日中外交の展望

宮本 雄二

宮本 雄二

(元駐中国大使)

1.中国の動向をどう判断するべきか

 

経済が最重要の課題となってきた

 

 中国の動向は、大きく次のように総括できよう。19世紀以来、近代中国知識人にとり「富強の中国の実現」および「中国主導の秩序の回復」が宿願であった。習近平の中国は、その強い影響を受けながら、今後も進んで行くであろう。だが中国の現状は、難しい内外政策のかじ取りを迫られており、基本的には試行錯誤を続けながら進んで行くと見ておくべきである。

 最大の挑戦は国内問題であり、当面は経済にある。30有余年にわたる経済の高度成長が、この国のあらゆる面において大きな改革を求めている。だから「改革の全面的深化」(2013年第18期中央委員会第三回全体会議決定)になる。そのカギが経済改革だ。そのまたカギが国有企業改革(+財政・税制改革+金融体制改革)である。

 経済改革は、一方において2008年のリーマンショック対策である4兆元の財政出動がもたらした経済のひずみ(不良債権の増大による地方財政の弱体化と国有企業の過剰生産能力)を是正しようとするものだ。同時にそれは、経済の持続的成長を可能にするための改革をも意味している。「中進国の罠」を避けるための改革でもあるのだ。

 これを2020年までに達成しようとしている。中国共産党の創設百周年を記念するこの年に「小康社会」を作るのが国民との公約である。これが「第一の百年」奮闘目標と呼ばれるものだ。しかも2020年に、2010年のGDPおよび一人当たりGDPの倍増を具体的に約束している。その実現のためには、第13次5ヶ年計画(2016~20)において年率6.5%の成長を確保することが不可欠なのだ。

 中国共産党の統治も、中国の国際的地位の向上も、基本は経済の成功にある。経済をうまくやれなければ、とりわけ国内の諸矛盾のコントロールが困難となる。故に中国共産党にとり、「発展」、つまり経済成長は国策の「カナメの中のカナメ」になるのだ。

 

習近平は政権基盤を確立したのか

 

 この大改革のためにはトップに権力を集中させる必要がある。これはどのような組織にも不可欠なことだが、中国共産党においては特にそうだ。共産党の仕組みがそうなっているからだ。汚職摘発などを通じて反腐敗を強力に行っている主要な目的の一つが、この習近平への権力の集中にある。現時点において、基本的には習近平に権力は集中したと見て良いであろう。

 この反腐敗の動きの山は、昨年の6月から7月にかけて2頭の大トラ(徐才厚と周永康)を捕まえた時に来た。この二人は、空前の高位経験者(前者は中央軍事委員会副主席、後者は政治局常務委員)であり、その捕縛を就任2年足らずでやり遂げたのだ。これは習近平とそれを支える王岐山(政治局常務委員、中央規律検査委員会書記)の力量を示すと同時に、江沢民の影響力を排除しトップに権力を集中させるべしとの、一種の党内世論が存在したから可能となったと推論すべきだ。

 だが作用は必ず反作用を呼び込む。中国国内が平穏無事になったというには、聞こえてくる雑音がまだ多すぎる。官僚機構への打撃も大きく、消極的抵抗の動きは続いている。また人民解放軍にも、明らかに党中央の意向に反すると思われる動きも散見される。習近平は引き続き、さらなる権力の掌握につとめ、慎重な国政運営を行っていかざるを得ないのである。

 

 協調的な対外政策に回帰するが、大きな課題は残る

 国内の必要、とりわけ経済の必要から、中国は当面は、基本的には協調的な対外政策にさらに回帰していくであろう。2012年以降に顕著になった対外強硬姿勢の代価は大きかったのだ。それは同時に中国経済が、グローバル経済に完全に組み込まれてしまった結果でもある。最近決定された『第13次5ヶ年計画に関する党の建議』においても、「国内と国際の二つの大局を統一的に把握する」ことを明記している。

 同時に「富強」と「中国中心の国際秩序」の実現という19世紀以来の宿願をどういう風に表に出すかという課題は依然として残っている。これは、中国共産党が掲げる「第二の百年の奮闘目標」とも直接関係してくる。この目標は、新中国建国百年、すなわち2049年までに「富强の、民主的で、文化的な、調和(和諧)のとれた、社会主義の、現代化された国家」を作るというものだ。

