帰国大使インタビュー:小島誠二前駐タイ大使に聞く
副理事長 明石美代子
霞関会では帰国された大使にお話を伺うインタビュー・コーナーを設け会員の皆様にお届けすることになりました。第一回『帰国大使インタビュー』にはタイ駐劄日本国大使として2年前に帰国され,関西担当大使・政府代表を務めた後,今年3月退官された小島誠二大使をお迎えして最近のタイ情勢や4月から始められた大学での講義などについてお話を伺いました。(注:インタビュアーの発言をカッコ内に収めました。)
━━━最近まで駐劄されていたタイについてお話しいただきたいのですが,丁度赴任されたころは政治的混乱の真っただ中ではなかったのでしょうか。
小島大使:タイには2010年10月~2012年10月までの2年間駐在しました。途中で総選挙があり,前半はアピシットさんの民主党を中心とする連立政権とおつき合いをし,11年7月の総選挙後インラックさんのタイ貢献党を中心とする連立政権の立ち上がりを見届けました。
08年12月に成立したアピシット政権が選挙によらないで成立した政権であると批判して,タクシン派の市民団体が始めたデモが2010年3月~5月の大規模な動乱と武力衝突により終結した後に赴任したのですが,対立の熱気は依然冷めやらぬという雰囲気であったように覚えています。ただ、この総選挙は平穏裡に実施され,その結果タイ貢献党が圧倒的な勝利を収めました。そしてまもなく起こったのが大洪水でした。この洪水は1942年以来の70年ぶりの大洪水と言われました。
日本で経験する洪水と異なり,大変ゆっくりと一日何キロ,最終段階では1キロにも達しないというスピードで長期にわたってじわじわと中部平原からバンコクに迫ってくる洪水でした。バンコクの中心まで来ることはありませんでしたが溺死や感電死などで800名以上の犠牲者が出ており,被災者は約950万人とされています。世銀などの調査によれば、被害額および損失額はGDPの約14%に上りました。場所によっては水深が2~3メートルにも及び,7つの工業団地で450社ぐらいの日系企業の工場が水に浸かりました。その結果日本のサプライチェーンも寸断されることになりました。
この頃はまだ東日本大震災への心温まるお見舞いをいただいていたのですが、この洪水の後は日本からお見舞いを差し上げるということになりました。日本政府も緊急無償資金協力や技術協力などいろいろな枠組みを使って支援を行いました。ユニークだったのは高性能ポンプ車10台と専門家からなる国際緊急援助隊が派遣されたことで,工業団地,大学,住宅地などで排水のお手伝いをして,大変感謝され,このことが連日報道されました。その後工業団地では輪重のように堤防を高くするなどの洪水対策が実施され,日本政府も道路のかさ上げや水門の修復などのお手伝いをしました。ただそれはあくまで短期的な対策であって中長期的な総合洪水対策が必要であり、タイ政府も早速計画を取りまとめましたが,残念ながら日本企業は計画に参加しませんでした。やはり洪水対策というのは基本的にロー・テクなのでしょう。それから、施工する側がリスクをとらないと参加できないような契約内容であったようです。中国や韓国の企業と違って日本企業はそのようなリスクをとれないと聞きました。この計画も、今度のクーデタで実施見合わせとなり振り出しに戻ってしまいました。
━━━洪水被害を受けて日本企業の撤退もあったのでしょうか。
小島大使:ところがほとんどそのような動きはなく,むしろ洪水直後は復興の必要もあって日本企業の投資は増えていました。ちなみに外国投資の約6割が日本からの投資です。
そのことは、例えばバンコクの日本人学校の生徒数にも表れているようで、当時は2400人くらいであったものが現在では3000人を超えています。在留届ベースでの在留邦人数5万6000人ぐらいでしたが今ではもっと増えていると思います。実際は10万人を超えているのではないかとも言われています。在留邦人の数が多いだけに洪水の際の日本人の安否確認には大変な苦労がありました。
