モディ政権発足後のインド事情 (第1回)

八木毅
駐インド大使 八木 毅

 2014年4月から5月にかけて行われたインド総選挙においてインド人民党(BJP)が歴史的大勝を納め、5月26日にナレンドラ・モディ氏(西部のグジャラート州の州首相を2001年から2014年まで務めた)を首班とする新政権が発足して半年余りが経過した。10年振りの政権交代として内外の大きな注目を集めたモディ政権のこの間の内政、経済、外交を振り返ってみたい。(なお、本稿は筆者の個人的見解である。2015年1月5日脱稿。)

 

【連邦下院総選挙】

 既に旧聞に属することではあるが、5月の総選挙でのインド人民党(BJP)の躍進とコングレス党の惨敗は大方の予想をはるかに上回るものであった。その勝ちっぷり、負けっぷりを列挙してみる。
①BJPは総議席数543のうち単独で過半数の282議席(166議席増)を獲得。協力政党(11の多数を数える)の議席54議席を加えると下院の6割を占める。単一の政党による過半数獲得は30年振り。
②BJPは支持基盤であるインド北部・西部で圧勝。特に最大州のウッタルプラデシュ州(人口2億人)で80議席中71議席を獲得し、また、モディ氏地盤のグジャラート州(26議席)、ラジャスタン州(25議席)、首都ニューデリー(7議席)などでは全議席を独占。
③10年間政権の座にあったコングレス党は党史上最低の44議席(154議席減))に激減。選挙に出馬した閣僚18名のうち、外相、内相を含む15名が落選したほか、下院議長も落選。ウッタルプラデシュ州ではソニア・ガンディー総裁とラフル・ガンディー副総裁が出馬した2選挙区以外は全敗。
 BJPの勝因、コングレス党の敗因はコインの裏表であり、ここ数年の経済の落ち込み、汚職疑惑の続出、これらに伴って蔓延した停滞ムードが反現職に強く働く一方、「経済再生」「ガバナンス強化」を掲げたBJPに追い風となった。何よりも、2013年9月に首相候補に指名されて以降、精力的に全国キャンペーンを展開してきたモディ氏個人に対する人気の高まり(「モディ・ウェーブ」)が大勝の大きな要因であり、対照的にコングレス党の選挙戦を指揮したラフル・ガンディー副総裁は精彩を欠いた。
 このように下院では「一強多弱」の様相であるが、BJPにとって不安な要素が皆無という訳ではない。すなわち、
①上院では、2014年末現在、243議席中、BJPは協力政党を含めても58議席しか有しておらず(コングレス党とその友党が82議席、残りは「その他」勢力)、過半数にはほど遠い。「その他」勢力がすべて反BJPという訳ではなく、案件毎の協力取り付けも可能であるため、厳密な「ねじれ」とは異なるとも言えるが、上院議員は6年任期(2年ごとに3分の1ずつ改選)で、州議会議員による選挙で選出されるため、与党が過半数に達するのは早くても数年はかかるとの見方が強い。
②BJPは北部及び西部で圧勝したが、東部から南部にかけての州(西ベンガル、オディッシャ、タミル・ナドゥなど)は有力地域政党が大きく議席を伸ばし、これら3州の地域政党の議席数合計は下院で約90議席、上院で約30議席に上る。
③得票率ではBJP31%(前回2009年選挙では19%で116議席)、コングレス党20%(同29%で206議席)であり、議席数ほどの大差がある訳ではなく、小選挙区制が今回選挙ではBJPに有利に働いた面が大きい。

 

【内政……ガバナンス・規律の強調】

 人口12億を抱える大国での10年振りの政権交代であり、半年くらいで新政権の評価を云々するのは難しいが、新政権らしさ、モディ首相らしさが顕著に現れているのは、閣僚,国会議員,官僚に対して規律、効率、成果を厳しく求めている点である。BJPが選挙戦において前政権を厳しく批判し,ガバナンスの強化を訴えて勝利したことを踏まえれば当然とも言える。以下にその顕著な例を挙げる。
①「隗より始めよ」ということで、政権発足に当たり閣僚・閣外相の数を大幅に削減した(前政権末の70名から新政権では45名)。ただし、この点については、2014年11月に内閣改造が行なわれ、追加的に21名の新閣僚・閣外相が任命されため、前政権との大きな差違は無くなった。
②政府機関に対し,職場の整理整頓,登庁時間の遵守から決裁の方式,報告時の資料の形式に至るまで細かく指示した。登庁時間遵守は象徴的事例であり、各省庁に順次、生体認証による出退勤記録が導入されつつあるばかりか、それがHPにアップされて、市民が誰でもアクセスできるようになっている。また、「整理整頓」との関連では、2014年10月に開始した「クリーン・インディア」キャンペーンに各省庁も参加を求められ、閣僚や次官がホウキを持って掃除する姿が報じられた。
③BJP所属国会議員に対して議員としての心得、注意事項を示し,議会出席励行,プレスやブローカーとの接触は慎むこと等を求めている。