 この目標と国際社会との関係に関する確定した具体的なビジョンはまだないようだ。国力のさらなる増大と国際社会、とりわけ米国の反応を見ながら決めてくるであろう。現時点においては、一時期、中国の論調にあった国際秩序に対する挑戦者的な言辞は影を潜めている。習近平は、戦後国際秩序の根本に挑戦することはしないという姿勢を明確にしつつ、その補完と改善には遠慮はしないという姿勢を強めている。無条件の国際協調ではなく、国力に見合って必要な世直しはしますよ、ということだ。一帯一路構想やAIIB等、経済面での動きはすでに表に出てきた。将来、政治面での自己主張の動きが出てくることも、当然想定しておくべきであろう。

 中国の軍事力の増強は、今後も確実に進むと想定しておくべきだ。それは中国の宿願でもあるし、経済にもまだ余裕があるからである。また中国の自己主張は強まり、それは大体において対外強硬姿勢と連動する可能性があることも覚悟しておくべきであろう。

 

2.これからの日中関係を考える論点

 

 以上のような中国に対し、どのように対応すべきであろうか。どうなるかではなく、どうするべきかという観点も入れて考えてみよう。明確な自分の意思を持つことにより、ものごとは変えることができるからである。いくつか論点が見えてくる。

 第一に、中国の台頭は、主要国間の力関係を変え、その結果、中国との関係においても地政学的なパワーポリティックスが強く意識されるようになった。つまり軍事安全保障のロジックが、より大きな役割と影響を及ぼす東アジアが出現したということである。

 第二に、中国は多くの面で生成過程にあり、われわれは中国に対し一定の影響を及ぼすことは依然として可能である。お互いに影響し合う(互動)関係にあり、一方の対応が相手の類似の対応を呼び込むアクション・リアクションの関係が顕著となった。

 第三に、グローバル経済は基本的に生き残り、地域的な経済統合は進む。理性的な論理および戦後の米国の経験に照らせば、「超」超大国が存在しなくなれば、軍事力の役割は自国の防衛と国際秩序の維持に対する国際協力に集約されていくであろう(下記第七の理由により、こういう理性的議論が錯乱される可能性はある)。

 第四に、中国経済の成長は確実に鈍化し、中国の軍事力が米国を越える日が来ることを想定することは難しい。少なくとも今日の米国が享受している地位を占めることはないと想定しておくべきであろう。

 第五に、中国経済は、にもかかわらず相当の期間にわたり世界経済を引っ張ると想定しておくべきであろう。いかなる国の成長戦略も、その事実を組み込まざるを得ないであろう。

 第六に、日本と中国の物理的力(経済および軍事力)の格差は、今後も拡大していく。日本が、それを補うソフトパワーを不断に強化していかない限り、日本が中国に対し有効な影響力を保持し続けることはできないであろう。

 第七に、人類は合理的計算と判断に背馳した決定をすることがままある。主観的判断は常に付きまとうし、感情や心理にかかわる問題においては特にその傾向がある。そういう「非合理の世界」に対する備えは常にしておく必要がある。

 

3.現時点における対中戦略

 

 これらを前提にして、現時点の対中政策を想定すれば、2008年に日中間で合意した戦略的互恵関係を基本にし、それに軍事安全保障の柱を加えた、対中二重アプローチを基本的な短期的対中戦略とすべきであろう。

 遠い将来を見通すことは容易ではないが、当面の間は、安定した協力関係を築くことが日本の明確な国益であることが分かる。中国も国政運営の必要から日本との関係改善を考えざるを得ない。日中は、外交と安全保障上のコストを上げ過ぎてしまった。特に経済の分野においては、お互いを必要としているのに、政治が必要以上に経済に影響を及ぼしている。中国の抜本的な経済改革のためには日本企業の積極的参加は極めて望ましい。日本経済の成長戦略に中国経済を組み込み、そこから最大の利益を得る戦略は正しい。さらにグローバル経済の前提である世界の平和と安定を強化する日中協力も正しい。これが経済に重点を置いた第一のトラックである。

 第二のトラックが、安全保障に重点を置いたアプローチだ。中国の軍事力が増大し続けることを前提に日本の主権と領土、アジアの平和と発展を考えれば、当面は、先ず日中の危機管理体制を強化し、次に日本の自衛力を強化し、さらに日米安全保障関係を強化し、ひいては東南アジアの自衛力の増強、豪等との協力関係の強化等を図ることは、正しい。中国軍の動向を、従前以上に注視し、必要な措置を適時適切にとることも正しい。

