駐日女性大使インタビューシリーズ 駐日タンザニア Ms.サロメ=タダウス=シジャオナ大使に聞く


第4回は駐日タンザニア大使です。

今回は既に離任されたコロンビア大使の後を引き継ぎ駐日女性大使グループの幹事役を引き受けているシジャオナ・タンザニア大使です。シジャオナ大使は、開発経済、地域行政改革推進の第一人者として実績を重ね、5年前に駐日大使に任命され、翌年着任しました。インタビューは世田谷区上用賀の大使公邸で行われましたが、当初1時間の予定を大幅に超え大使のゆったりとした人柄に触れることができました。インタビュー終了に際してシジャオナ大使に益々の活躍を祈念するとともに、KWAとの交流・協力関係の継続を確認いたしました。

━━━大使は略歴を拝見しますと開発経済の分野で実績を積まれていますが、それが駐日大使任命へとどう繋がっていたのでしょうか。

大使:ダルエスサラーム大学卒業後、ダルエスサラーム地方政府の経済計画局で地方の開発プロジェクトの立案を担当していました。具体的には村や集落、地域における健康や教育サービス、水道などの公共サービス、地域のインフラなどの企画立案です。更に農業開発計画の立案や、協同組合組織を地域社会に導入する計画なども立案しました。その後首相府に異動し、最初は地域行政・地方政府担当の副事務次官、1年後には事務次官として全国の地方行政に関する諸政策を首相に諮問していましたが、地方行政改革、すなわち旧来の地方行政から草の根への分権という改革が私の仕事となりました。地方行政改革には地方のあらゆるレベルでのキャパシティビルディングが必要となります。とりわけ地方行政の見直し、法改正では大変な作業が必要となり、特に議会が草の根層の決定に優先性を認めるかどうかは地方行政改革の立ち上がりを左右するものなので、議会対策には本当に多くの労力を注ぎました。その後私は国土・住宅・定住振興省の事務次官に就任し新たな任務につきました。丁度新土地法が成立した時で、順調な法律の施行のためになすべきことは山積していました。例えば新しい法律を国民に理解させるための諸策や適正な運用にかかる対策を大臣に諮問することが私の主な仕事となりました。タンザニアの土地法では国土は基本的にはすべて大統領の管理下にあり、個人の所有権は期間を限定して,例えば33年間、66年間、99年間に限定してその資格が認められています。ただし地方の村落では伝統的に村人の所有権がそのまま認められています。新土地法では土地に価値を認める概念が初めて導入された他、土地の所有権が明確化され、女性の所有権も認められました。以前は土地の所有権があまり意識されないまま例えば家族の一員が利用したり相続されていましたが、新土地法発効後は、土地に商品価値があることを知り所有権を主張したり、土地を売買して利益を得ようとする傾向が出てきているのも事実です。いろいろな問題に対する対策を大臣に諮問するもの私の仕事でした。

━━━最近のタンザニア経済情勢を見ますと順調な成長を続けていますが、独立当初の社会主義経済から方向転換した今日の経済情勢をどう評価し、これからのタンザニアの経済発展をどう予測しますか。

大使:ご存知の通り独立の父ニエレレ大統領は社会主義者でした。彼にとってタンザニアの国民はすべて平等であり、国民一人一人と共に歩むことを希望しました。政府は国民の社会的要求にこたえるための経済を目指しました。そして全ての子供に教育の道を開きました。貧しい農家に生まれた私もその恩恵を受けた一人です。父は遠い都市部にある上級学校に私を通わせるほどの資力はありませんでしたが、地方出身とか貧富のいかんにかかわらず能力があれば教育を受けられるという政策のお陰で私は試験に合格し進学することができました。旅費、授業料などほとんどすべて政府から支給され、父から貰ったのはお小遣い程度でした。この政策は大変重要で今日のタンザニアの土台を作ることになりました。もう一つのニエレレ大統領の偉大な政策は共通語スワヒリ語をタンザニアに導入したことです。独立したタンザニアには120もの異なった部族が存在していましたが大統領はまず共通語スワヒリ語を導入しすべての人に共通な発展の土台を敷きました。学校ではスワヒリ語が義務付けられすべての若者に平等な教育の機会が与えられました。私は高校や高卒後の義務的軍事研修をとおして国中の異なった部落から集まった若者と一緒に学び,訓練を経験しタンザニア人としての一体感を感じることができました。更に大統領は広大な国土に分散していた小さな村落を指定村落にまとめ村落間の連携を図りながら効率よく学校、病院、水道などの公共サービスの提供を実現するvillagelizationプログラムを実施しました。今では10,000ほどの村落でほとんどすべてのタンザニア人が公共サービスの恩恵を受けていてほとんどの人が教育を受けています。これらは今日のタンザニア発展の基礎となっているのです。タンザニアは1985年に社会主義経済から市場経済に移行し数々の政策がとられていますが、すべてニエレレ大統領が構築したこの土台の上に成り立っているものです。例えばこれまで政府が100%やって来た教育や健康管理サービスに民間が加わり担い手が増えていくわけで,他方政府の直接投資が徐々に引き揚げられ,政府は政策や対策などに集中していくわけです。

