帰国大使インタビュー:藤崎一郎前駐アメリカ合衆国大使に聞く

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平成27年3月20日
副理事長 明石美代子

 藤崎一郎前大使は現在上智大学特別招聘教授,そして日米協会会長として活躍されておられますがこれまでも当会報にご寄稿いただいています。今回は帰国されて丁度2年,教べんをとられている上智大学キャンパスを訪ね,改めてアメリカ合衆国駐劄大使時代のお話や外交官生活を振り返って特に印象に残る事柄についてお伺いしました。また研究室には学術書だけでなく大使の外交活動の足跡をうかがわせる各種記念メダル等様々な交流の品々が展示されており若い研究者に好奇心と刺激を感じさせる豊かな空間を提供していました。

━━━これまでも外交官生活に関していろいろな場でご意見を述べられたり寄稿されたりしておられますが,現職最後のアメリカ合衆国駐劄大使時代のご経験などについてお話しいただけますか。

 在任中二回の大統領選挙がありました。政務公使、北米局長のときにも、一回ずつ経験しています。アメリカに赴任したのは2008年5月末で丁度オバマさんが民主党の指名競争の中でリードし、共和党のマケイン候補との大統領選が始まる頃でした。

 オバマさんの勝利の理由は分かりやすく言えば、4つのWのおかげだと思いました。一つ目はジョージ・W・ブッシュのWでブッシュ前大統領のしたことは全て間違いであったと主張したことです。二つ目はIraq Warに反対したことでこれは大きかったでしょう。 三つ目はWall Streetで共和党は金融街の味方だが自分たちはメイン・スリート つまり村の本通りの味方であると言ったことです。そして最後はWashingtonです。オバマさんは上院議員2年生でしたがマケインさんは上院議員歴30年ぐらいのベテランでした。ワシントンと言えば永田町か霞ヶ関に当たりマケインさんは国民から遊離している場所にいる人,それに対し自分は新しいチェンジの代表である,と言って勝ったわけです。2012年の大統領選でオバマさんが共和党ロムニー候補にまた勝利しましたが、この時も4つのWを考えてみました。先ずロムニーさんの富wealthでベインキャピタルという会社を作り2億ドルも儲けた人であることです。次にwork,失業率が8.5%以上から半年で7.8%まで下がったことがあげられます。3番目はwomen &minorityで女性票で見ると二人の間に10%の違いがあった、最終的な結果では全体でわずか3%差だったので女性とマイノリティの票が五分五分であれば結果は変わっていたともいえることです。4番目にwind,丁度ハリケーンの最中でオバマさんは緊急指令本部FEMAに詰めて対応し毎日テレビに出ていた、国民から指導者とみられ,他方ロムニー氏は何もすることがなかったことがあります。というわけで私はブッシュ政権終わりから第一次オバマ政権と第二次オバマ政権に向かう大統領選挙までを見てきたわけです。

<忘れられない出来事>

 着任中に起きた一番大きな出来事は東北大震災で、それは外交官人生の最大の出来事でした。当時率直に言って東京は混乱して情報はきちんと入ってこない状態でした。私の仕事は三つあり、一つは米国政府との連絡,メインは東京でしたが補助チャネルとして機能することでした。二番目は次から次へ要請されたアメリカのテレビでの説明でした。そして三つ目はいろいろな支援集会に出て事情を説明してご挨拶やお礼を述べることでした。時間がたつにつれだんだん三つ目の仕事が増えていきました。

 一番目の米国政府との連絡についていえば当初日本からなかなか情報が来なかったのですが、ワシントンの日本大使館では各省からの腕っこきが揃っていたので助けてもらいました。彼らが集めてくれた情報を持って一日4,5回も館内で打ち合わせし、情報を整理しそれを国務省やエネルギー省などにつなぎ、その結果をまた館内でシェアするためその都度集まってもらっていました。ワシントンの日本大使館の強みは各省庁の有能な課長クラスがひとつ屋根の下に集まっていることです。ですからいつでも直ちにオールジャパンの会議ができました。このようなことは東京でもあまりないことです。私は二か月ほどすべての社交や出張をやめてワシントンに詰めていましたが皆さんが本当に良く支えてくれたことに感謝しています。