 つまり「硬い手」と「柔らかい手」をともに持って、対中政策を進める必要がある。安全保障がらみの「手」が硬ければ硬いほど、対話という「柔らかい手」をさらに強化する必要がある。同時に戦術論の次元でも「硬い手」と「柔らかい手」を持つ必要がある。

 いわゆる「外交カード」なるものは、プレーヤーに対しそれぞれのウエイトに従って同時に作用する。日米関係が強化されれば、中国やロシアに対する日本の立場を強化するし、日ロ関係が強化されれば米国や中国に対する日本の立場は強まる。故に安倍外交が地球儀を俯瞰して活発に活動していることは外交的に正しい。しかしそれを「対中包囲云々」という必要はない。なぜなら対中包囲網を完成することは不可能であり、できないことは喧伝しないことだ。黙ってやるべきことをやって行けば良い。

 したがって現時点において議論されている多くのことは、基本において戦術論であり、戦略論ではない。その戦術の次元においても、あの米国でさえ相手をよく理解して外交のテクニックを駆使した外交を試みている。ましてや日本においておや、なのだ。不必要に相手を刺激し、不必要に外交コストを引き上げる必要はない。

 

中長期的総合的な対中戦略の策定は必須

 

 この短期的な戦略は、日中の国力が今後も開くことを想定すれば(中国の国家運営が失敗する可能性もあるが、そういう「希望的観測」に国の命運を委ねるわけにはいかない)、とりわけ軍事安全保障の側面において補強が不可欠である。つまり中国の「力」に対し、わが方の「力」だけで対抗する戦略は精緻さに欠ける。ここにいくつかの支柱を設け、中長期的総合的な対中戦略を策定する必要がある。

 第一に、中国が「暴走」した場合に備え、中国対世界という構図を作れる外交力、ソフトパワーを磨く必要がある。つまり中国の「力」に対し、世界の「力」で対抗する構想力、提案力、実行力を打ちだせる人材を養成し、システムを構築する必要がある。とりわけ関係国を糾合する外交力の強化は急務である。理念を重視した東アジアのビジョンと組織を打ちだすことも重要となる。

 第二に、東アジアに安全保障の新たなメカニズムをつくる必要がある。このメカニズムは、中国の安全と自尊心にも配慮し、中国が軍拡に向かう動機を弱め、同時に全ての加盟国の安全と主権を保全するものでなくてはならない。直感的に言えば、米国、露、印といった大国の参加を確保することにより、より安定したものとなろう。

 第三に、安全保障メカニズムを補強するものとして、東アジアの経済統合のメカニズムをつくる必要がある。これはすでに動き始めたものを基礎に拡充し強化すれば良い。全体のシステムをより強固なものとするために、一体感を強めるコンポーネントを持っておくべきであり、文化や人の交流を強化する仕組みも導入すべきである。

 第四に、中国をして被害者心理を克服し、21世紀を先導する「ものの考え方」に到達させる外交努力が不可欠である。同時に現行の国際秩序や国際法システムは未完成であり欠点を持つことを正確に認識しておく必要がある。中国をはじめとする新興国、後発国との間で、まさに戦後秩序の根幹である「話し合い」と「交渉」を通じて、平和的に既存の秩序を改善し補完する作業に入るべきである。最大の挑戦は、むしろ米国が、国際社会の制約を受け入れざるを得ないという現実をいつ受容できるかという点にあるのではないか。

 第五に、米国は、「超」超大国の国力と意識をいつまで持続できるかという課題がある。米国の地位は、相対的に低下し続けることはあり得るが、米国が総合的な国力において中国やインドに抜かれる日が来ることは、予見しうる将来、想定することは難しい。つまり米国が中心となって世界を引っ張っていくことが、世界にとって必要なのだが、米国世論がいつまでそれを支持するかという挑戦に直面する。英国は、国力が低下しても、世界を引っ張る意欲はあった。英国が、階級社会であり、エリートが英国を引っ張ってきたからであろう。仏も、ある程度そうだ。米国は、これとは本質的に異なる。われわれが杞憂する米国のリーダシップの衰退は、起こり得るのである。

 

 (了)