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日本の近代史を勉強しよう

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元在ウルグアイ大使館 書記官 菊池 寛士

日本の国益を擁護する事は、政治家はもとより、直接外交に従事する外務省員にとっても、最も重要な使命の一つである。
近代世界史は、殆どが、西欧キリスト教文明の歴史と言っても過言ではない。
極東の一島国日本が、この世界史の片隅に端役として初めて登場するのは、1543年、種子島に漂着したポルトガル人によって「発見」されてからである。
然し、この島国は、発見されて間もなく、西欧キリスト教文明圏に編入されるのを拒否して、突然、鎖国を宣言する。「何故鎖国したのか」とか、「鎖国によって得たもの、失ったものは何か」とかは、外国の知識人より良く受ける質問だが、私には、「どうして鎖国が可能であったか」を問い直すほうが、当時の西欧諸国と日本の間の利害と力関係、ひいては、その後の日本の国際関係を解明する鍵としてより重要であると思われる。

19世紀に入ると、鎖国と言う外堀と封建制度と言う内堀に囲まれて安眠を貪っていた日本にも、西欧列強の植民地拡大競争の余波が押し寄せて来るようになった。大西洋の鯨を取り尽くし、太平洋の鯨資源に目をつけた米国が、捕鯨船の補給基地として日本に目をつけたのも、上記状勢と関連している。
往年の勢威を失っていた徳川幕府には、江戸湾内に侵入してきた黒船の武威に抵抗する術も無く、慌てふためいて開国を約束してしまう。

開国して周囲を見回すと、世界の殆ど全ての地域が西欧列強の草刈り場と化してしまっているという現実に目覚める。
日本が250有余年の間、孤立した平和をむさぼっている間に、蒸気機関の発明を引き金として工業革命を成し遂げた西欧諸国は、新技術と工業力を背景に、相互に植民地獲得競争を繰り返しながら、武力を研ぎ、西欧列強と日本の総合軍事力の差は、大人と子供の差以上になっていた。
当時の世界は、弱肉強食が正当化された帝国主義の最盛期であり、武力無き黄色人種の小国が、自分の意思だけで独立を維持する事など、到底考えられない事であった。日本が、一人前の独立国として認知される為には、西欧列強と同様、海外に植民地を有し、富国強兵策をとって強力な軍隊を抱える帝国に自国を変貌させる以外に道は無かった。

開国当時の日本は、封建制度の下、270もの封建領主に支配される藩に分割されていた。そういう国土を近代的帝国に改組する為には、先ず、中央集権政府の下に国家を統一する必要があった。その為、天皇という錦の御旗をかざして、将軍を頂く封建制度を打倒し、近代的独立帝国に日本を脱皮させると言う 困難極まる作業に、日本人は、時間と競争しながら敢然と挑戦した。これが、明治維新である。

その頃、世界列強は、それぞれの帝国の版図拡大に熱中していた。問題は、地球の面積に限度があり,各 帝国それぞれの利害が衝突し、戦争が頻発する事であった。生まれたばかりの日本帝国も、清国と1894年に、強大なロシア帝国と1904年にそれぞれ戦火を交え、苦戦の末勝利する事になり、朝鮮半島を併合し、満州から中国大陸の北方、樺太からアリューシャン列島にまで権益を拡大する事が出来た。第一次世界大戦には連合国側について参戦し、ドイツ帝国を破り、遂に世界列強の一座を確保するに至った。
然し、ロシア帝国とドイツ帝国の敗北と、それらに取って代わる新興帝国日本の躍進は、かっての師であり、同盟国でもあった大英帝国や米国に新たな警戒心を抱かせ、太平洋と中国大陸における権益を巡り、英・米両国と全面的に対決を迫られる運命に身を委ねざるを得なくなる。