 

【内政……州議会選挙での連勝とヒンドゥー民族主義の動き】

 新政権は、2014年10月に、政権発足後の最初の州議会選挙となったマハーラーシュトラ州及びハリヤナ州(いずれも大きな人口を有する重要州)で大勝したのをはじめ、その後の州議会選挙(ジャンム・カシミール州、ジャールカンド州)でも躍進し、モディ人気、BJPへの支持が引き続き堅調であることが示された。2015年にも首都デリーや大州のビハール州での選挙が予定されており、その帰趨が注目される。
 さて、モディ氏が若くしてヒンドゥー民族主義を標榜する民族奉仕団(RSS)に加わり、熱心な活動家となったこと、2013年、RSSの強い支持を得てBJP首相候補となったことは周知の事実であり、また、2002年のグジャラート州暴動(イスラム教徒1000人以上が犠牲になったとされる)に際し、州首相として十分な対応をとらなかったとの批判が国内外で根強く残っていたため、早くから、モディ氏が首相になった場合には少数派(特にイスラム教徒)に対して強硬、抑圧的な姿勢を取る可能性が取り沙汰されてきた。実際には、モディ氏は首相就任後も、経済成長・開発とガバナンス強化を最優先課題として推進しており、さらに、モディ首相は、自らの出自(後進カースト出身)にもかかわらずインドの民主主義のおかげで首相になれたことや、すべての貧困層に公共サービスを提供する方針を強調している。また、2014年8月15日の独立記念日のスピーチでの「ヒンズー寺院の建設より、まずは女性用のトイレの整備を進めるべきだ」との趣旨の発言に典型的に見られるように、女性の尊厳重視の発言も繰り返している。したがって、モディ首相自身はヒンドゥー民族主義的言動を控え、政策課題に注力しようとの基本姿勢であると思われる。
 他方、①モディ内閣におけるムスリムの閣僚が1名のみであること(前政権末には3名であった)、②首相、閣僚の公式の会談、スピーチは基本的にヒンドゥー語で行われるようになったこと、③新政権発足後に生じた宗派間対立事件に強い対応を取っていないこと、さらに、2014年11月頃からは、④閣僚やBJP議員の宗派絡みでの問題発言が続いたこと、⑤RSS関連組織がムスリムやキリスト教徒を集団的に改宗させようとする動きがあること(「強制改宗」として問題化)、等をとらえて、RSS等がヒンドゥー主義的主張を顕在化させ、政府への影響力を強めようとしているとの批判もある。

 

【経済面では好材料が増加】

 経済の落ち込み(特に2012年度、13年度の経済成長率が4%台にとどまったこと)が総選挙の帰趨に影響したとされるだけに、経済再生はモディ政権にとっての最優先の政策課題である。新政権が内外の高い期待に応えられているか、経済指標と政策面の措置の両面から見てみよう。まず経済指標については、以下のとおり、新政権発足後、好材料が増しつつあり、国内経済の展望に明るさが戻りつつあるが、一部には未だ弱い動きもみられる。
①GDP  
 2014年度第1四半期(4~6月)の実質GDP成長率は、前年度同期比5.7%となり、5%成長を下回った過去2年間から回復(特に鉱工業・建設業部門の回復が要因)し、第2四半期(7~9月)も同5.3%を記録した。2014年度の見通しは5%半ばから6%程度を予想する声が多い。
②生産
 鉱工業生産指数は、4月にほぼ7ヶ月ぶりにプラス成長に転じ、その後堅調な伸びを示すも、7月(前年同月比0.5%)、8月(同0.5 %)は市場予測を下回り低水準に留まった。9月(同2.5%)はやや持ち直したが、10月には再びマイナスに転じた(同▲4.3%)。製造業の伸び悩みが目立ち、投資活動の再開にはもう少し時間を要するとの見方が多い。
③消費
 自動車販売台数は5月に9ヶ月ぶりのプラス成長を記録し、その後も8月までプラス成長が継続したが、9月、10月は前年同月比微減となり、その後11月に大きく回復した(同9.5%)。
④物価
 インド準備銀行(RBI)の金融引締政策や国際的な原油価格の落ち着き等により、インフレ率は昨年度に比して大幅に下落して推移し、11月に消費者物価4.38%、卸売物価0%を記録した。
⑤金融市場
 株式市場は5月の総選挙前から株価の上昇が継続し、11月末時点で年初比35%高を記録した。また、為替市場も1ドル60ルピー前後で概ね安定的に推移、外貨準備も過去最高に近い水準(輸入の約7ヶ月分)を維持している。

