第3回「「昭和」と平成-日本人の身長」

元駐タイ大使 恩田 宗

「降る雪や明治は遠くなりにけり」は明治が終わって20年後の昭和6年に中村草田男が詠んだ句である。今年は昭和が終わって30年近くになる。昭和は明治より長く大戦争の前と後とで二つに割れているので仮に戦後の44年間(明治もほぼ同じ45年)を「昭和」とすると「昭和」は遠くなりにけりという感じはあまりしない。
 草明治が遠くなったという草田男の感懐は当時の人々の共感を得たという。一つの時代が終わったと皆が実感していたからである。昭和六年と言えば経済不況と大凶作に苦しむ中軍部の暴走で満州事変が勃発し国際的孤立が始まった年である。軍縮条約締結の浜口首相は右翼テロで亡くなっている。時代の様相が変化していた。平成は「昭和」とはそれ程の変化はない。バブル崩壊で始まりその後遺症でまだ苦しんでいるが今日本人が再び起ち上げたいとしている日本は基本的には「昭和」の続きの日本で「昭和」との決別までは考えていない。「昭和」を遠く感じないのはそのためである。
 明治から平成までの諸時代を通じ変わらず一貫して日本人を悩ましてきた問題がある。身体の見栄えの問題である。ロンドンでビクトリア女王の葬列を下宿の親父に肩車してもらって見送った夏目漱石は通りのウインドーに写る自分が「一寸法師」のように惨めに見えたと嘆いた。彼の三四郎も腕を組んで停車場のプラットホームを歩く西洋人夫妻の姿に「見惚れ」「これでは威張るのは尤もだ」とつぶやいている。漱石の身長は当時の日本人の平均の157cmで英国人の平均より10cm低かった。漱石に限らず明治以来西洋人に接した殆どの日本人は見た目の劣ることに多かれ少なかれ引け目を感じ彼等の仲間の中に溶け込みきれない疎外感を味わってきた。
 「肌色の憂鬱」(真嶋亜有)から拾い出すと、ベルサイユ会議では仏首相クレマンソーが日本全権を「あのチビ」と周囲に聞こえる声で呟き、国際連盟出席の松岡外相は若いものは劣等感がなくて羨ましいと随員に打ち明け、マッカーサーは天皇と並んで立った写真を日本人に見せつけ、フランス留学の遠藤周作は偏見に苦しみつつ「聖アンナ像と弥勒菩薩との間にはどうにもならぬ隔たりのある」ことを学んだ。
 しかし西洋人種との身体的差異の存在は或る意味で日本に幸いした。そこから生じる違和感が西洋との融合を妨げ日本をして日本で在り続けさせたからである。鹿鳴館で象徴されるような性急な西洋化熱にブレーキが掛らなかったとしたら日本はどんな形になっただろうか。弥勒菩薩は間違いなく辛い思いをなさったと思う。
 平成になり日本人の体格も良くなってきた。2009年のOECD統計では男子の平均身長は171.6cmと英国人のそれと5cm違いとなり中国韓国を含め殆どのアジア諸国のそれよりも高い。平成の次の時代には身長の悩みは和らぐだろう。そんなことをまだ話題にしていた平成を遠くに感じるかもしれない。