戦後70年:ブレトン・ウッズ体制への挑戦
-ペキンダックを食べますか-
(元国連大使)
戦後70年―大きな節目の年だ。終戦前後に生まれた世代にとっては(筆者もその一人だが)生涯をふり返るに感慨深い年である。国政レベルでは、安倍総理の施政方針演説にいう「戦後以来の大改革」、また「積極的平和外交」や「戦後70年の談話」がどうなるのか、国民も、近隣国を含め海外も注目している。
世界のレベルでは、国際連合とブレトン・ウッズ体制の誕生から70年になる。人間も70歳になると体にいろいろとガタがくるが、この二つの代表的な戦後国際レジームが70年を経て、近年どういう変革の波にさらされているのか、概観を試みてみたい。本稿ではまずブレトン・ウッズ体制の方を、そして次の機会に国連組織の中核である安全保障理事会の改革問題を取り上げてみたい。
米英の主導の下、連合国44ヶ国が参加して開催されたブレトン・ウッズ会議(1944年)で、戦後の経済復興・開発のための体制と、ドルを基軸通貨とする固定相場制の国際金融体制が作り上げられ、これを支える組織として国際復興開発銀行(IBRD)と国際通貨基金(IMF)ができたことは周知のとおりである。前者は世界銀行グループに発展しているが、両機関ともワシントンに本拠を置き、代々の総裁はそれぞれ米国と欧州が独占し、欧米主導が貫かれてきた。いわゆるニクソン・ショック(1971年)で固定相場制は終焉したが、ブレトン・ウッズ体制の大枠は今日まで続いている。
しかし、この体制も近年、新興国・途上国の発言権増大の圧力にさらされ、改革が迫られている。そこで今回はこれらの動きをふり返った上で、最近話題の中国主導「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」設立の問題を見てみたい。
新興国・途上国の投票権拡大
さて、次稿で見るように、国連は基本的に政治組織で、一国一票(総会)と拒否権(安保理)の制度で成り立ち、極めてハードルの高い憲章改正規定でガッチリ固められているため、大きな改革(なかんずく安保理改革)の実現は至難である。他方で、所詮はカネの力がモノをいう世界である世銀・IMFは、投票権の配分、理事会の構成といった組織ガバナンスには、加盟国の経済力や貢献度の適正な反映が求められる。すなわち、新興国・途上国に経済力、出資力がついてくれば、いずれ彼らの「声」すなわち発言権の増大要求(Voice reform)は必然で、無視しえなくなる。
アジア通貨危機(1997-98年)でIMF批判が高まり、また、世銀貸付に付される“コンディショナリティ”に対し途上国側に不満が多いことは周知の通り。しかし、強い批判や不満が発言権(投票権シェア)の拡大要求に昇華していくには、新興国・途上国の世界経済におけるウェートの拡大を待つ他ない。2000年頃までは目立った動きにはならなかったが、21世紀に入り新興国の経済力の向上が目覚ましくなり、状況が変わる。
転機は2002年の国連開発資金サミット(モントレー)であった。ここでIMFと世銀に対し、「その意思決定において途上国の意見をより一層反映する」ことが要請され、議論が本格化した。プッシュした主要プレーヤーが中国、インド、ブラジル等で、ロシア、サウディアラビアも続いた。
投票権の増減をめぐる綱引きは、途上国の投票権増は先進国の投票権減というゼロサム・ゲームであるので交渉は容易ではないが、まずIMFで2006年以降、投票権の変更が実現した(途上国シェアは、39.4%から40.5%、08年に42.1%、10年に44.8%へと漸増)。少し遅れて、膠着状態にあった世銀の投票権改革も動き出し、08年にアフリカの理事数を2名から3名に増員し、途上国シェアは42.6%から44.06%へ、10年に47.19%へと拡大する合意が成立した。この2010年の世銀・IMF改革案が最新のものである。
