の新たなダイナミズムを踏まえ、「品質・信頼」に加え、価格面、意思決定の迅速性、制度面等において、競争力を高めるための一層の発想力と努力が必要となる。

(ロ) 様々な新たな連携の探求、ASEAN内外の優良案件の発掘

 プレイアーの増加を含め競争は厳しくなるが、ASEANを中心とする新たな成長のダイナミズムの中で協力の可能性も増加する。多国間の協力、連携はこれまでも様々な分野で進められてきた。しかしながら、今後は、ASEANの企業はもとより中国、韓国、インド、豪州等近隣諸国はもとより欧米諸国の企業とのネットワーキングを一層拡大かつ強化し、新たな連携の探求及びASEAN内外における優良案件の発掘が重要となろう。

(ハ) 人材育成、人的交流の強化

 インドネシアの大学教授や講師、政府高官、経済界幹部の中には、日本における留学、研修、滞在経験を有する者が多い。この人的関係は、「ソフトの競争力」として日本とインドネシアの緊密な経済関係の重要な支柱であった。この人的関係は相対的には低下している。今日でも、日本で勉強、研修する者は相当数存在するが、留学先としては、米国、豪州、シンガポール等の英語圏が桁違いに多く、近年は中国への留学生も増えている。韓国、英、仏、独等も努力を強化している。また、インドネシアでは、上述のとおり、特に2000年以降インドネシアと中国の経済関係が緊密化している。華人系も、実業家としてグローバルかつプラグマティックな判断を今後とも重視するであろうが、中国にとって、文化、言語、ルーツを共有している多くの華人企業家の東南アジアにおける存在は、緊密な経済関係構築にとっての大きな資産である。

 日本も、ソフト面での競争力のために、改めてASEAN諸国との人的つながりを強化することが重要である。ASEAN諸国の人口は若く、優秀な人材が多数存在する。留学生、研修生の受け入れ拡大、日本及び日本企業における就業機会拡大は、日本とASEANのwin-win関係強化の重要な柱である。

 最近の明るい傾向の一つは、ASEAN諸国から日本への観光客の増加である(インドネシアについていえば、訪日者数は2010年の61,911人から2014年には158,700人に増加している)。今後とも、各地方自治体とも緊密に連携し、訪日者数を増やしていくことが重要である。

(ニ) コミュニケーション力の一層の強化

 インドネシア及び多数のASEAN諸国においては、国営企業を除き、企業は基本的にオーナー・ファミリーが経営している。戦後起業した企業は三代目の時代に入りつつあるが、二代目も三代目も、基本的には生まれた時から将来の経営者として高い教育を受けている。多くの人は外国留学を経験し、英語をはじめ外国語に堪能である。海外生活を通じ視野を広げ、余裕を持ち、ビジネスマンとしての礼儀とともに、国際人として物おじしない洗練さを習得している。

 また、東南アジアにおいては、もともと英語国であるという面はあるが、例えばシンガポール人やインド系のように、コミュニケーション力の高い優秀な若者が多く存在する。

 これからの国際社会において日本としての競争力を強化していくためには、日本の若者も、このようなアジアの人たちと緊密に連携していかなくてはならない。このようなアジアの人たちと、心を開いた人間関係を構築できるよう、日本の若者も積極的に外に目を向け、語学及び社交センスを含めコミュニケーション力を高めていくことが重要である。

終わりに

 ASEANは、ダイナミックなシティライフ、お洒落なリゾート生活、エメラルド色のサンゴ礁、エキゾティックなジャングルと山々、静かな田園風景や多様な文化を体験し、心温かい人々と接触できる日本人にとって心癒される場所である。新しい年を迎えるにあたり、長年の蓄積により築き上げられた日本と東南アジア諸国との友情を、今後とも強化していければと思う。