枝村純郎著『外交交渉回想』(吉川弘文館、2016年)

外交交渉回想
矢田部 厚彦(元駐フランス大使)

読者には、まず本書のカヴァーに注目頂きたい。説明書きによれば、1990年7月27日、クレムリンにおける信任状捧呈式の写真とある。枝村大使が背筋をピンと伸ばし、頭を上げ、しかも、ニッコリ微笑を浮かべているところに注目したい。筆者にも経験があるが、天皇陛下の御信任状を任国の主権者に捧呈するという儀式は、矢張り相当に緊張するものである。相手に対する敬意のあまり、頭を下げ、つい背も丸くなりがちになる。

ところが、この写真に見る枝村大使には、そのような素振りは微塵もない。さもありなん。彼は、この著書に「特命全権大使たる者、いざというときには、任国の元首に対しても対等だという意識をもって臨むべきだと考えてきた」と書いているくらいだから。

とはいえ、このときの枝村には、別の意味のプレッシャーがかかっていても不思議ではない。彼が新任地モスクワに着任したのは、1990年6月8日であるから、既に二か月近くも、信任状提出の日取りさえ決まらない日々が過ぎていた。これは、外交的には異例なことで、非礼と言ってもよい。このような遅延の裏には、何らかの目論見があったことすら推察されたのだ。

ソ連側には、日本側がもっぱら北方領土問題のみに絞って日ソ関係を考え、圧力をかけてくることへの苛立ちがあった。ゴルバチョフ大統領の国賓としての訪日の日取りはいつまでも決まらず、その準備のためのシェワルナゼ外相の訪日の日取りさえあやふやなままだったのだ。そういうことをめぐって、日・ソ間には、陰に陽に厳しい応酬が続いていた。信任状捧呈式は、そのように緊張した状態が続くなかで、或る日の夕刻、僅か数時間の予告で突然行われたのである。

以上の事情を念頭に、もう一度、信任状捧呈式の写真を見て欲しい。新任大使に神経的圧力をかけてやろうという意図がロシア側にあったとすれば、お生憎さまで、的外れもいいところだった。ゴルバチョフ大統領、シェワルナゼ外相両者と、これに対峙する新任大使との間で、断然優位にあるのは、背筋をピンと伸ばした枝村の方である。しかも彼は、何のこだわりもないように、にっこり微笑を浮かべているではないか。枝村の勝ちだ。

人生のいわゆる「黎明期」に始まり長い年月に跨る本回想記には、全編に亘り枝村の外交官魂が躍動している。外交官魂とはなにか?彼は、冒頭「はじめに」のなかで、「外交の本義は外交交渉である」と喝破している。それは、今日の世間に横行する「情報屋」を意識しての発言であろうが、交渉が外交官の使命であり、魂であることに間違いはない。

「情報」の重要性は否定しないとして、枝村が指摘しているとおり、それが「外交交渉」に役立たされて、初めて情報としての価値が発揮されるのである。情報は、集積され、分析され、知識として、総合的に活用されなければならない。「組織としての記憶(インスティテュショナル・メモリー)」構築の重要性は、枝村のかねてからの持論であり、本書においても強調されている。本書の刊行は、まさに、その重要な一翼を担うものと言ってよい。