 経済政策の面ではどうか? 2014年7月に発表された予算案において,新政権は前政権時代の財政赤字目標(対GDP比4.1%)を堅持して財政規律に配慮する姿勢を示しつつ,インフラ支出や国防費(特に資本支出)の積増し(ともに約20%増),モディ首相肝いりの施策(高速鉄道、スマート・シティ、ガンジス浄化等)への配慮によって,可能な限り新政権色を打ち出そうとした。予算案発表と同時に,投資(FDI)促進のため,保険及び防衛分野での外資出資比率上限を現行の26%から49%に緩和する方針も示された。他方で、内外ビジネスの期待が高かった統一物品サービス税(GST)導入スケジュール,遡及課税廃止,各種補助金削減の具体策等が明示されなかったことから、「『ビッグバン』と呼べるような思い切った改革が打ち出されていない」との批判、不満も一部にあることは否定できない。
 注目すべきは、重要州であるマハーラーシュトラ州及びハリヤナ州で10月に行われた州議会選挙で大勝する頃から、モディ政権が燃料価格制度の改革など、重要な経済改革に一層本格的に取り組んでいることである。特に長年の懸案であったGSTについては、冬期国会末の12月19日に法案が国会に提出されるまでに漕ぎつけた。保険法改正法案(上述の外資出資比率上限を引き上げるもの)についても、冬期国会中には野党の反対で上院審議を完了できなかったが、国会会期終了直後、政府は大統領令により外資比率引上げを実施することを決定した(次期国会で承認される必要がある)。また、11月の内閣改造ではプラブー鉄道相、パリカール国防相等、実務能力に定評のある閣僚を起用しており、各省庁次官・局長クラスの人事異動により官僚機構への掌握を強めていることと併せて、モディ政権は体制固めも着々と進めつつあるものと考えられる。今後は、GST法案の帰趨に加え、2015年2月に発表される予定の2015年度予算案で更に踏み込んだ政策や措置を導入できるか、といった点が焦点である。

 

