第1回「オノマトペ(擬態語・擬音語)

元駐タイ大使 恩田 宗


 外国人に日本語を教えていて困るのはオノマトペ(擬態語・擬音語)である。よろよろ ふらふら よたよた の違いなどを聞かれると往生する。普段これ等の言葉は獏とした語感で適当に使い分けていて概念的にその差を明確に意識していないからである。「日本語オノマトペ辞典」の編者小野正弘は「どうもすっかり遅くなってすみません」のすっかりには「ずっと気にはしていたのですが色々あってあっと気がついたらこんなに遅くなってしまって」という釈明の気持も込められているという。オノマトペは奥が深い。
 日本語にはオノマトペが多い。英語では350種なのに日本語は1200種あるという。しかも日本語は よろよろ に類似した言葉として更に よろっ よろん よろり もあり一種の中の語数が多い。語数で比較すると日英の差は更に大きくなる。その代わり英語には「歩く」動作を表す動詞が複数あるが日本語にはない。「歩く」に説明を加えるか漢語を使うかさもなければ とぼとぼ どたどた せかせか などのオノマトペを使わざるを得ない。笑う話すなど他の動作についても同じである。
 オノマトペを使えば事物を概念的に分析し明確に定義された言葉で表現する手間が省ける。便利であるが人により好き嫌いはある。三島由紀夫は抽象性に欠け卑俗だとして嫌ったらしい。「翻訳のおきて」の著者河野一郎も翻訳するときは擬態語擬音語に逃げれば楽だが使い過ぎると安っぽくなると忠告している。しかしオノマトペは直接人の感性にうったえニュアンスに富むのでうまく使うと短く印象的でしかも余韻のある文章になる。川端康成の「雪国」では酔った芸者駒子が「ばたりと投げ込まれたように(島村の部屋に入り彼の)体にぐらりと倒れ」る。
 日本語にオノマトペが多いのは感覚的に納得出来れば全くの新語や造語でもすぐ受け入れられるからでもある。中原中也の詩の中の、サーカス小屋の天井に、高く吊られたブランコは ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん と揺れる。漫画の銃の発射音は バキューン ズキューン ドギューン ズガーン ビシュー チューウン シュバッ ガヒ―ン である。今はもっと増えているかもしれない。
 「犬はびよと鳴いていた」(山口仲美)によると奈良・平安の時代の猿の鳴声は樹上で餌を食べ満足している時出す ココ であり犬のそれは野犬の遠吠えの びょう であった。それが室町時代になると猿は見世物に使われるようになり恐怖に怯えて キャッ と鳴くようになり江戸時代には犬はペット化されて わん と鳴くようになったという。動物は人間との関係で鳴声も変えるのである。
 桃太郎話の桃も最近は つんぶく かんぶく(松井直)、ぷいこ ぷいこ(おざわ・としお)、つんぶら つんぶら(大川悦生)、どんぶらこっこ すっこっこ(平きょうこ)、どんぶり かっしり つっこんご(松谷みよ子)と絵本作家により流れ方が違っている。小学国語読本(昭8「サクラ読本」)ではドンブリコと流れていた。いつまでもドンブリコと流れてきたと語り継いでいって欲しいがあの世代の人間の郷愁・未練だろうか。