米国のもう一つの拒否権
ところが、これに米国のストップがかかる。IMF改革案には理事選出方式と出資比率の変更が含まれているが、その正式発効のために必要な米国(議会)の承認が得られない。ブレトン・ウッズ体制には、重要な決定は「総投票権数の85%以上の賛成による」とするルールが仕組まれており、米国のIMF投票権シェアは現行16.7%なので、米国一国だけで重要決定をストップできる。改革案が通れば16.5%へと微減するが、「拒否権」の存続が脅かされるわけではない。それでも米国議会はそっぽを向いた。
議会内では、とくに共和党の保守強硬派(Tea Party)の反対が効いているとか。米国のシェアが下がる一方で中国やロシアなどの投票権シェアが上がることを面白く思わないことなどが主な理由らしい。
要するに、国連安保理であれ、ブレトン・ウッズ体制であれ、「拒否権」という特権を固守したい米国。安保理では特権をしっかり守りつつ、国際金融面では現状変革を図りたい中国-こういう覇権構図が浮かび上がる。日本の立ち位置はといえば、中国とは逆になるのであろう(安保理は現状変革、国際金融面では現状維持)。
この構図を念頭に置いた上で、以下ではAIIBにつき、まず中国の狙いを探り、日本のとるべき態度について観察してみたい。
中国の戦略的狙い
日本を抜き世界第二の経済大国へと台頭著しい中国は、一方で都合よく途上国リーダーとしての看板を掲げながら、他方でその金満ぶりを遺憾なく発揮し、グローバルな影響力の拡大に乗り出している。アジア、アフリカ、中南米、大洋州の各地域におけるバイラテラルの投資・援助の急増に加え、矛先はマルチ対策にも向けられている。
「AIIB」、「BRICS銀行」、「シルクロード基金」と、相ついで打ち出されるマルチ型の対外経済戦略は、「中国版マーシャルプラン」だとか「米国へのあからさまな挑戦」といった論評も目につく。これが欧米主導の既存国際レジームに対する“挑戦”で、中国共産党政権による(軍事力増大も含めた)高度な対外戦略の一環であろうことは疑いえない。
中国の狙いについては幾つかのポイントが指摘されている。
第一は、年間90兆円規模とも見積もられるアジアの膨大なインフラ資金ニーズには、二国間ODA、世銀やアジア開発銀行(ADB)だけでは応じきれない。そこで、中国マネーパワーの登場である。ここでリーダーシップを発揮して影響力を強め、同時に、国内の過剰生産、過剰労働、過剰在庫のハケ口にもなれば一石二鳥になる。
第二に、AIIBが多数の国の参加形式になれば、マルチ機関としての正統性も、中国の権威も高まる。既存の国際金融レジームに不満を抱く多数の新興国・途上国を味方に引きつけることもできる。あわよくばアジアにおけるADBの(従って、日米の)影響力を相対的に低下させることも望みうる。
第三に、AIIBの成功と、「BRICS銀行」、陸上と海上の「アジアシルクロード経済ベルト」など、他の中国主導のツールとの合わせ技で巨大な中華経済圏をめざす(人民元の国際通貨、SDR通貨の仲間入りなどを含めて)-という長期戦略が視野にあるとしても不思議はない。
目前の関心は、AIIBの出資比率、議決権、管理運営、人事、透明性の担保といった点であるが、将来は1000億ドル規模の投資銀行出資金の内、中国が圧倒的な出資比率と議決権をもつとなれば影響力は巨大になる。ちなみにADBにおける議決権は、日本12.8%、米国12.7%、中国5.4%であり、日米を足しても25%だ。果たしてAIIBは、世銀やADBとは異質の、“特異なマルチ金融システム”として誕生するのであろうか。
アジアDACとペキンDUCK
周知のように、既存の国際金融・開発制度は、世銀・IMFやOECD/DAC(Development Assistance Committee)に代表され、米・欧・日が主導する。アジアには、世銀と同列の国際スタンダードに沿ったADBがある。そのADBを仮に“Asian DAC”と呼ぶとした場合、この“特異なマルチ金融システム”は何と呼んだらよいのであろうか。