【ダイナミックな外交】

 外交面では、2014年5月26日の就任宣誓式にSAARC(南アジア地域協力連合)諸国首脳を招待したのを皮切りに、6月にモディ首相最初の外国訪問としてブータン訪問、8月にインドの首相としては17年ぶりとなる二国間会談のためのネパール訪問を行い(注:2002年にヴァジパイ首相(当時)がSAARC首脳会議のため訪問)、近隣国重視の姿勢を明確に打ち出している。ただし、パキスタンとの関係は、8月下旬に予定されていたパキスタンとの外務次官協議を,在インド・パキスタン高等弁務官がカシミール分離主義勢力との会合を持ったことを理由にしてインド側からキャンセルした後、進展しておらず、11月のネパールでのSAARC首脳会議でも、印パ首脳会談は行われなかった。
 域外との関係では、8月末から9月にかけてモディ首相訪日、習近平国家主席訪印、モディ首相訪米が相次いで行われた。まず、就任後、最初の域外二国間訪問となった訪日では、モディ首相は東京に先立って京都を訪問した。京都での映像は広く報道されたのでご記憶の読者も多いと思われるが、京都、さらには東京でのモディ首相と安倍総理の交流は両首脳の強い個人的きずなを内外に強く印象付けた。9月1日の首脳会談では、政治・安全保障、経済、人的交流、地域情勢やグローバルな課題について幅広く議論が行われ、会談後,両首脳は「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」と題する共同声明に署名した。これによって、これまでの「戦略的グローバル・パートナーシップ」が「特別な」戦略的グローバル・パートナーシップへと強化された。特に経済分野では、①日本の直接投資額及び進出日系企業数を今後5年以内に倍増するという共同で達成すべき目標を設定し、②安倍総理は、官民の取組により今後5年間で、ODAを含む3.5兆円規模の投融資を実現するとの意図を表明し、③これに対しモディ首相は、税制や行政規制、金融規制を含むビジネス環境の更なる改善の決意を表明する、との成果があった。初めての主要国訪問ということで、内外の関心も非常に高いものがあったが、内容、広報の双方で大きな成功を収めた訪問と言える。
 中国は、モディ政権発足直後に王毅外相を習近平国家主席特使として派遣、次いでアンサリ副大統領を平和共存五原則60周年記念式典に招くなど積極的に新政権に働きかけ、9月半ばに習近平国家主席の訪印が実現した。訪印はモディ首相の地元であるグジャラート州から開始され、習近平夫妻とモディ首相がサバルマティ河岸(モディ首相が州首相時代に整備された)を散歩する姿が大々的に報道されて、友好ムードが演出された。デリーでの首脳会談では、経済面で①今後5年間で200億ドルの中国からインドへの投資の意図表明(ただし、日本の3.5兆円との差を指摘する報道も多かった)、②中国による2つの州での工業団地設立の意図表明、③既存鉄道の準高速化や高速鉄道プロジェクトに関する協力への検討、が打ち出され、一定の成果があったとされる。他方で、習主席訪印の直前に発生したジャンム・カシミール州での中国軍侵入事件がインド国内で強い反応を惹起し、首脳会談でもモディ首相から習国家主席に対し深刻な懸念を表明した模様であり、全体としては、この問題が習主席訪印に大きな影を落とすこととなった。
 米国との関係では、米国が2001年のグジャラート暴動との関連でモディ州首相に査証を発給していなかったことや、2013年12月に在ニューヨーク印総領事館女性館員が逮捕・身体検査された事件を巡る軋轢などから、新政権と米国との関係が関心を集めていたが、インド総選挙の結果が明らかになった直後にオバマ大統領がモディ氏に電話で祝意を伝えるとともに訪米を招請し、モディ氏もこれに応じる意向を示したところから、一気に関係改善ムードが高まり、ケリー国務長官(7~8月)、ヘーゲル国防長官(8月)の訪印を経て、9月に、一連の主要国外交の締めくくりとしてモディ首相の米国訪問が実現した。訪問の結果、両国間の貿易(現在約1000億ドル)の5倍増の目標が合意され、また、米国からの対印投資400億ドルの見通しが示される等の成果があったが、何よりも、両首脳間の個人的関係が深められ、両国間の雰囲気が大きく改善したことが最大の成果であったと言えよう。また、モディ首相訪米時の共同声明に、「地域全体、特に南シナ海における海洋の領有権問題に関する緊張の高まりについて懸念を表明し、海洋の安全を守り、航行や飛行の自由を確実にすることの重要性を確認した。」との今までより踏み込んだ表現が盛り込まれたことも注目される。その後、11月には、2015年1月26日のインドの共和国記念日にオバマ大統領が主賓として出席することが発表され、今後、関係強化はさらに勢いを増すと見込まれている。
 この他、ロシアのプーチン大統領が2014年12月に訪印し、欧州やASEANの主要国からも主要閣僚が続々と訪印していることと併せ,新政権は、最大の政策課題である「開発」に沿って、貿易投資等の実利志向のダイナミックな外交を展開しつつあると言える。ただし、中国、パキスタン等との関係に見られるように、国境問題、テロ問題等の安全保障面では強硬姿勢も辞さないことには留意が必要であろう。

 

【結び…2015年はモディ政権の実行力が問われる年】

 冒頭にも述べたとおり、大国インドでの10年振りの政権交替であり、半年くらいで新政権の評価を云々するのは難しく、今しばらく時間をかけて見ていく必要がある。特に経済面を中心に、政権発足前からの期待値が非常に高いだけになおさらである。これまでのところ全体としては、新政権が政治的勢いを維持し、徐々に改革政策を加速させているとの印象が強い。2015年は、モディ政権が、高い期待に応えることができるか、中でも、これまでに表明した約束、方針、キャンペーン等々を具体的な政策として実行(deliver)していくことができるか、が問われる年となろう。