日本帝国はナチス・ドイツとムッソリニの支配するイタリーと枢軸同盟関係に入り、スターリンのソ連と相互不可侵条約を結んで対抗し、第2次世界大戦に突入するが、日本の呼称する大東亜戦争は1945年日本帝国の無条件降伏で終結した。日本帝国は敗戦と同時に海外の全ての植民地を失い、武装解除されて滅亡した。その屍の上に新生日本国が誕生したが、国民は等しく、これでもう2度と世界の檜舞台を踏む事の出来ない3等国に押し込まれる事になったと受け止めた。
然し、1945年を境に、旧来の帝国主義の終末を予測させる世界政治史上の新現象が出現した。即ち、アジアの旧植民地におけるナショナリズムの大きなうねりや基本的人権の一つとしての民族自決権と言う概念の普及により、植民地維持のコストが、植民地経営の粗利を大きく上回るようになって来た事であった。そして,第二次世界大戦の戦勝国となった英国・米国・オランダ・フランス等は拡大する民族独立運動の前に、次々と海外植民地を喪失して日本同様普通の国になって行った。
日本の場合、米国が主導する占領軍の政治・経済顧問団にはニュウデイラーズが多く、日本の民主化と非武装化の二大目標を掲げて日本改革を強行した。新平和憲法の制定、農地改革、教育システムの改革、戦争に協力した疑惑の深い企業の分割と中小企業化等、次々と打ち出される占領政策を、国民は敗戦の代償として抵抗せずに受け入れると共に、押し付けられた民主主義をむしろ積極的に勉強し、将来、国際社会に無理なく迎え入れられるような新生日本の創設に努力した。現在の日本はこれらの要素が重合して出来た一種の日米合作の成果であるとも言えよう。

1952年のサンフランシスコ平和条約締結会議で独立を回復した日本は、西欧的資本主義社会の中で信頼される地位を得ようと努力を重ね、日本企業は日本における唯一の自然資源である日本人を全面的に活用し、国際経済市場における競争に乗り出し、気が付いてみれば、世界第2の経済大国に成り上がっていた。
以上が、1993年に小生がアルゼンチンで出版した外人の為の日本近代史(ORIGEN DEL PODER – Historia de Una nación llamada Japon -  Editorial Sudamericana)の概要である。

日本の国益を擁護する使命は在外在住の全ての日本人が外交官同様持つべき義務でもあろう。その為には自国の歴史を自分の言葉で語れるよう勉強しておく必要が痛感される。現在の常識から見れば、大東亜戦争までの日本軍部の犯した人権蹂躙罪は決して軽くは無いと言えるかも知れない。然し、それで卑屈になる必要は皆無である。戦争自体が悪の根源である。戦争に駆り出された人間は、日本人であれ、英国人であれ、ロシア人であれ、フランス人であれ、米国人であれ、中国人であれ、大なり小なり同様な過ちを犯している。
第一次世界大戦後に作られた国際連盟加盟国は、その後脱退した日本帝国も含めて42カ国に過ぎなかった。現在の国際連合に加盟している国の数は193カ国に達し、その大半は第二次世界大戦までは欧米列強の植民地であった国である。小生の個人的見解では、日本帝国が世界の植民地帝国に対する唯一の有色人国家として対等の立場で戦火を交えた事が、アジアやアフリカの植民地に独立する自信を与えた契機となっていると思う。

私の記憶では高校までの日本史が1930年代までしか教えられずに時間切れで終わってしまっていたようであった。その後の日本史は左翼知識人の語る自己批判と偏見に満ちた論旨と右翼歴史家の自己礼賛論旨の葛藤に終始し、普通の日本人には自国の歴史を如何見るべきか混沌とした印象しか与えられずにいる。これでは、日本人が自国の歴史に誇りを感じ、良き日本人として国際社会の一員になる事に歯止めをかけているとしか思えない。外務省研修所等には、もう一度日本の近代史を世界史の一部として読み直し、日本の国益を擁護するのに充分な自分自身の日本史観を論議し合う機会と時間があるように愚考されるが、如何であろうか?

(2014年3月26日寄稿)