中国と韓国で勤務して―さて日本は?

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駐韓国大使館総括公使  道上 尚史

1.中韓2カ国の日本大使館で公使を務めたという自己紹介をすると、「中国!韓国も? いやあ大変でしょうね」と憐れみ、同情ないし苦笑が返ってくる。「とても重要な隣国ですね。苦労は多いでしょうが」という反応はもはやなく、「あきれた」と言わんばかりだ。  外交世論ないし外国へのイメージについて、何か行き過ぎがあり、それを修正する社会の力が働いて別の行き過ぎになることがある。韓中に問題が多いのと同時に、日本自身のあり方について考えさせられることも多い。

2.1984年から2年韓国で研修を受けた。当時の日本での韓国イメージは「軍部独裁、抑圧、拷問」等暗いものだったが、明るく率直でダイナミックな人たちが多かった。反日的言辞の背後に、文化、技術、社会の規律等、豊かな日本への強い関心とあこがれがあった。北との厳しい対峙、安保面での日米韓の結束の必要を教えてくれる韓国の方がいた。当時の日本は、韓国の歴史、経済、ことば、いや韓国自体への関心が非常に薄かった。日本人は歴史を含め韓国のことをもっと知ったほうがいいと思った。誰かへの配慮や譲歩でなく、日本自身のためである。

 98年からソウルの大使館(政治部)で勤務した際、毎月韓国の新聞に寄稿し、講演もし、韓国側の日本観、歴史観、民族主義の問題点を指摘した。異端とまでいわないが、大使館員としては珍しかったようだ。日本政府というより日本社会が、隣国の誤解や偏見をなぜここまで沈黙してきたのだろうかとのいらだちが私にあった。

 今回(2011年~)、2つの変化がすぐ目についた。まず、前回勤務が「古き良き時代」に見えるほど、外交面での日本観は悪くなっていた。日本への関心とあこがれは大幅低下。メディアも政治・行政も、中国に重きを置く方向に進んでいた。「東アジアのトラブルメーカーは(中国でなく)日本」であるかのような見方もある。私は、講演・寄稿・TV・ラジオでの発信(100回超)に加え、新聞社幹部(編集局長、論説委員等)に会って先方の誤解や偏見を指摘する作業が増えた。もう1つの変化は生活・社会面だ。駅や電車に日本語の表示と音声案内が広がり、居酒屋が繁盛して日本語の看板がかかり、韓国人が電話で照会する時も「はい〇〇です」と日本語が返ってくる。一昔前は考えられなかったことだ。

 韓国の政治学者いわく、「韓国は反日だと、ばかり見るのは日本の誤解だ。韓国の反日は観念的抽象的なものであり、実際の生活面では抵抗感なく、大人は日本旅行や居酒屋が好き、子供は日本の漫画が好きだ。こちらを重視してほしい」。 私の答。「韓国も中国と同じように、反日デモで日本人が危険にあうとの誤解がたしかに一部にある。でも、観念的抽象的な反日だから構わないだろうというのは通じません。事実に反する理解、国際社会で韓国だけというゆがんだ日本観、中国観が多い。それを日本の一般国民が知るようになりました」。

3.さて、中韓での勤務を通じ日本が学ぶべきと思ったこと2つを紹介したい。1つは、「ソフトパワーもハードパワーも必要」という世界の大半の国の常識である。「国防を固めると同時に、諸外国と協力交流を深めるべきだか」との質問に、大学生も高校生もイエスと即答する。日本では、一方だけわかり、もう一方の意義をわからない人が多いようだ。1990年頃までの日本は安保認識が不足し、近年やや改善しつつあるが、逆にソフトパワーの重要性を忘れがちだ。ビジネスや文化を通じ各国に積極的に人的ネットワークを築き、諸外国の人を大勢日本に招待して理解を深めてもらう、それは日本の国力、影響力、ダイナミズムの基盤だ。昔は日本の得意科目だったのに、この十数年中韓に比べ怠り、力の基盤が薄くなっているのでないか。中韓とも、人権弾圧、政治混乱というきわめて否定的な国家イメージから、官民力を合わせ泥水をすするような「発信・交流」努力を進めてきた。50年前にすでに高い「国家ブランド」評価を得た日本は、あぐらをかいてしまったのかもしれない。

 次に、愛国心と国際性の両立だ。ナショナリストという「骨」と、開かれた国際性という「翼」をあわせもつ人が中韓のエリート層に多い。自らの短所を知り、外国から学び吸収し働きかけようというどん欲な姿勢もある。中国の各界の伝統エリートは、世界での評判の悪さを含め自分の短所をよく認識し、文化と情報の発信を大幅に強化している。「民族主義を掲げあらゆる日本人の悪口を言う人、政治スローガンだけで歴史を知らない人がいる。世界の潮流に反し中国の根本利益に反する」と当時の党機関紙。「中国をよく言ってくれる国より悪く言う国との交流を重視し、人を大勢招きます」と役所の幹部。