日本(と米国)が大株主のADBは、代々の総裁ポストと最大出資国は日本、しかし本部はマニラという分散配慮がある。他方、AIIBでは、中国の出資比率が過半数、本部は北京、総裁は中国人ということになれば、中国色は濃厚だ。
問題はこれから先、中国色をトーンダウンし、開放性・透明性を確保し、多かれ少なかれ国際スタンダードに沿った制度を組み立て、ADBのパラレル版のようなもの-いわば“第2 Asian DAC”とでも呼びうる組織になっていくのか。それとも、中国は“ブレトン・ウッズ弱体化”と“中国標準の導入”をあくまで目ざし、その結果、ダックはダックでも“Peking Duck”と呼んだ方がよい存在になるのか。
中国の招きに応じ、また、米国の反対説得を振り切って、それぞれの思惑や打算からAIIBへの参加を決めた、欧州勢を含む60近い参加国は、果たして“第2 Asian DAC”の設立に寄与できるのか、それとも“北京ダック”の饗応にあずかるだけなのか-見ものである。
日本の対応:受注メリット
さて、中国が投げかけてきた“変化球”に日本はどう対応すべきか。日本の経済利益(受注メリット)、中国との向き合い方、対米配慮、アジア経済発展へ貢献といったいろいろな視点が絡んでくる。
アジアインフラ市場において日本企業の受注競争が不利にならないよう、参加すべきだとの意見がある。だが参加すればその通りになるのか、やや疑わしい。マルチ受注競争で日本企業が勝てない主な理由は、価格競争に勝てないためだと言われる。最新のデータによると、ADBでは日本は出資比率トップだが(15.67%)、案件受注は約2億ドル、全体の2.3%、順位は11位にとどまる。これに対し、中国の出資比率は3位(6.47%)ながら、受注額だけは24億ドルで第1位、実に日本の12倍である。年により変動はあるが、大筋に変わりはないようだ。ADBにしてこの実態であればAIIBにおいてをや、である。受注利益説だけでは説得力に欠けるし、視野が狭い。
中国との向きあい方-協働・協力、大人の知恵
より本質的な問題は、台頭著しい中国との向きあい方だ。尖閣問題、歴史認識など摩擦が絶えない日中関係だが、隣国同士、アジアのリーダー国として相互の関係は多面的で複雑である。
今後、中国の経済成長は下降に向かうであろう、外貨準備は減少している、未だ国際開発金融組織をリードできる人材や実力に欠ける-だからAIIB参加は慎重にとか、中国の野望や戦略に加担するようなことは控えるべしといった意見がある。他方で、中国の台頭、対外伸長は好むと否とにかかわらず厳然たる現実であり、これを見据えた上で、日本の長期的利益を踏まえた“大人の対応”を熟考すべしと説く意見もある。どう処するか。
一つの道として、インフラ開発協力の分野で日中間の協働・協力のチャネルを築き、両国間の「戦略的互恵関係」に肉付けをしていくことができれば素晴らしい、日本のAIIB参加をその試金石とすべし-そんな考えも当然あり得る。日中間で協働・協力が容易に進み、それが両国関係の大きな改善に結びつくであろうと期待するのは単純・楽観的にすぎるかもしれないが、食わず嫌いであってはならないことも確かである。
結局のところ、「日中双方が対立を乗りこえて協力関係を築くための大人の知恵を出せるか。世界が見ていることを忘れてはならない」(福田康夫元総理)ということになるのであろう。優れて政治判断に帰することになる。
対米配慮
米国はAIIB構想に反対し、日本はじめアジアや欧州の主要国に不参加を働きかけたと伝えられる。IMF改革に反対する米議会が、AIIBへの米国参加を容易に認めるとも考えられない。中国との覇権争い上、分からないではないが、今回は目算が外れ、「特別関係」の英国の脱落を端緒に、「想定外」のナダレ現象が起きてしまった。