JETROの調査では、タイは有望投資先として中国に続く第二位にランクされています。何と言っても魅力はインフラが整備され,バンコクを中心に一大工業クラスターができているという点ではないでしょうか。それに日本人はタイのことが本当に好きで,このことは日本企業の進出と無関係ではないような気がします。インドとパキスタンに在勤した後にタイに行ってみて,このことを実感しました。
━━━5月にクーデタが起きた後のタイ世論の反応は穏やかに見えましたが民政復帰のペースは順調なのでしょうか。
小島大使:民政復帰に至る3段階のロードマップが示され,それによれば現在は第2段階に至っていることになります。ただ,8月末に成立したプラユット暫定政権の掲げる11分野の改革のいずれもが既得権益との関係で困難を伴うことは必至です。現在,国家改革会議で250人の有識者が議論しています。国家改革会議は憲法起草委員の選出にも関与しており、起草委員会の草案は明年8月までに同会議で採決が行われることになっています。来年中には新憲法のもとで総選挙をして民政復帰を図る予定ですが,すでに遅れの可能性が指摘されています。新憲法の下での早期総選挙の実施と国民和解の実現を期待したいと思います。
途上国では多くの場合政府の力が強く,しかも中央の力がものをいうわけですが,タイにおいても同様で,中央政府の力が強く,知事も任命制ですので強い中央政府を取る,取り返すということに物凄いエネルギーが使われてしまうわけです。しかも,19世紀Cの前半現在のタイの地には100万人程度しか人が住んでおらず、タイはその後各地から人が集まってきて作られた国ということになります。タイ研究の泰斗である大阪外大の赤木攻名誉教授の言葉を借りれば,「多様な背景を持つ民族の集合体で共通の祖先をもたないため、国民同士を結び付ける動機が弱い」ということになります。今の状況で言うと東北部,北部,バンコク,南部の人たちの民族構成,職業構成,主要産業,支持政党,利害関心,所得水準も異なるので一つにまとまるのが難しく,現在の政情の混乱の源はそこにあるのではないかと思います。そこを束ねてこられたのが今年87歳におなりになる国王陛下ですが,ここまで国内対立が先鋭化した状況で自らのお考えを明らかにすることは賢明ではないとお考えになっておられるのではないでしょうか。経済発展を含む近代化の道がタイの一体性のための新たな共通体験になることを期待したいと思いますが、そのためには、経済発展の利益が国民全般に広くいきわたることが大切でしょう。
2001年タクシンという歴史的に傑出した政治家(この点については見方が分かれます)による政権が生まれ,あまりにもが強大な権勢をふるったために反発し批判する勢力が生まれました。同元首相は現在亡命生活を送っているのですが,今回の混乱の直接の発端はそのタクシン元首相の帰国を可能とする大赦法案を議会下院が昨年11月に通したことにあります。
ただ私が見ていると政界も経済界もプレーヤーは決まっている。すなわちエスタブリッシュメント,東北や北部タイの貧困層,中部の富裕農民層,バンコクの「薄い」中間層、南部住民,二つに分かれた経済界が結局その都度組み合わせを変えながら自らの支持する政権を作りだしているという印象を持っています。選挙をすればタクシン派が必ず勝つので,選挙以外のいろいろな手段,例えば司法判断とかクーデタとかいった政権を変えるさまざまなモダリティーが半ば確立されていて,立憲君主制の枠内でそれぞれの勢力グループが政権をぐるぐる持ちまわっているという感じがします。政治は混乱するし,国政は確かに停滞するわけですが,こういう言い方は少し語弊があるかもしれませんが,それぞれの勢力グループが数年ごとの政権交代を受け入れることによって政治が動いていっているとも言えるのではないかと思います。
タクシン元首相のことに戻りますが、同首相は2006年のクーデタまでの5年間「国家は企業,首相は国のCEO」というビジネス感覚で国政に取り組みタイの近代化に貢献したと言えます。いろいろ問題や批判はありましたが輸出促進,大規模公共事業,社会保障制度改革,麻薬撲滅などの諸政策を大胆に実施して支持を集めたわけです。
