情けは人のためならず


駐ボリビア大使 椿 秀洋

2014年4月13日、日本とボリビアは外交関係樹立100周年を迎えました。第二次世界大戦時の1942年からサンフランシスコ講和条約が結ばれた1952年まで10年間の断絶がありましたが、この100年間概ね良好な友好協力関係を発展させてきています。1960年から日本のボリビアに対する経済協力が始まり、ボリビアは中南米地域における我が国の無償資金協力の最大の受益国となりましたが、それまでは1899年に始まる移民や1954年に始まる戦後移民の受け入れ等、むしろ日本がボリビアから多大な恩恵を蒙ってきた経緯があります。

 日本のボリビアに対する経済協力の主要分野のひとつには医療・保健分野が挙げられます。無償資金協力や技術協力のスキームを通して,多大な支援を行ってきていますが、中でも1979年以降ラパス市(事実上の首都),スクレ市(憲法上の首都),コチャバンバ市(第3の都市)の主要3都市に無償資金協力を通して順次建設された「ボリビア・日本消化器疾患研究センター」が特筆されます。


ボリビア日本消化器疾患研究センター設立35周年と日本ボリビア外交関係樹立100周年のロゴマークを掲示した同センター正面入り口

 ラパスに建設された「ボリビア・日本消化器疾患研究センター」は2014年4月27日に設立35周年を迎えました。同センターに対しては,技術協力の一環として,長期に亘って技術指導や日本での研修等が行われています。したがって同センターの医師には日本で研修を受けた者が多く,東邦大学大森病院の専門医達との交流を通じて覚えた日本語で挨拶する等,非常に親日的な雰囲気に包まれています。センター内には日本の協力で建てられたことを示す資料も多く展示されていて、来訪者が日本の協力によって建設された施設であることを自然に理解するようになっています。また、設立当時から今日までに供与された機材は全て大事に使用されあるいは保存されています。

 同センターは「ボリビア日本病院」の愛称で親しまれ、2001年にはボリビアの最優秀病院に選出されていますが,2004年には「世界消化器疾患機構(WGO: World Gastroenterology Organisation)」から,中南米地域では初の「消化器疾患・内視鏡研修センター」の認定を受けました。現在では内視鏡研修をはじめとする中南米屈指の消化器疾患関連の研究・研修施設として,毎年開催される研修コースに、北はメキシコから南はアルゼンチンまで、中南米各国から多くの専門医が参加するまでになっています(2005年から2014年までの10回の研修コースにJICAの第三国研修135名、右以外の個別研修274名の計409名が参加)。また長く院長を務め、現在も研修センター長を務めているビジャ・ゴメス博士は世界的にも著名な消化器医として高名を馳せていますが、2014年秋の叙勲でこれまでの功績と日本ボリビア両国間の関係強化に果たしてきた多大な貢献を讃えられて旭日双光章を叙勲されました。同博士自身、自らの言葉で日本との医療協力について発信し、日本とボリビアの友好の架け橋としても大いに活躍されています。

 南米は胆嚢結石の疾患が多いと言われていますが,ボリビアは,南米の中でもチリと並んで発症数が多い国だそうです。上記3センターがこれまでに多くのボリビア人の方々に治療を行ってきたことは言うまでもありません。これに加えて,2013年8月にはコチャバンバで総胆管症を発症した家内が,2014年4月にはラパスで急性胆嚢炎を発症した私自身が,それぞれコチャバンバとラパスで腹腔鏡による胆嚢摘出手術を受けました。家内の手術を担当した医師は、平均すると年間400例の手術を行っているそうで、手術に立ち会った消化器外科医の大使館の伊藤医務官は「完璧な手術でした」と感嘆していました。私の手術はビジャ・ゴメス博士が自ら陣頭指揮を執りました。思いもよらぬ形で,日本の大使夫妻が揃って日本のボリビアへの長期に亘る一貫した経済技術協力の恩恵を受けることになりましたが、まさに「情けは人のためならず」だと痛感している次第です。 


左から JICA調整員、本使妻、ロサ院長、本使、ビジャ・ゴメス博士、大使館医務官

 ボリビアには閣僚等の要人をはじめ胆嚢摘出手術を受けた人が多くいます。私共の胆嚢摘出の経験を話すと、「実は私も胆嚢を摘出した」と答える人があまりにも多いので吃驚します。そこで、勝手に「無胆嚢クラブ(Club de Sin Vesicula)」と命名して、術後の経過や注意すべきこと等をお互いに話し合いながら会員同士の親交を深めています。

 私のボリビア在勤は2年半を越えました。できるだけ長く勤務できればと希望していますが、離任する日が来た時の挨拶の締め括り部分は既に決めています。


 「今般、我々夫妻はボリビアを離れることになりました。しかし、家内と私の二つの胆嚢は永遠にボリビアに残ります!」