━━━タンザニアの発展の中で女性の参画も積極的に進められてきたのですね。

大使:お話してきたようにニエレレ大統領の信念の一つに‘Sense of Unity’ があります。部族を超え一つの国となり,タンザニアという一つのアイデンティティに融合し,言葉はスワヒリ語,そしてスワヒリ語による一つの文化を目指すことです。そしてもう一つは国の紋章に象徴されているようにタンザニアはアダム(男)とイブ(女)によって創られる国という信念です。タンザニアも昔は男性優位社会でしたが大統領は国の発展に女性の参画が欠かせないことを訴えました。独立当初から女性問題省を設立し,キャパシティビルディングなど諸政策を実施し,更に議会での女性枠導入は早く女性の政策決定参画を進めています。私も地方行政改革の一環として地方議会での女性枠25%法案成立に尽くしました。
タンザニア女性は伝統的に恥ずかしがりやで人前で話さないことを美徳として育てられましたので意識を変え能力開発を進めることは政府にとり大変な作業でした。そこで先ず地域行政の始まりの隣組から女性参加をスタートし,次に村議会の女性枠5%,そして地区議会15%,地域議会最低25%と段階的に女性の意思決定過程への参画を進めなければなりませんでした。今年12月地方選挙がありますが,初めて当選した女性議員の能力開発は女性問題省の仕事です。多くの場合高等教育を受けていない女性議員がいますので初めの1年は教育の連続ですがそのようにして女性議員は成長していきます。

━━━日本の女性の社会参画状況と最近の現政権の関与についてどう考えられますか。

大使:日本とタンザニアの女性の置かれている状態はだいぶ異なっていますので単純に比較することはできませんが,例えば日本では子供の世話は一人母親の責任ですが,タンザニアでは社会全体の責任と考えられています。安倍政権の女性政策ももしそれが優先課題として取り組まれるのであれば,先ず失敗はないと考えますが,むしろ多くの優先課題がある中で安倍政権がどの程度真剣に取り組まれるかということではないでしょうか。そして私が不思議に思うのは日本の女性自身の動きです。私の国ではお話しした通り政府から地域までの女性参画の制度ができています。それでもなお議会の女性勢力グループやNGOなど女性の動きは活発で,政府もおちおちしていられません。でも日本は事情が違うようです。以前大阪のイベントで開発における女性の役割というテーマの会議に招待されタンザニアのことを紹介したことがあります。その時の反応は,どんなに女性が活発に活動していても国が貧しい,だから学ぶものはないということです。確かにタンザニアは貧しい国ですが,歴史を見てください,外国による植民地時代を経て独立後何にもないところから政府は建国を始めなければならなかった,だからいろいろな問題に直面しました。でもわずか50年で女性の社会参画を実現しているのです。少なくとも貧しい農家の娘だった私に教育を受ける機会を与えてくれたのです。日本では女性の閣僚が5人ですがタンザニアには16人います。日本の女性はチャレンジしないのでしょうか,おそらく基本的には生活費は男性が稼ぎ女性が家を維持するという体制があるからなのかもしれません。
WAW 2014には初日のパネルディスカッションを聴講し,ブレア元首相夫人,安倍首相夫人などの政治家の配偶者としての経験など興味深いディスカッションでしたし,女性の地位向上や役割の変革に対する安倍総理の真剣で強い決意を感じました。その決意がどのような具体的結果をもたらすかを見極めるには時間が必要だと思います。

勿論それには私たち女性たちも積極的に働き掛けることが大事ですね。(完)