━━━クーデタに対する日本の反応は欧米諸国の反応とは少し違っていますね。
小島大使:クーデタについて欧米やオーストラリアの反応は大変厳しいものでした。日本も民主主義を含む普遍的価値を外交の基軸に据えていることに変わりはありませんが,タイのクーデタについてどのような立ち位置で普遍的価値を主張していくか,タイとは特別の関係にあるだけに,距離の取り方が難しいと思います。クーデタで多数の犠牲者が出たとか,根本的に体制が変わってしまったとか,国民の意思を全く無視する体制になったとかであれば状況は全く違うと思いますが,今回はむしろ中長期的にタイとの関係をどうしていくか、実務的な関係をどう維持していくかを判断しながら立ち位置を考えるということになり、日本外交の試金石にもなると思います。ダブルスタンダードと取られないよう舵取りをすることはなかなか難しいのですが,安倍政権はそこをうまくされているのではないでしょうか。安倍総理はプラユット首相とはすでに2回会談され,早期民政復帰を促しつつインフラ整備への日本の関心を示し,引き続き対話と協力を続けていきたい旨述べられました。残念ながら国内であまり報道されていないのですが大いに評価されるべきだと思います。
━━━日本企業はクーデタの影響を受けてきたのでしょうか。
小島大使:経済成長が減速したということはありますが、日系企業への直接的な影響は少なかったと思います。むしろ,政治的混乱が収束したことに対する安堵感があったのではないでしょうか。そもそもタイの工業化,近代化に他でもない日本が大きな貢献をしたことを忘れてはなりません。日本政府がODAを通じてインフラ整備,人材育成などに協力し,民間企業が貿易と直接投資によって貢献するという役割分担のようなものがありました。もっとも最近タイ側からインフラ整備の資金は国内で調達できるから日本からのODAは要らないと言ってきているようです。私自身も、インラック政権の財務大臣にそう言われました。ただ、いわゆるライン・ミニストリーの意見は違うかもしれません。私自身はインフラ整備には多額の資金を必要とするわけですから、多様な資金を活用したらよいと思っています。
鉄道整備計画では中国に頼む,支払はコメとゴムで決済するというようなアイディアも中国側に示されているようです。その背景にはインラック政権の時にコメ担保融資制度で高い価格でコメを買い込んでしまってその始末に困っていることがあります。私としては金利がこれだけ低い日本の借款を都市鉄道や高速鉄道などのインフラ整備に使わない手はないと思っています。仮にODAを使わなくても日本企業や技術を大いに活用すれば双方にとって得るものは大きいと思います。国土交通省も鉄道に関する実務者レベルの協議を熱心に続けています。これがうまく進むといいですが、強敵は中国です。今後路線,目的,経済性,スピード,信号システム,インフラ建設主体、運営主体,資金源などいろいろな点を詰めていかなければなりません。インラックさんは実際にJR九州を見に行っています。私も同行しましたが,タイが日本の方式に関心があることは確かです。日本の技術が生かされることを期待しています。
━━━先ほどの鉄道整備計画の話でも中国への期待が強いとの印象も受けますがそうなのでしょうか。
小島大使:そのとおりで、中タイ間では鉄道整備計画が具体化しつつあります。中タイ関係について申し上げれば、タイの外交はよく「バンブー・ディプロマシー」、「真中を歩く外交」と言われますが,タクシン時代や最近の外交が中国に偏っていると見えることがあります。しかしタイ自身はバランスをとってやっていると考えているようです。2015年までASEANにおける対中調整国を務めています。だからまさに調整国として南シナ海のCode of Conductをきちんと完成させてもらいたいところですが,タイにとってかじ取りの難しいと思われます。実はタイは米国と条約上の同盟国で,私が在勤中にはコブラ・ゴールドという多国間共同訓練もやっていましたが,それ以外に特別な関係を感じさせるような出来事はなかったように記憶します。むしろ中国との関係のほうがずっと目立っていたように思います。その中心はやはりインフラ整備を含む経済的な関係です。