 大震災は日本にとっては大変不幸な出来事でしたがアメリカは政府,軍隊,教会,学校そして一般の人々などが総力を挙げて大変な支援をしてくれました。日本にいると海兵隊や海軍の指揮官や兵隊への感謝に留まりがちですが、それを命令しているアメリカ大統領以下の政府や広く国民に対してもっときちんと感謝の意が表現されるべきではないかと思ってみていました。4年経った今でもアメリカのみならず世界に対してきちんとお礼を発し表明し続けることが大事ではないでしょうか。例えばリトアニアでユダヤ人の命を救った杉原千畝に対しユダヤの人々は70年以上たっても決して忘れません。日本人が忘れていたときでも憶えて感謝してくれていました。日本人も困難に際し受けた支援にはもっと具体的な形で感謝の気持ちを表明し続けるべきではないかと思います。

━━━具体的に例えばどのような形で感謝の気持ちを表現したらいいのでしょうか

 節目ごとに談話を発表したり謝意を述べたりするべきでしょう。また例えば国や地方自治体が協力して大震災に関する総合的な記念館を造り,我々が決して忘れてはならない教訓や国内外から受けた支援など多くの大切なことを長く伝えていくようにすべきではないでしょうか。そしてそれを世界に発信することが大事であると思います。

 在任中、もう一つ大きな思い出は前にこの会報に書かせて頂きましたが2012年のポトマックの桜100周年でした。その前年に東北大震災があったこともあり当初思ったような準備ができませんでした。しかし、日本商工会の方々などの大変なご努力もあり盛大な100年祭ができました。アメリカが外国から貰った大きなプレゼントは二つ,フランスから貰った自由の女神像と日本の桜です。前者は1年中観られますが,桜のいいのは春一面に町全体を明るくすること,かついろいろな所に根分けして増やしていくことができることです。既にアメリカの各地に根分けして増やしていますが、桜100周年を契機にその広がりをステップアップしています。

 びっくりしたのはアメリカ国内ではポトマックの桜を最初に贈った人は尾崎行雄東京市長ではなく高峰譲吉博士なのだと思われていてそれがいろいろな新聞や本にも書かれていたことです。そこで本当のところはどうなのかと外務省,東京都,アメリカ議会の資料に当たって調べたところ,東京市議会の決議とか出納の記録などが残っていてやはり東京市がやったことが分りました。そこで米国人の中で若干抵抗する人はありましたがワシントンポストに真相を寄稿いたしました。最初ワシントンのポトマック河畔に植えることを思いついたのは米国人のイライザ・シドモア女史ですが、NY在住の高峰も同じようにNYのハドソン河畔に植えようと提案していました。高峰博士の動機は日露戦争後悪化した米国の対日感情を和らげるためでした。シドモア女史が植樹につき大統領夫人の同意を取りつけたので、高峰博士、シドモア女史、当時の水野NY総領事が相談した結果、総領事が日本政府につなぎ東京市に伝え実現したのです。高峰博士の死後友人だったシドモア女史が桜植樹は高峰さんの功績、負担だと書いたのが90年にわたり孫引きされ続けていたことが分かりました。孫引きとは怖いものだと思いました。一回目に送られた桜は残念ながら虫がついていて焼却されました。それをその後外務大臣になった内田康哉大使がもう一度やるべきだと主張して実現したわけです。何人かの人々の強い意志が無ければ実現しなかったことでした。このように桜植樹の背景には日露戦争後に日米関係が悪くなっているという危機感がありました。今私が会長している日米協会ができたのも同じ頃です。日露戦争の際、ハーバード大学同窓のセオドア・ルーズベルトに働きかけたので有名な金子堅太郎子爵が、日米関係の悪化を懸念して1917年に立ち上げたものです。2017年には日米協会創立100年を迎えることになります。

 3番目に印象的なのは結果としてではありますが、以前の勤務の時の訪問を加えると全米50州を訪問できたことです。アメリカという国はほかの国と異なり各州に権限がありUnited States合衆国でありいわゆる中心はないようなものですのでそれぞれの州を訪ねることには意味があり,私はできるだけ多くの現地の人々に会い,方言や歌など現地の文化を学びながら,スピーチなどに取り入れ暖かい歓迎を受けることができました。

<日米関係について思うこと>

 日米関係について思うことは,世界を見渡して日本人とアメリカ人のように双方で8割もの人が相手を好きだという関係は珍しくその意義は大きいことです。しかも70年前まで戦争していた国であるにも関わらず,です。それには長い間の様々な努力の積み上げがあったからです。経済的には中国などが大きくなっていますが,好感度の面で日本は大変高い評価を得ています。それは優れた日本文化のお陰も大きいと思います。その優れた点は異質の西欧文化と融合しやすいということではないでしょうか。数寄屋造りの伝統を現代建築に取り入れたり,服飾デザインや食文化でも日本の伝統をうまく活かしたりした方たちが受け入れられています。我々の外交活動も大いに日本文化に支えられていることを館長になって実感しました。効果が簡単に測れないので文化関連予算は切り込まれやすいものですが,大局的視点で検討されるべきだと思うようになりました。