従来、アメリカが経済金融問題でアジア内部からイニシアティブが出るのを嫌って反対や牽制を仕掛ける、日本が同調して動くパターンは珍しくなかった。マハティール・マレーシア首相が「東アジア経済会議、EAEC」構想を提唱したとき(1994年)や、東アジアの通貨危機を契機にアジア統合の動きが頭をもたげる中で「アジア通貨基金、AMF」構想を日本がリードしようとしたとき(1990年代後半)など、いくつかの事例が想起される。
しかし、21世紀に入り、アジア地域では大きなパラダイムシフトが起きている。米国も、アジア回帰をめぐり対中関係を含めて是々非々のアプローチ(リバランシング)を始めている。日本としては、日米関係の重要性を踏まえつつも、アジアの一国であること、対アジア経済開発協力分野では日本の立ち位置は同じではないこと、アジアの経済発展に寄与することは日本外交の重要な柱であること等を踏まえ、取るべき態度を再吟味することが必要になっているのであろう。
AIIBへの対応
中国の提案に対する世界の食らいつきぶりは、我が政府当局にも予想外であったようだが、「バスに乗り遅れるな」式の性急な対応を政府はとっておらず、これはこの際適切である。米国との意思疎通、新銀行の設立協定や管理運営方針等の成り行きをしっかり見極めることがまず重要だ。
しかし、世界の60カ国近くが参加を決めた事実には重いものがある。「外から働きかける」のには限界もあろう。いずれ日本は決断を迫られようが、その決定とタイミングは、アジアの経済大国としての日本の参加が、AIIBの“ペキンダック化”を抑える上で効果的であるか、また、ADBとAIIBの両方に軸足を確保しておくことが、日本の受注メリットを含む総体的利益の見地から有利かどうかの見極めに帰するのであろう。
参加の場合、オプションとしては、お付き合い程度に抑えた“マイナー参加”と、第二位の出資比率をも厭わない“メジャー参加”が考えられる。日本の参加の有無は、中国にとっては、他の国のそれとは自ずと重みが違うはずである。だとすれば、まずは“マイナー参加”で臨んで席を確保しておき、その後種々の状況を見計らい適当と判断されれば“メジャー参加”にシフトする柔軟性、段階的アプローチがあって良いであろう。
最後に
長年にわたり、日本は、アジア諸国に対する経済インフラ支援ではODAおよび非ODAの手段を動員して大きな実績を重ね、誇りと自信を持つべき貴重な外交資産を築いてきた。最近設立された半官半民の新会社「海外交通・都市開発事業支援機構」(通称“国交省ファンド”)がインフラ支援の新手段として加わったことにも期待がかかる。
他方で、近年アジアのインフラ市場では、すでに中国、韓国、インドなどとの競争が激しくなってきている事実もある。そこに、アジアの膨大なインフラ市場に惹かれて欧州諸国等がAIIBに加盟することで、「欧州企業のクオリティ+中国国営企業の安価」、「欧州のコンサルタントの参入」といった新型競争が加わり、より厳しい状況に直面する可能性も予測しておかねばならない。
だとすれば、日本としては、過去の実績に安住することなく、また「量」の確保だけでなく、JICAやJBICを含めオール・ジャパン体制を強化して、上記のような新型競争に負けないために、案件決定のスピード化などを含め「競争力」と「質」の向上に努めることが益々必要になってくる。さらに、第三国市場での日中企業協力の拡大、「日本企業のブランド力+中国企業のコスト競争力」の連携といった新アプローチも臆せずに探求されるべき時代になってきているのではなかろうか。
戦後70年、米国主導でできた国際レジームが“中華”の台頭で揺さぶられている。この変革期に当たって、現政権が打ち出す「積極的平和外交」が、どんな総合戦略を打ち立てていくのか、注目しておきたい。