━━━ところでロシアとの関係はどうですか。
小島大使:ロシアはタイにとって観光面で重要でロシア人は外国人観光客全体の7%を占めています(日本は6%)。プーケットやパタヤには沢山のロシア人観光客が来ていてパタヤではロシア料理店,ロシア文字が目につきます。ただロシアは地政学的にも貿易面でもあまり表立った存在ではなく,むしろ貿易面,投資面ではEUとの関係が緊密であり,また,中東は石油や出稼ぎの関係で近い存在と考えられています。
━━━タイのエネルギー源の対外依存度はどの程度でしょうか
小島大使:タイでは発電の約70%を天然ガスに頼っていますが、自国で生産できるのは消費の約70%で、足りない分をミャンマーからの輸入で補っています。それもあって原子力導入の話は動いていません。火力発電が中心ですが石炭火力は「環境問題」があって世論は否定的です。日本の企業も火力発電事業を行っています。水力発電は5%程度を占めるにすぎません。洪水対策として新たなダムの建設計画がありますが住民の反対で進んでいません。経済成長を続けるために再生エネルギーにもっと注力することはもちろんですが、いずれ原子力エネルギーも日程に上ってくるのではないでしょうか。
━━━現在の経済状況をどう評価されますか
小島大使:80年代には10%を超える成長を達成していましたが,ある程度発展してくると(2013年の一人当たりGDPは5674ドル),低コスト優位路線の行き詰まり,いわゆる中所得国の罠に直面することになります。ただ、こう言ってしまうと,例えばマレーシアとタイさらにはベトナムを一緒に論じてしまい、それぞれの国の課題が見えにくくなります。最近の経済成長率について申し上げれば、今年はクーデタもあったので1%程度,洪水の年もほとんどゼロ成長,その翌年はその反動で6.5%,昨年が3.9%となっており,低成長率のハードルをどうやって超えるかが課題となっています。
統計を見てみると今年は輸出がほとんど伸びていません。輸出品目で従来強いはずの自動車の伸びがよくなく電子製品の落ち込みが響いています。来年の経済成長は3.5%~4.5%と5%を切ると予測されていますが,5%以下でもそれを達成するためには経済対策を含めいろいろなことをやらなければならないでしょう。また日本と同じで急速な少子高齢化,高福祉負担という深刻な問題にも直面しています。実際に出生率は全国平均で1.47,バンコクでは0.88となっています。失業率は0.9%でほとんど完全雇用状態,足りない労働力は外国人労働者の雇用で不足を補っているのが現状です。タイにいるミャンマー人労働者は400万人とも言われます。タイでは人口ボーナス期は終わろうとしています。
━━━更なる経済成長にはどのようなことが求められるのでしょうか。
小島大使:例えば付加価値の高い産業への転換,人材育成,インフラの高度化が中長期的課題と言われています。人材について言えば、確かにタイ人労働者は優秀です。そのことを示すエピソードをお話ししますと、洪水の時ニコンは被災したアユタヤ工場の労働者を仙台の工場に呼んでカメラを組み立てていました。タイには手先が器用で優秀な若い女性の労働力があります。ただ,今後タイに求められるのは単に新技術に適応するスキルを持った労働者ではなく,新しい製品・工程を創り出す労働者であると言われます。
健全な政策で農業をさらに強化する余地があるでしょう。コメ担保融資制度のような政策では農民は潤っても輸出ができません。コメについてはベトナム,カンボジアやインドも輸出競争力をつけてきています。コメの生産性向上やコメの流通システムの近代化に可能性があるように思います。ICT産業にも、もっと力を入れるべきでしょう。イノベーションの基礎となる研究開発にもっと資金を投入すべきです。日本の民間企業にとって、タイには研究開発を行うインフラが整っているのではないでしょうか。