韓国のサムソン、LGが諸外国で成果をあげている背景には、旺盛な語学熱と海外志向、各国マーケットの徹底研究がある(80年代までの日本を想起させる話だ)。多くの死者を出した4月の旅客船(セウォル号)事故。目先の利益や効率を重視して基礎作業を怠る自分の欠点が大写しになり、深刻な反省がある。「いつまでこういう人命軽視、安全軽視が続くのか。IT先進国などとんでもない、韓国は三流国だ」という自己批判が新聞に連日踊った。

このへんは日本であまり報道されないのかもしれない。中韓の問題点、夜郎自大な傾向をメディアが伝えるのは結構なこと。だが、中韓が、勉学好きな青少年を育て、世界でネットワークを築き人を呼びという地道な努力をし、真摯な自己批判があることは忘れがちだ。相手の短所だけが目に入り、国際化やソフトパワーを迂遠なものと見ると、かえって日本が夜郎自大になる。誰が仕組んだのでもない罠に日本がはまっているようだ。日本は愛国心も国際性も弱い、ということでは困る。

アジア、中南米、アフリカ等、艱難辛苦を経てなんとか軌道に乗ってきた国が多い。世界ががむしゃらに進む中、悟ったような顔で小さくしぼんでダイナミズムを失えば、次世代の日本人は、親ほどの生活ができず、中韓はじめ世界で軽んじられるおそれがある。競争からおりたらアウトだ。人間、精一杯がんばっても期待の半分もいかず、現状維持感覚では下り坂。次世代に無責任な選択をしてはなるまい。

4.はっきりものを言わない日本の傾向に、私は昔からいらだってきた。だが、いらだちが昂じて、「相手につばをはくことが毅然たる外交だ」という錯覚に陥っていないだろうか。しっかりした知識で冷静に地道に発信していく王道を行くべきだ。乱暴な言動は、折角の日本の値打ちと説得力を損なう。日本への偏見・誤解を広めたい政治キャンペーンと同レベルの泥試合と見られ、誰かの思うつぼだ。

 韓国にある日本文化院、日本にある韓国文化院、中国にある韓国文化院を訪れたそれぞれの客が、「日本(韓国)に文化があるとは知らなかった」と言う。本当の話だ。ネットや雑誌に情報があふれる今日、「隣国にりっぱな文化がある」という平凡で常識的な認識も不十分なのが現実だ。自分にも偏見がありうる。

 小学1年のわが子が「日本は悪い国」というのを聞いた韓国女性が、子供を連れてソウルの日本文化院を見にきて、偏見を改める効果があった-という話がNHKで放送された。文化院だけで年5万人、戸外関連行事(「日韓交流おまつり」含め)を含めればその倍の韓国の方が来てくれる。
近隣国とくに日中韓の相互理解は難しい。戦争や植民地支配という重い歴史があり、価値観も受けた教育も歴史観も大いに違う。遠い国なら無関心でも近隣国には反感が高まりやすい。外見や習慣が似ているとかえってその差に神経がいらだち「許せない」こともある。

北京やソウルは、日本とは巨大な認識ギャップがあるアウェー。積極的に発信してきたが、国内の尺度を振り回し強く言いつのるだけではうまくいかない。人間関係と同じで、ぴしっと指摘はしても、普段からよくつきあい、相手の話にも耳を傾け、心と信頼をつかむことが大事だ。かつて私も若気の至りで、「それは間違い。理由を言おう。理由1、2、3…。わかりますか」とやったことがある。日本嫌いの人を増やしただけかもしれない。発信は説教でなく、傾聴と交流の中でこそ何倍もの成果が上がる。

5.全能感と無力感は外交の最大の敵だ。2つは似通ってもいる。歴史、教育に根ざす深い認識ギャップの中、相手を完全に日本の立場に同調させなければという極端さは、「そんな相手に言っても仕方ない」という試合放棄に通じる。いらだちが昂じてこっちが乱暴になる自爆も同類だ。不利な状況では40点でも0点よりましと、しぶとく食いさがって相手の心をつかみ一つでも偏見をただす作業と、その基盤としてのソフトパワー強化を10年続ければ構図も変わり、チャンスが出てくる。

日中韓は互いの距離感を取れず、隣国がよく見えなくなっている。今こそ日本が、積極的な発信・交流を進めソフトパワー拡充の地道な努力を進めたい。自信を持ち、傲慢と怠慢を戒めつつ。国民の理解と支持があることを願う。 (本稿は筆者の個人的な見解である)(2014.5.13寄稿)