━━━これだけ緊密な日米関係ですがこれからどう維持発展させることができるのでしょうか

 両国政府の立場に立って考えますとスリー・ノーズ,即ちno surprise, no over-politicization, no take for grantedが鍵となると思います。先ず国と国の関係では何々ショックとか相手を驚かすようなことはしない,そして問題は小さいうちに刈り取る努力が必要,最後に日米関係を70年間の夫婦生活にたとえればお互いに当然視し始め,自分の方がいろいろやっていると思いはじめるので,そうならないように互いに感謝し合う気持ちを忘れず互に発信し合うことが大事です。これは15年前北米局長をしていた頃から言っています。日本から見てアメリカに代わる国はなかなかないのです。例えばアジア太平洋共同体というときにアメリカを入れないで考えればアジアの中でどういう力関係になるかを考えて,やはりアメリカを入れた形の方がいいだろうと考えるのが当然でしょう。現状をしっかり固めながらどういう方向に行くべきかを考えるべきだと思います。今のように北朝鮮問題や,尖閣諸島をめぐる動きなどがある中でアメリカにも同じように現状をしっかり固めていくようにしてもらう必要があります。変化のための変化や性急な現状変更でなくじっくり現状を固めていくことがいいと思います。

━━━今もお忙しく海外出張されているとのことですが

 今は上智大学の教師や,日米協会会長をしていますが、アメリカ,中国,韓国,ヨーロッパなどにセミナーで行くこともあります。また国内で講演もしています。そうしたところで日米関係,今の日本の置かれている環境,中国との関係,アジアとのこれからなどを話してきたりします。駐米大使の仕事のうち,北朝鮮、中国、中東などの国際情勢をフォローすることは大きな比重を占めていましたのでそうした知見も役にたっています。

━━━最近の報道では日本の右傾化などの表現が出てきていますが,セミナーなどでは日本についてどのような意見が聞かれるのでしょうか

 私が自分の意見として述べているのは,日本が右傾化し違う方向に向かおうとしているのではないかという見方は違うということです。戦後レジームの脱却ということを安倍総理と周辺の人たちが発信していますが、主として経済面の考えであり、安全保障面では日米関係強化という従来路線です。日米関係を強化するために集団自衛権を考えているわけで総理の祖父の岸総理をはじめ歴代の保守政権と軌道が違うわけではない、ただ強化のスピードが違うのです。それを周辺国が日本は右傾化している,危ないとあおっている面があるのではないでしょうか。実際、日本の国民のほとんどは今の体制を変えたいとは考えていない,経済が活性化し、治安がよく,アメリカとの同盟関係も維持することがいいのだと思っているはずです。そこのところをきちんと説明していくことが必要だと思っています。

━━━最後に若い外交官に向けて一言いただけますか。

 いい仕事を選ばれたと思います。外交官生活はバラエティがありいろいろなことをやらせてもらえました。大変ではありますがやりがいがあります。霞関会会報にもインドネシアとOECD代表部在勤時代の若いときの経験を書きました。もちろんいろいろな国に行きそこですべてを一から始め、短期間で慣れる必要があるのですから楽ではありません。それでも日本国の代表として日本国民を守り,国益の最大化を図るという明確な目的のある崇高な仕事です。是非充実した外交官人生を送ってほしいと思います。子供の教育や老親の介護の問題など大変厳しい面もあります。在外公館課長時代,会計課長時代には微力ではありますが途上国に行く人のことを中心に在外勤務環境の改善,足元を固めることを課題に改善に努めました。外務省はほかの省庁と異なり省益というものが本来あるべきでありません。在外公館はオールジャパンの出先であるという意識をもって仕事をすることが大事であり,外務省はそれをサポートするところでしょう。

 もう一つの課題は外交官研修の強化だと思います。特に昔と異なり外交官の試験が国家公務員試験に一本化されたため,入省後の研修では国際法や国際金融,戦後の外交史等を中心に研修をしっかりやってもらいたいと思います。また自分の経験から日本文化のトップクラスの方々のお話を聞くのはむしろ参事官など一定レベル以上になってからの方が有難みも分かるし、実際の仕事に生かせるのではないかと思います。

━━━ご多忙の中インタビューにご協力いただきありがとうございました。―

 こちらこそ良い機会を頂きありがとうございました。