他に注目すべきは、「タイらしさ」を活かしたサービス産業であり,タイの国内資源を活用した製品開発であると思います。たとえば、メディカル・ツーリストが年間180万人ほどタイを訪問しています。廉価で徹底した医療サービスを提供しています。病院内には国別のデスクを設置したり、一流レストランを誘致したりしています。私の経験ですが歯科治療でも時間をかけた丁寧なサービスが可能なようです。タイの農産品を使用した加工食品、天然ゴム製品なども有望です。このような経済成長を支える政策とともに社会保障制度の充実も大切です。この分野では従来からJICAを通じた協力が進められています。
━━━日本にもタイ経済の競争力を高めるようなビジネスチャンスがありますか。
小島大使:大いにあると思います。日本の銀行の進出やセブンイレブン,ローソンなどのコンビニの進出で,タイの銀行部門や小売業の近代化が実現しつつあります。損保や生保の分野でもチャンスは十分あると思います。
タイにはおそらく2000軒以上の日本料理店が展開していると思われますが農産物の面での両国間の取引が進んでくるのではないでしょうか。例えばメロンやイチゴなどのように高価な日本の果物がタイに輸入されたり,逆にタイの農産物が日本に輸出されたりしてどんどん交流が進むのではないでしょうか。最近はタイ産のワインなどが日本に輸出されたりもしているそうです。タイ人の実業家が本場フランスのワイン農園を買い上げたりしているとも聞きます。日本と同じようにタイでも嗜好はどんどん高級化しています。そのスピードははるかに速く凝縮されています。
またタイ経済の競争力を高めるチャンスが2015年のASEAN経済共同体設立による市場の広がりにあります。そのためにタイ政府は道路や鉄道を含めた東西回路,南北回路,南部東西回廊を整備する計画を推進しています。これはASEANコネクティビティの一環であり,これまでにも長い年月をかけてやってきていますがハード面とともにソフト面でのコネクティビティ向上,国境での手続きの簡略化・迅速化などを進め一挙に通れるようにすることが求められます。私自身も多くのタイ国境に行ってみましたが、いつもトラックの長い列を目にしました。
共同体設立のためにはASEAN関係国間の格差(6+4の格差)をどう克服するかも大きな課題です。なかでも日本にとってミャンマーの発展が重要です。そのため、日本は単独で,あるいはタイと共同で協力を進めるべきでしょう。現在ヤンゴンの南にあるティラワ港に工業団地が整備されつつありますが,それとは別にタイとミャンマーとの間には、ダウェイ港という深海港を建設し、その周辺に工業地帯を配置するという大構想があります。この構想が進むとインド洋とベトナムが繋がることになります。タイもかつて日本と協力してレムチャバン港を中心とする東部臨海工業地帯を建設した経験があり,ダウェイ開発プロジェクトでも日本の協力に期待しています。
━━━外から見ているとタイはのんびりと平穏な暮らしをしているように見えますが。
小島大使:確かに田舎を旅行するとのんびりとした雰囲気が伝わりますが,家族の働き手がバンコクに出稼ぎに出ている場合が多いです。統計上出稼ぎ人口が農業人口に入っているのかどうかわかりませんが,いずれにしても彼らが都会に定住し熟練労働者になれば、一層の経済成長につながると思います。タイ人とイギリス人の学者夫妻によればタイには昔から「稲作フロンティア」、「高地畑作フロンティア」、「都市フロンティア」などのいろいろなフロンティアがあり発展してきたそうです。最後の経済フロンティアも終わりつつあるとすれば,次のフロンティアを模索しなければなりません。新しいフロンティアはASEAN経済共同体かもしれませんが,厳しい国際競争社会に直面していることはバンコクの人々は認識していると思われます。農産物や果物が豊富なタイでは昔から餓死者が出るというようなことはなかったと承知していますが、グローバル化された現代ではなかなかのんびりとはしていられません。
━━━最近のタイの若者の夢や将来の目標はどんなものでしょうか。
小島大使:最近は働く女性がどんどん増え,結婚年齢が高くなっているという印象を受けます。そのために出生率が下がっているともいえます。何が夢かと言うと難しいですね。高い学歴を身に着ける,留学する,企業で働いてトップマネージメントを目指す,高いレベルのサービスを提供する企業に就職する,日本企業を含め海外企業に就職する,といったことが考えられ,ますますチャンスが広がっているように思います。企業に勤めながらもチャンスをうかがって起業する人が増えれば社会に活力が生まれます。タイの若者にもそういう前に進む人が増えることを期待します。
留学について言えば、日本にも2000人程度の留学生が来ていますが,アメリカ,オーストラリア,フィリピンへなどの留学が多いようです。若い人の就職先としては製造業,銀行,IT関連のサービス分野に人気があるようです。
━━━国際機関におけるタイの存在感はどうですか。
小島大使:タイはかつてチャーチャーイ政権が「自主外交」を進め,アナン政権がAFTA構想を提案しました。タクシン首相は、FTA交渉を始め,アジア協力対話(ACD)を推進しました。最近は,国内の政治状況がこのような国際的なイニシアティブをとることを難しくさせているのかもしれません。ただ,国際機関ではタイ一国というより,ASEANとして行動しているのではないでしょうか。
タイ外務省を訪問した際,アポイントなどを待つ間,若手の外交官と話す機会がたびたびありましたが,実に優秀な人たちという印象を受けました。今も続けられているかどうか知りませんが,外務省が若手,例えば高校生を海外に留学させる制度があります。タイ外務省が若手の訓練を重視していることが窺われます。
国際機関で活躍したタイ人としてはASEAN事務局長を務めたスリンさんやUNCTAD事務局長であったスパチャイさんなどがおられますが,それほど多くないように思います。私のADBでの経験でも,タイ人職員はあまり目立っていなかったような気がします。国際機関にどんどん進出して活躍しているフィリピン人,シンガポール人,マレーシア人などとどこが違うかと言うと母国が植民地化されたことがないということではないでしょうか。日本に似ています。日本人と同じように外国語,特に英語をマスターすることが課題です。タイ語の特殊性がタイの国際化を送らせているのかもしれませんが他方タイの辺境な田舎にも外国人が住み着いていることも事実です。また,混血の歌手や映画スターが活躍しているので開かれた社会とも言えます。
━━━タイの人々にとってあこがれの国はやはり日本でしょうか。
小島大使:そのように思います。そのことはタイからの観光客の数に表れています。タイからの観光客数は昨年以来目立って増加しており,年間約45万人に達しています。新たな措置があこがれの国日本をいっそう近い存在にしたのでしょう。アニメや漫画は大人気です。国際漫画賞を受賞するタイ人漫画家も多いと思います。ただ、かつては日本の歌謡曲がタイ人歌手に歌われることがよくありましたが,最近では日本の音楽,ポップスや歌謡曲よりK(韓国)ポップに人気があります。それは売り込みの仕方の違いにもよると思います。Kポップの歌手やグループはよく来ていますし,グループ・メンバーにタイ系の若者を入れたりしていますが,Jポップの歌手やグループはほとんどタイに来ていません。AKB48でもタイにくれば大分違うと思います。Jリーグの試合は衛星放送されているようで,元Jリーガーが教えたりしています。タイでもサッカーの「プレミア・リーグ」があり人気がありますので,その点でも日本への期待があるのではないでしょうか。
第二次大戦中の自由タイ運動をどう評価するかといった点はありますが、日本にとってタイには「歴史」の解釈が政治問題化するようなことがないのでその点でも居心地のよい国ではないでしょうか。歴史問題に関して日本を支持すると公言することはなくても,日本の立場を受け入れる素地があるのできちんと丁寧に対応していくことが大切でしょう。この問題では,何かあればきちんと反論することと,漢方薬的に日本の良さ,日本の価値,日本人の日々の暮らしぶりや考え方を理解してもらうという二段構えでバランスよくやっていくことが大事ではないでしょうか。
「ジャパンハウス」などを作るとともに,そこで売り出す魅力的な「商品」を開発することも同時に進めていかなければなりません。つまり日本のソフトパワーの源泉となるようなものを作り出し,育てていかなければなりません。アニメや食文化もそうでしょうし,はやぶさ2などの科学技術もそうでしょう。ODAもその一つで予算を増やさなければいけませんが消費税引き上げ時期の延期でどういう影響が出るのか少し心配です。ちなみに日本のODAは一人当たりでノルウェーの20分の1,グロス(総額)で言えば米国に次いで2番目ですが,ネット(純額)ではドイツ,イギリスより少ないのが現状です。
━━━最後に,今大学で教えていらっしゃるとのこと,お話しいただけますか。
同志社大学で週1回金曜日,大学院と学部でそれぞれ1コマずつ,国際関係論を教えています。丁度2学期目で様子も分かってきましたが,学生は抽象的理論から学んでいるようで,外務省はどのような理論に基づいて外交活動を行っているのかなどと考えてみたこともないようなことを聞かれました。そのために随分本も読みましたが自分がしてきたことに理論的説明を見つけ出し納得することもありましたが,実務からかけ離れた議論がなされていると感じることもありました。理論と実務をどのように関連付けるかを考えながら授業を進めていますが、理論ばかりでは元外交官が教える意味はありませんし,学生も飽きてしまうのではないかと思い,実務にできるだけ触れるようにしています。具体的には、これまでに携わったODA,ADB,ASEAN,ARF, APEC,南アジア情勢などをエピソードも交えて話しています。
ODAについては,学生の読む本が限られ,固定観念にとらわれているように思います。実際のプロジェクトがどのように調査され,検討され,実施されているのかという点から話をすると理解が進むようで,腐敗や不正などを防ぐために実施機関がいかに厳格で強固な制度を構築し実施しているのかを具体的に説明していくと,大変よくわかるという反応を得ます。
最近話題になっているアジアインフラ投資銀行AIIBについて質問があった際には,世銀などの資本の構造を説明した上で,仮に同じような制度がとられ,資本金として報道されている1000億ドルが「請求払い資本」を含むものとした場合どの程度のオペレーションが可能となるのか,実はたいしたことはないのではないか,日本企業は調達先として排除される可能性があるのではないか,といった点を説明すると,そのような説明は初めて聞いたという反応が返ってきました。
借款と贈与について、学者の皆さんは贈与の方がよい援助と考えているが、発電所は贈与ではできないし,借款で作っても電気料金で借款は返済できる,贈与には開発途上国の税収や開発支出に対する負の影響がありえ,贈与にも副作用もある,もちろん贈与を増やすことは大事であるが借款とセットでやることも考えなければならないという説明にも理解を示していました。
近年援助機関が進めているのは「技術移転」ではなく「能力構築(capacity building)」とか「能力開発(capacity development)」とか 「人間開発(human development)」ですが,その意味するところは何なのか,現地でどのようにそれが具体化されているのか,日本のOTCAとかJICAがやってきた技術協力がどう活きているのか,先輩がどのようにして「ギキョー」をやってきたのかを国際社会がわかるような形に取りまとめ、発信していくことがこれから大切になっていくと思います。現在検討されている開発協力大綱(案)でもそのような問題意識が示されています。そんなことを考えながらJICAの現場の人たちの書いたものを読み返して,授業に生かしていきたいと考えています。